子壇嶺城戦記



「父上、お願いがございます」
 日頃おっとりとおとなしい源三郎信之が、珍しく強い口調で言う。
「言え」
 上田城内……この日も昌幸は碁に興じていた。
 相手は源二郎信繁である。
「信之にも手柄を立てさせてくださいませ」
「手柄? 源三(げんざ)、七千を三千で蹴散らしたのは、手柄の内に入らぬか?」
「先陣の誉は、源二でした」
 源三郎、この年二十歳。体躯は立派ながら、顔立ちは幼い。
 その幼顔が、口をとがらせていた。
 碁盤を囲む父と、ことさら弟は、困惑して
「源三どの、あれは先陣とはもうせますまいて。なにぶん、逃げただけにござれば」
 頭を掻いた。
 源二郎は、源三郎と一つ違いの十九。父に似て矮躯の上、老成した顔かたちをしている。
「それでも、この戦を始めたは源二。ならば、この戦を終わらす役目、信之にお任せくだされませ」
 源三郎は「この」という語に力をいれて言った。
 真田と徳川の争いごとは長引く。……真田の家中の者は、みなそれに気づいている。
「何が望みか?」
 昌幸が立ち上がった。
「子壇嶺の、一揆の始末」
「任す」
「ありがたく、承ります」
 深々と頭を下げる源三郎に、昌幸は続けて
「何が要る?」
 と尋ねた。
「大砲(おおづつ)、十門」
 源三郎は顔を上げ、にこりと笑った。
 
 翌朝。
 騎兵二。あとは足軽が二十ほど。
 荷駄は大砲のみ。行厨(弁当)は各人握り飯二つずつ。
 それが、真田源三郎信之の「軍」であった。
 なお、抱え大筒とは大型の火縄銃のことである。別名を大鉄砲ともいい、巨大な銃身と凄まじい火力を持つ攻城戦用の火器である。火縄銃の形をしたバズーカ砲を想像していただければよいだろう。
「なにゆえ付いて来るか?」
 馬上で源三郎は訊いた。返ってくる答えは、おおよそ見当が付いている。
「面白そうだから、ではいけませぬか?」
 馬首を並べる源二郎が答えた。源三郎の見当どおりの言葉だった。
「手出しはいたしませぬよ。なにしろこれは、源三どのの戦にございますれば。それに、後で文句を言われるもかないませぬし」
「なんだ。手伝わせようと思ったにな」
「やらせてくれますか?」
 嬉々とした声を上げる弟を、源三郎は笑いながら眺めた。
「大砲の討ち手が足らんからな」
「最初から足らぬように数えてきたのでしょう?」
 行軍は、半日に満たなかった。 
「それで、策は」
 子壇嶺岳の麓で握り飯を喰いながら、源二郎が訊ねる。
 源三郎も、握り飯をほおばりながら、
「挟撃だ。お主に大砲と兵を半分預けるから、山の裏手に回って大砲で威嚇しろ。できるだけ大きな音を立て続けるんだぞ。山を登るのは源二だけでよい。……わしは正面から行く。こちらも、鐘太鼓を打ち鳴らし、鬨の声を上げ、多勢と思わせる」
「承知!」
 小気味よく答えると、源二郎は射手をまとめ、山の裏手に回る道へ進む。
 その背に源三郎が声を掛けた。
「源二、人死にが出ぬようにせよ」
「にわか仕立ての似非侍に倒されるような脆弱者が、真田の家中にいるはずもなし」
 からからと笑い振り向いた源二郎に、源三郎は言った。
「味方に、ではない。その似非侍に、だ」
 風のない、暑い一日が始まった。


 杉原四郎兵衛とその徒党二十余名は、ことごとく捕縛された。
 数珠繋ぎに縛り上げられ、上田城まで連行された彼らを見て、真田昌幸は完爾と笑ったという。
「杉原の家は、あの辺りでは名家ゆえな」
 そうして縄目を解かせ、さらに彼らを臣に加えた。


 その後「彼ら」がどうなったか?
 寡聞ゆえ、筆者は知らない。



※読者諸兄へ
 この物語に、歴史的矛盾があることは、筆者も充分知っている。
 ゆえに、寛大な読者のみなさまにおかれては、なにとぞ重箱の角をつつかないようにお願いしたい。

1.神川合戦のおよそ二ヶ月前に、真田幸村は上杉家の証人となっており、上田にはいない筈。
 (ただし、資料によっては「参戦した」となっている物もある)
2.「鬨の声を上げ、鉄砲を撃ち、轟音で脅す」作戦の立案者は信幸ではなく、家臣の水出大蔵。
3.杉原四郎兵衛は地侍ではなく、室賀信俊の残党。同調したのは塩田衆(村上義清の残党など)の武士。
4.杉原たちが立てこもった城は「鳥屋城」(鳥帽子城、依田城、首切城、大年寺城、等の呼び名もあり)であるという説もある。


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