小懸 ―真田源三郎の休日―
呉々も申し上げますが、この物語はフィクションです。
従って、登場する人物・団体・地名などは、歴史上のそれらとは別物と思ってご覧下さいますよう、お願い申し上げます。
六
蒸し暑さを感じて目が覚めたのは、その翌日の、未の下刻
※
を疾うに過ぎた頃でありました。
無論、目覚めたその時に時刻が判ったわけではありません。後から家人にそう知らされたのです。
そう。当家の家人からです。
目覚めた私の頭の下には、慣れた高さの枕があり、目の前の高みには見慣れた天井がありました。
岩櫃の自室でした。
合わない兜を無理矢理かぶせられている気分でした。喉の奥には鑢をあて損ねたかのような、気色の悪いざらざらとした感触があり、胸の辺りは焼け付くようでした。
私が上体を漸くのっそりと起こすと、
「まこと、若様と来たら、肝心なところで無様でおいでで」
垂氷
《
つらら
》
の嗤う声が聞こえました。
いいえ、確かに「嗤って」おりましたよ。当人がどう思っていたのか、今では知るよしもありませんが、私にはそう聞こえたのです。
怒鳴りつけてやりたくなりました。
実際そうしようとしたのです。
ところが、酷い宿酔の体はこれっぽちも云うことを聞きません。重たい瞼をどうにか細々と開いて、生意気な娘を睨むのが精一杯でした。
その精一杯の怒りを露わにしたはずの顔を見て、あの娘と来たら、
「まあ、酷いお顔」
うっすら笑うのです。こちらが苦しんでいるのを見て、
「ご酒が苦手でいらっしゃる?」
などという言葉の、その言い振りがまた、人を小馬鹿にして……しているように聞こえたのです、私には。
「お前は一斗の酒を開けても真っ当にしておられるのか」
厭味とも愚痴とも取れぬ、言い訳じみた物を言ってみましたところ、
「さあて。呑んだことがございませんので、判りかねます」
そう言って垂氷は、茶碗を寄越しました。
「ですが、二日酔いにはこれが良う効くというのは、存じておりますよ」
茶碗の中身は、何やら甘い臭いのする茶色のモノでした。
「何だ?」
「『玄の実』を煎じたものです」
「玄の実?」
「医者に言わせれば、キグシとかいう、私などには良く判らない名前の薬と言うことになりますが」
「キグ……? ああ、
計無保乃梨
《
ケンポノナシ
》
※
か。妙な形をした実のなるあれだな。実は小さいが、喰うと中々に美味い」
「まだ今年の実はなっておりませんよ。そろそろ花の咲くころかと」
垂氷が突出し窓を開けますと、良い風がふわりと流れ込みました。
しかしこの時の私の体は、清涼な風ぐらいでは癒されぬほどに消耗しきっておりました。ことさら、焼けるが如き喉の渇きは酷いとしか言いようのないものでありました。
正直なところを言えば、水けのものであるならば、薬湯でも煮え湯でも何でも構わぬから、とにかく一息に飲み干したい心持ちであったのです。
しかしどうやら自制の心は残って負ったようです。薬湯を呷るように飲むのは大層品のない事のように思われ、そっと、少しずつ、舐めるようにして喉の奥へ流し込んだのです。
後から思えば、いかにも小心者と云った風の、情けない有り様でした。その様を見つつ、垂氷は、
「若様は、物知りなのですねぇ」
などと言いながら、口元を袖で隠してニンマリとまた嗤うのです。
ええ、まあ、確かに口元は見えませんでしたが、目が、嗤っておりました。
「厭味か?」
「いえ、いえ。本心、感心しております。前田様も大層お褒めでしたよ」
途端、私の口から薬湯が噴出しました。
温泉場の源泉の口から湯が噴きこぼれるように、勢いよく、盛大に、です。
「それは慶次郎殿のことか!?」
言い終わる前に、私の両の鼻の穴から薬湯の鼻水が噴出しました。
その薬臭い鼻水をすすったものですから、私は今度は咳き込み、息も出来ずに布団の上で悶え転げ回ったのです。
そんな私のうろたえ振りに、こんどは垂氷のほうが驚いて大慌てとなりました。
何やら悲鳴じみた言葉を発しつつ、あたふたと慌てふためき、手拭いらしき物を私の手元へ投げ寄越し、自分は直ぐさま私が部屋中にまき散らかした薬湯を拭いて回りました。
そうして、私の咳がどうやら治まったと見ると、
「若様を背負っておいでになった、背の高いお武家様は、前田
宗兵衛
《
そうべえ
》
利卓
《
としたか
》
、とお名乗りでした」
喉の奥から、
「うあぁ」
呻くとも叫ぶとも付かない奇妙な声が湧いて出ました。
情けなく、惨たらしく、恥ずかしく、面目なく、申し訳なく、勿体なく、私は前のめりに布団に突っ伏しました。
「もしかしてあの方が、お手紙の主の『慶』様で?」
後ろ頭の上から、垂氷の声が降って参りました。
私は突っ伏したまま頷きました。顔を上げることなど出来ましょうか。
「もしかして、もしかしますると、あの御方はとてもお偉い方だったりするのですか?」
幾分か不安の色が混じる声でした。
私は突っ伏したまま、どうにか顔を横に向けて、チラと垂氷の顔を盗み見るようにしながら、小さく頷いて見せました。
「滝川左近将監様のご一族衆で、甥御にあたる。ついでに申せば、能登七尾城主の前田又左衛門様の甥御でもある」
本来ならば、身を正してきちんと説明すべきなのですが、私は体を起こす力が湧いて来なかったのです。
「つまり、偉い方、と言うことですか?」
垂氷が目玉を剥いて尋ねます。
「つまり、偉い方、と言うことだ」
私が答えますと、垂氷は小首を傾げ、眉根を寄せました。
「それで、あんなご立派な馬に乗られて、良いお召し物をお召しであられたのですね」
「お前は外見で人を量るのか?」
私は少々呆れて申しました。すると垂氷は激しく頭を振って、
「あの方がご自身で『厩よりの使いに御座る』と仰せになったのですよ。ですからてっきり、厩橋に御屋敷のある、どこかの偉いお家の馬丁殿かと思ったのです。つまり、下人に至るまで絢爛な装束をまとえるほどに立派なご家中の……」
「
馬糞
《
ボロ
》
を片付けるのに、わざわざ錦をまとう莫迦は、どんな高貴なご身分の方の家にもおらぬよ」
私は呆れ果てつつ申しました。
しかし言う内に、果たして本当にそうであろうか、と不安になったのです。
何しろ厩の宴の最中に、世の中というのは広い物であり、己という物は小さい物である、と言うことを、強かに思い知らされたばかりです。美しき衣を纏って飼葉を運ぶ者が、あるいはこの世のどこかに居るやも知れません。
ですから私は言い終わった後で、小さく、力なく、
「……恐らくは……」
と付け加えました。
それが聞こえたのか聞こえなかったのか知れませぬが、垂氷は拳を握り天を仰いで、
「ああ、この垂氷めとしたことが、一生の不覚で御座います。あの方が若様の大切な『慶』様であると気付きもせぬとは……。そうであると知っておりましたなら、もっと良くお持てなしをしましたものを。それなのに
面
《
おもて
》
を良く見ることもなしに!」
言い終えると同時に、ガクリと肩を落として項垂れました。
それは、あからさまと云うか、白々しいと云うか、大仰と云うか、鼻に付くと云うか、ともかく下手な地回りの
傀儡
《
くぐつ
》
使いの数倍も下手な演技と見えました。
こちらが面白がるか、あるいは、気付かずに呆けるのを待っているのが透けて見えるたのです。
私は不機嫌でした。
自分が情けなくてなりませんでした。
慶次郎殿にお掛けした迷惑が申し訳なく、それを詫びに行こうとか取り繕おうとかするために身を起こす心持ちになれないことが不甲斐なく、どす黒い吐き気と頭痛とを取り払うことも出来ず、怠惰に悶々と布団の中に居る己に、不機嫌を募らせていました。
ですから、素直に笑ってやることも、素直に無視してやることも出来なかったのです。
「『おもてなし』と『面なし』を掛詞にしたか。面白い、面白い。笑うた、笑うた」
私は野茨の棘の如くささくれ立った言葉を垂氷に投げつけると、掻巻を頭まで被りました。
薄い真綿の向こうで、垂氷は笑っておりました。
「面白うございましたか? 頂上、頂上」
悪念も邪心も感じられない、穏やかで、心底楽しげな声でした。
私は己の惨めさに打ちのめされたものでした。
お恥ずかしい話ではありますが、この後数日の間、私は長々と「不機嫌」で居続けました。
何事も起きなければ、もっと長く不機嫌の侭であったやも知れません。
手水を使う以外には布団から出ず、食事も粥の類を布団の中ですすり、書も読まずに、
「不快」
を言い訳にゴロゴロするだけの日々を、数日どころか一月も二月も過ごしていたに違いありません。
そうです。何事もなければ。
その日の朝、一人の「百姓」が砥石へ駆け込みました。直後に一人の「山がつ」
※
が砥石から駆け出しました。
その者は、人の通わぬ、道とは到底思えぬ木々の間、岩の影を風のように駆け、岩櫃の山城の木塀の間に消え入ったのです。
老爺でありました。顔には深い皺が刻まれ、手足の皮膚の肌理の奥まで土が染み込んでおります。
汗と埃の臭気が、汚れた衣服から沸き立っていました。
砥石から岩櫃まで一息に駆けたその『草』は五助と名乗りました。
頭を下げると同時に一通の書状、というよりは折りたたんだ紙切れを差し出したのです。
『水無月二日 本能寺にて御生害 惟任日向』
書いた者は、相当に慌てていたのでしょう。文字は乱れ、読み取るのに難儀しました。
内容は簡潔にして要領を得ません。
そのまま読めば、惟任日向という人物が本能寺で死んだかのように取れるかもしれません。
しかしそれは全くの逆でした。
本能寺で殺したのです。明智日向守光秀が、織田上総介信長を――。
不思議なもので、私はその意を汲み取った瞬間、奇妙な……安堵としか云い様のない感覚を覚えました。
まるで、そのことをずっと待ち続けていた「起こるべき事」がようやく起き、中々に決まらなかった事がとうとう決まった、といった、安堵の心地です。
「沼田へは?」
五助が父から、「この事」を矢沢頼綱大叔父へ「どのように知らせる」べく命を受けているのか、確かめる必要がありました。それによって、私が取るべき行動が決まって参ります。
「速やかに、そっと、お知らせするように、と」
「ふむ……。では、お前自身、沼田に伝手があるか? 縁者が居るとか……」
「は?」
「恐らくは、滝川様方にも織田上総介様御生害の報は届いておろう。さすれば、街道の役人の詮議もやかましくなっている筈。縁がある者が沼田に居れば、咎められだてすることなく城下出入りできよう」
「『道』は、弁えておりますれば」
五助は手捻りの土雛の様な顔で申しました。
私のような若造よりも、余程に人に知られぬ――それはすなわち、滝川様の御陣営の人々、という意味ですが――手段を持っている、と言いたいのでしょう。
『草』には『草』の自負があるものです。
「こちらにて充分に休みました故、これより直ちに走り出しますれば、今日の内には沼田の御城内へ入り込めましょう」
立ち上がろうとする五助に、
「それで、今日の内に戻ってこれるか?」
と、尋ねました。
「戻る……でございますか?」
「砥石の、父の所へ復命せねば成るまい」
五助の顔色が少々鈍りました。
私は何か言いたげな五助に喋る間を与えぬよう、素早く申しました。
「足の速い者を一人付けよう。大叔父殿の所にも繋ぎを残しておいた方がよい。残るのは其方でも、付け添えの方でも構わぬ」
言い終わらぬ内に、私は手を叩きました。
すぐに垂氷がやって参りました。
五助はこの小娘を怪訝そうな顔で見ました。
「沼田の大叔父殿の『家』は諏訪の神氏であるし、ご当人も鞍馬寺で修行を成された身だ。そう言ったわけであるから、ノノウが大叔父殿を尋ねても不思議はあるまい。むしろ当然のことだ」
垂氷が旋毛の辺りから声を出しました。
「沼田の、あの鬼のようなお年寄りの所へ行くのですか?」
全くこの娘は己に正直に過ぎます。私は眩暈を覚えました。
ところが驚いたことに、五助はこの言葉を聞いて笑ったのです。
当然、声を上げてのことではありません。口の端を僅かに持ち上げ、目尻を僅かに押し下げただけではありましたが、それでも確かに笑ったのです。
どうやら五助は矢沢頼綱と云う人を知っており、且つ、垂氷が思うているのと同じような感情でその人物を見ているのでしょう。
私の目玉の裏側にも、件の酷い老人の顔が浮かびました。
私は苦笑を腹の底に押し込ました。
そして、出来うる限り厳しい顔つきで垂氷を睨み付けると、唸るような低い声を絞り出しました。
「火急だ」
垂氷の顔色が変わりました。かなり驚いております。私の顔が相当に「恐ろしい」ものに見えたのでしょう。
あるいは、私の顔が「鬼のような誰ぞ」に似ているように思えたのかも知れません。
雷にでも打たれたような勢いで平伏した垂氷は、
「かしこまりまして御座います」
などと、普段しないような丁寧な返答をしました。
こうして二人の、祖父と孫程に年の離れた、すこぶる付きに優秀な『草』は、岩櫃の山城を飛び出して行ったのです。
私にしてみれば切り立つ崖でしかない場所も坂道と下り、どう見ても通り抜けられそうもない鬱蒼とした木々の間の隙間をすり抜け、あの者達にしか判らない道を駆け抜けて行くのです。私のような度胸のない者には到底真似のできるものではありません。
知らせは、無事に届く。
私はその点では確信をし、安堵すらしました。
問題は……。
「父はどうする? 滝川様はどうなさる?」
木曾殿の所に居る源二郎と三十郎叔父はどうなるのか。厩橋に居る於照は、果たしてどうなるのか。
そして私は、どうすべきなのか。
私は胡座を掻き、腕組みし、天井の木目をじっと見つめました。
どれ程の間もありません。
「この大事に、私ごときが直ぐに妙案を思い浮かぶようであれば、この世は楽すぎてつまらぬな」
私は独りごち、そのまま仰向けにゴロリと寝ころびました。
手足を大きく伸ばし、息を吐き尽くしました。
勝頼公が御自害なされたのが、弥生の十一日。
信長公御生害が水無月の二日。
滝川様が――つまり織田陣営が――関東・信濃を「領有」してから、三ヶ月ばかりです
そう。たったの三月です。
わずか三ヶ月ばかりで、占領した土地を治めきることが出来ましょうか。
降将達が新しい領主を心底主人と認めることが出来ましょうか。
ことに、充分な「恩賞」を得られなかった者は……。
「北条殿は間違いなく動く」
北条の兵力は、武田征伐ではさして消耗しなかったはずです。大軍は動かされましたが、実際に戦闘することはほとんど無かったのですから。
余力は充分にある。
絶対的な君主の居なくなった織田勢が浮き足立っていると見れば、思惑通りであれば得られていた領地を「取り返す」為に行動を起こすに違いありません。
甲州を攻めるか、上野を攻めるか。あるいは信濃へ押し込むか。
甲州の押さえであった穴山梅雪様は、徳川家康様共々織田様に安土へと招かれ、その後大阪に向かわれたと聞いておりますので、今も関西におられるはずです。
穴山様はどれ程の速さでお戻りに成られるだろうか。いや、無事に関西を抜け出せるかすら定かではない。
惟任日向
《
明智光秀
》
様が織田遺臣をどのように取り扱うのか、さっぱり知れません。
例え惟任様が今まで同様、あるいは今まで以上に厚遇しようとお考えであったとしても、方々がそれを受け入れるとは限りません。
織田様の軍勢が「頭が変われば、素直に新しい頭に従う」ような集団であるとは到底思えないのです。
従わぬ者、裏切る者は、切り伏せる。
それが私の見た「織田の戦」です。
そんな「織田の戦」をする者達が、織田信長を裏切った男に、従うはずがない。
皆、それぞれに、主君の仇討ちを画策するに違いない。
各地に散っている織田の遺臣が、己の首級を狙っている……それが判っている筈の知恵者明智光秀は、一体どうするのか。
惟任日向守様もまた、織田の軍勢の一員です。
従わぬなら、切り伏せる。
その考えが染みついておられるのでしょう。
だから、織田信長をも切り倒し果せた。
しかし惟任日向守様は……明智光秀は織田信長ではありません。
魔王とまで呼ばれたあの奇妙な方と、同じやり方をしたとして、同じように大成しえないでしょう。
黄に永楽銭の旗の下に人々が吸い寄せられるように集まり結束したのと同様に、浅葱に桔梗の旗の下に集う人々が、果たしてどれ程いるのでしょうか。
たとえば、穴山様、徳川様です。このお二方が惟任様に従うとは、私には想像だにできませでした。
従わぬなら、切り捨てられる。
織田信長に倣った惟任光秀が、穴山様も徳川様も、全く無事で済ますことはありえない。
何か手を打つはずです。何か手が打たれてしまうはずです。
おそらく、穴山梅雪は甲州に戻れない。
なれば、北条が攻め入るのは、やはり主の居ない甲州からということになりましょう。
そして甲州に残る武田の遺臣達も動くはずです。
恐らくは一揆勢となって北条に、そして織田の「残党」に戦いを挑むことでしょう。彼等が失った物を取り戻すために、です。
手練れによる小規模で多発的な戦闘ほど、厄介な代物はありません。敵対する者が「中規模」であれば、特に効き目があります。
軍勢を別けても小勢にならないほどの大規模な軍勢であれば、いくつもの小規模戦闘が同時に起きたとしても、対応することが出来るでしょう。当然、別けられたそれぞれの兵団に、しかるべき統率者がいれば、の話ではありますが。
しかし兵を別けて使うことが出来ない程度の軍勢では、複数の敵の対処しきれなくなります。
今、織田信長という偉大な「頭」を失った織田の軍勢は、分断され、細切れになって、中規模な軍勢へと成り下がっているのです。
織田軍は一揆勢で手一杯の状態に追い込まれる。そこへ北条が攻め来れば、間違いなく崩される。
ならば、どうする。
私は手段を二つ思い付きました。
一つは、織田信長の死を秘匿し、上州・信濃・甲州の諸人を連携させ、北条に当たる。
ただし、秘密は長く秘密のままにすることは出来ないでしょう。現に、信濃衆の私は真実を知ってしまっている。他の人々にも遅かれ早かれ知られることとなります。
秘密が秘密である間に北条を討ち果たすか、あるいは……何人かが速やかに惟任光秀を討ち取って、織田家総てを掌握し、織田信長と同等の統率力を発揮する……。
無理な話です。あの織田の大殿様と同じ事のできる者が、この世にいるはずがありません。
もちろん、惟任日向様が織田の遺臣団を全掌握するのも、無理でしょう。
なれば、もう一つの手段。
秘密が暴かれ、知れ渡る前に、
「撤収する」
速やかに残存兵力を集め、速やかに旧領へ撤退する。
あるいは、
「自分一人、尻をまくって逃げる」
城も領地も見捨て、何もかもかなぐり捨てて、家族や家臣を顧みることもなく、恥も外聞もなく、ただ己の命だけを抱きかかえて、一目散に逃げる。
巧くすれば命一つは助かるかも知れません。ただその後のことが問題となりましょう。
一族も家臣も失った「殿様」が、ただ一人生きて行けるものでしょうか。この世にただ一人放り出された「殿様」が、生きるため米を得ることが出来るのでしょうか。
私のような半端物ですら、美味い飯を炊く火加減を知らないのです。槍一筋、知行一筋に生きてきた「殿様」であれば、米を飯に化けさせる方法を知らないことだって有り得るでしょう。
自分一人の食い扶持を稼ぐ術を持っていたとして、そう易々と生きて行けるものではありません。
例えば本人が侍を捨てて帰農したつもりであっても、その「殿様」が「殿様」であったことを知るものから見れば、その者は「殿様」であり続けるのです。
密告するものがいるかも知れない。
疑心は暗鬼を生むと云います。
道を行くあの者は落人狩りかもしれない。あの物売りは敵対勢力の作細に違いない。
戦に負けた傷心の上に、怯えと猜疑とが塗り重なれば、屈強なもののふの「魂」とて、無事では済みますまい。
人の目を恐れ、身を隠し、一所に留まることも適わず、結局はまた身一つで逃げ出さねばならなくなります。
腕に自信の方であって、どこか別の勢力に出仕しようと考えたとしましょう。
勝負は時の運とも申します。ご本人が次は負けぬと胸張って言ったとしても、大負けに負けた上に、一族家臣を見捨てて逃げた「卑怯者」を雇おうなどという、心の広いお殿様は、そうそういないはずです。
逃げた「殿様」に相応以上の利用価値があるのなら、あるいは可能性が無いは申せませんが……。
「さて、逃げるというのは難しいものだな」
私は独り呟きました。
では、二つ目の手段を取るべきなのか……。
つまり、
「真っ向、戦う」
という手立てです。
この状況では、援軍は期待できません。従って手勢のみで戦を始めることになります。
では、策は?
敵が来るのを待ち伏せるのが良いか、攻め手が寄せ来る前にこちらから仕掛けるが良いのか。
自軍が自領にあるならば、あるいは待ち伏せるのも良いでしょう。
勝手知ったる「我が家」の中に、事情を知らぬ敵を引き込んで戦うならば、地の利というものが働きます。
地の利があれば、例えこちらの兵力が相手の三割方であっても勝機を見つけることができる。
しかし――。
滝川様が関東にお越しになって僅か三月です。恐らくは、滝川様ご自身もまだ自領の地理に暗いはずです。
地の利も何もあったものではありません。このまま城に籠もり、待ち伏せをしたとして、ただの籠城する小勢に過ぎないのです。
ならば、
「打って出る」
より他にないでしょう。
それも出来るだけ迅速に、敵方にこちらの大事が漏れ伝わる前に、こちらが小勢と知られぬ間に、攻め掛けねばなりません。
現状で、それが果たして可能なことなのか否か……。
「さて、戦うというのは難しいものだな」
私は寝返りを打ちました。肘を枕にして板張りの床に目を落とすと、磨き上げられた床板に一匹の若造の顔が写っておりました。
嫌な顔をした若造でした。瞼がぼってりと腫れ上がってい、目の下に黒々と隈ができているというのに、頬を紅潮させ、口元には薄笑いを浮かべています。
どこかで見た薄笑いでした。私はその腹黒そうな笑みに問いました。
「父上はどうなさいますか?」
床板は無言でした。返事するどころか足音一つ伝えてくれません。城内が静まりかえっていたのです。生きた人間が一人もいないような、そんな恐ろしいほどの静けさでした。
御蔭で砥石から続く狭い山道を駆けて来る蹄の音が聞こえたのです。
お笑い召さるな。
戦場にあると、五感が研ぎ澄まされるのです。
彼方の敵陣で兵卒が進軍を開始したその足音が聞こえる程に、火縄に火が移されるその匂いが嗅ぎ取れる程に、入り乱れた兵達の中から名のある将のその顔を見いだせる程に、突き入れられた槍の穂先を紙一重でかわせる程に、望気すれば兵の優劣が感じ取れる程に。
岩櫃の城は、その時すでに、紛れもなく戦場だったのです。
孤立した、戦場の直中だったのです。
ですから、私は……私の高ぶった心は、その音を聞き取ったのです。
砥石からの伝令に違いありません。
恐らく五助を送り出した直ぐ後に砥石を出立したものでしょう。
その僅かなときの間に、
『父が、何かを、思い付いた』
に違いありませんでした。
私は身を起こしました。
口惜しくてならなかったからです。
私自身が幾ら考えを巡らせても思い付かなかった「何か」を、真田昌幸という男はあっと言う間に考え出したのです。
床を蹴るようにして立ち上がりました。
大声で喚きました。
「誰ぞある! 具足を持て! 馬を引け!」
襖の後から、控えていた小者が慌てて走り出す音がしました。
私は努めてゆっくりと歩き出しました。
歩いたつもりでしたが、あるいは小走りに、いえ、全力をもって走っていたのかも知れません。
館を出た私は小具足姿になっていました。
何処でどう着替えたものか、今となっては思い出すことも適いません。
ともかく、気がついたときには、兜を被り胴を着込めば、何時でも出陣できる居住まいになっていたのです。
私は引かれてきた馬の手綱を馬丁から奪い取るようにして掴むと、開け放たれた城門の間際まで進み出て、急使が到着するのを待ちかまえておりました。
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※
未の下刻
▲
午後三時三十分ごろ
※
計無保乃梨
《
ケンポノナシ
》
▲
※ケンポナシ(玄圃梨)
クロウメモドキ科ケンポナシ属の落葉高木。
花期は6月〜7月で、枝先などに緑白色の小花が固まった状態で咲く。
果実は9〜10月に熟すが、果肉は無いに等しい。しかし果柄部分が肥大して肉厚となる。ここを食すとほんのり甘く、梨に似た味がする。
この果柄を乾燥させたものがキグで、二日酔いの薬とされる。
※
山がつ(山賤)
▲
山中で猟師・きこりなどを生業として生活している、身分の低い者(封建社会的な意味で)。
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