小懸 ―真田源三郎の休日―【本編】 − 【10】 BACK | INDEX | NEXT 2014/09/26 update |
人影は「あ」と言う間もなくするりと木を降りると、私の足元に片膝を着きました。 夜っぴて見張りをしていた「目利き」の眼は流石に赤く、瞼は腫れ上がっておりました。 頭を垂れ、顔を伏せた「目利き」は、 「女駕籠と長持が一丁ずつ。駕籠に付き添って女房衆が二人、下女が三人」 と正確な員数を数え上げました。 つまり、山道を登ってくるのは、少ないとはいえ護衛の侍を付けることが出来る程度の身分のある「貴人」、それも恐らくはご婦人で、上州から逃げ出そうとしているのだ、と見るのが自然です。 換え馬や、駕籠や長持の担い手の交代要員《かえ》がいないところからすると、遠くへ行くつもりが無いのでしょう。さもなければ、急いでいてそれだけの人数を集めきれなかったのかも知れません。 問題は、その「貴人」が誰であるか、です。 信濃へ向かっているからにはその「貴人」は、信濃に何かしかの縁がある方でしょう。 とは申しても、北条殿に縁のある方である可能性も無いとは言えません。北条に縁のある方が、本心は相模の方へ行くことを願っていたとしても、その願いが叶うとは思えないからです。 考えてもご覧なさい。滝川様、あるいは旧武田の陣営の者が、北条殿に縁のある方が国外へ出ようとするのを見過ごすことなどできおうものですか。 それでも、どうあっても上州から出たい。むしろ出ることのみを考える、と云うのならば、幾分か手の薄いであろう信濃を目指す。そんなことも有り得ないとは申せません。 とは云えど、やはりそうである確率は低い。大体、動くこと自体が大層難しい筈です。 ですから件の一団は、信濃に縁者がいる方である公算が高い。 そして、滝川様の陣営がその方を戦場から離脱させても良いと考えている、あるいは離脱させたいと願っている方、つまり、滝川一益様や織田方に縁の深い方ということが想像できます。 そうであるならば、我らはあの方々を庇護する必要があります。 父がどのような腹積もりであるかに寄りますが、その方をお助けすることによって、有り体に言えば「滝川様に恩を売る」ことができます。 あるいは、証人《人質》とすることができるのです。 非道と思われましょうや? そも、戦など人の道に外れた行いです。それを行うのが武士です。道ならぬ道を通るのが、戦乱の世の侍の役目です。 少なくとも、我々がここであの方々を「助けて」差し上げれば、その方々は命を拾うことになります。 例え証人としてであってもです。 命を拾えば、生きてゆくことが出来れば、そこから先に何かが起きるやも知れません。いや、何かを起こせるかも知れぬのです。 判っております。言い訳に過ぎません。 あの時の私も、それが判っておりました。そうやって、言い訳にならぬ言い訳を、心中で己に向かって言い聞かでもせねば、私はその場所に立っていることができなかったのです。 私は、小心者ですから。 それでもこの時は、己に言い聞かせるにしても、実際に声に出して言う訳には行きません。私は我が胸の内でだけ己に言葉をかけました。……いや、そのつもりでありました。 しかし私という鈍遅《ドヂ》の口先は、その主に輪を掛けての粗忽者であったのです。 「業盡有情《ごうじんのうじょう》、雖放未生《はなつといえどもいきず》、故宿人身《ゆえにじんしんにやどりて》、同証佛果《おなじくぶっかをしょうせよ》」 後々幸直らが私に、笑い話として語った事が本当であるならば、初めのうちはそれでもモゾモゾと口の中で言うだけであったようです。 ところが声音は次第に大きく高くなり、最期に、 「家内安全!」 と、幸直に、 「訳がわからない」 と頭を抱え込ませた一言を口にした頃などは、殆ど叫び声に等しいものになっておったのです。 私はと云えば、名も知らぬ鳥共が一斉に叫び、翼で自分を鞭打つようにして塒《ねぐら》から飛び立ち、森の木々の枝が大風にまかれたかのように揺れ、擦れ合う枝葉の悲鳴があたりに響くに至って、漸く己の失態に気付いたという、情けない次第でありました。 私は倒れ込むようにして地に伏せました。 一呼吸の遅れもなく、その場にいた者達総てが、私と同じように身を低くしました。 その鮮やかな隠れ振りを見た私は、火急の事態の最中であるというのに 『我が家のことであるが、真田家中の者共は、全く良く訓練された者共であることよ』 などと、いたく感心したものです。 しかしまあ、その時の皆々の視線の痛いことと云ったらありません。ことさら禰津幸直の眼差しときたら、槍で腑をこね回されているかと思われるほどのものでありました。 自業自得はあります。それはその時の私にも判っていたことです。それでも、私は恐らく恨みがましい目を幸直に向けていたのでありましょう。幸直はギリリと奥歯を軋ませると、 「お覚悟めされよ」 と低く唸り、腰の刀の鯉口を切ったのです。 「心得た」 私は、笑っておりました。作り笑いでも嘘笑いでもなく、本心から笑っておりました。 幸直が斬り掛かろうとしている相手が、自分ではないと確信していたからです。 ……主に対して刃を向けかねるからか、とお訊ねか? いや、禰津幸直は忠義者ですから、私が主だからと云う理由ぐらいいでは、私を殺さずにおくことはないでしょう。 お解りになりませぬか? 例え主人であっても、あるいは親兄弟であっても、言動に謬りがあれば、これを正さねばならぬでしょう。 涙を呑み、歯を食いしばり、血を吐く思いをしてでも、黒い物は黒いと断じなければならぬのです。 阿附迎合《あふげいごう》して己の正義を誤魔化すようなことがあれば、元は些細な過ちであっても「二人分」に倍増いたしましょう。その上、回りの者がみな阿諛追従《あゆついしょう》したなら、過ちはたちまち数十、数百、数千に膨れ上がるのです。 膨れ上がったモノは、針の如き小さな力で突いただけでも容易に弾けてしうものです。 外から突けば血膿が吹き出し、飛び散ります。あるいは内から突き上げる針のために、骨肉露わになるほど大きく皮が裂けることもある。 そうなってからでは遅いとは思われませぬか? 過ちは芽の内に摘み取らねばならぬ。腫れ上がる前に潰さねばならぬ。 それが小さくとも摘み取れず、潰しきれぬほど、根深く、また取り返しのつかぬ事であるなら、例え主人であろうとも、斬ることもやぶさかでない。 それこそが真の忠義だと、私は思うのです。 私ばかりか、真田の家にいる「忠義者」は、大体同じように考えているのではないでしょうか。 あの時私は、一つ部隊の全員の生き死にに関わる、大層な失敗をしでかしました。これは間違いのないことです。「誅殺」されても文句の付けようがありません。 それなのに幸直が私を斬ろうとしなかった理由は、忠義だ友情だなどという、謂わば情のゆえの事などではないのです。 ここでこの莫迦者《わたし》を斬ったなら、こちらの「手駒」が一つ減ってしまうから、です。 何分にも、この折の我が隊は「少数精鋭」でありました。 万一戦闘となれば――私は最初からそのようなことはないと踏んでいたのですがそれでも万が一に――全員が兵卒のとして闘うことになります。例え大将格であっても、指揮を執りながら歩行兵《かち》と同じ闘い振りをせねばならぬのです。 ここで一つでも駒が落ちたならどうなることか、想像に硬くないでしょう。 禰津幸直は、私のような鈍遅《ドヂ》とはちがって、すこぶる良くできた男です。自分の手で自分の部隊を弱らせる真似が出来ようはずがありません。 これでも一応は王将の役を負っている駒なのですから、なおさらです。いや、飛車角金銀、あるいは歩の一枚であっても、落とすことが出来ましょうか。 幸直にはそれが判っている。そのことが私にも判っている。 それ故、私は笑ったのです。 申し訳なく、心苦しく、情けない、自嘲の笑みです。 真の本心からのモノでありましたが、強張った笑顔であった感は否めません。 己の頬骨の上に本心からの笑顔の皮が貼り付いた、そんな心持ちです。 私の――作り物じみていながらも命のある、さながら名人の打った猿楽の面のような――奇妙な顔を見て、幸直めは今にも泣き出しそうな顔で、唇を噛みました。 それきり、誰も動かず、誰も物を言いません。 私の所為で一羽の鳥もいなくなった森の中は、木々のざわめきさえも消え去り、静まりかえりました。私に聞こえたのは、私自身の心の臓の音、幸直の抑え込んだ息づかいばかりでした。 実際には、それほど時が過ぎたわけではありませんでしたが、あの場では長い時のように感じられたのです。 あるいは日も月も止まってしまったのではないかとさえ思われました。 私はすっと体を起こしました。 その時の一同の顔を、私は忘れることが出来ません。 目を見開いて驚愕する者がおりました。覚えず頭を抱えた者もおりました。皆一様に驚いていたのです。 数名の体の動きは、しかし、私が目を配るとぴたりと止み、皆はまた背を低く伏せた形で岩のように固まりました。 ただ一つ、無駄に高い上背の私の頭がのみが、灌木の茂みから突き出た格好となりました。 相変わらずの濃霧の中に、私の目にもその形が認められるほどに近付いてきている一つの騎馬の影があります。 それが霧に映り込んで大きく膨れた幻影《まぼろし》でないとするならば、その馬は大層な肥馬であり、打ち跨る人もまた堂々たる恰幅の武者でありました。 一見すると甲冑は纏っていない様子でしたが、先ほど「耳効き」が、 「鎧武者三騎」 と申しておったことを疑いなく信用した私には、着物の下に胴鎧か鎖帷子を着込んでいるのだと思われました。 時折チラチラと鋼が陽を弾く閃光が見えましたので、何か抜き身の武器を携えているに違いありません。 しかしその光は鋭いとはいえ小さいものでした。さすれば太刀ではなく、槍の穂先でありましょう。 太刀であれ槍であれ、抜き身を持っているとあらば、あちらの方は当方と闘う意思をお持ちだと云うことになります。……無論、こちらを「敵」と判断なさったその時には、でありますが。 こちらには目利き耳効きがいてくれた御蔭であちらの人数がはっきりと知れましたが、あちらの方にこちらの伏勢の数がはっきりと判っているとは到底思えません。 潜んでいるモノがナニであるのか――鼻の効く武将であれば、火縄の臭いをさせていない我々から銃撃される可能性が無いことは判っているでしょうが――正体が殆ど掴めていないものと思われました。 正体不明のモノが、正体不明の大声を立て、ている。そこに乗り込んでこようという彼の騎馬武者の胸には、一騎当千の自信が満ちているに相違ありません。 そんな方が、一戦交えてでも守ろうとしているからには、駕籠の中においでの方は、すこぶる大切な方であるのでしょう。 私は一震えすると、懐に手を差し入れました。 途端、私の回りの気配が、一層に張り詰めたものとなりました。 禰津幸直が、太刀の柄に手を添えて身を低く屈めたまま、私の顔を見上げました。唇を噛んでいます。 私の眼の端の方に、不安とも不審とも呆然とも驚嘆とも安堵とも、何様とも取れ、何様とも取れぬ、一寸言葉に表せぬ、幸直の唇を噛んだ顔がありました。 恐らく私が、 「行け」 と言えば、躊躇無くその太刀をすっぱ抜き、土手を駆け下り、馬上の人物に斬り掛かることでしょう。 それが私には真実《まこと》を見るように想像できます。 その人の槍の穂先が、幸直の背中から突き出て、ぎらりと赤みを帯びて輝いている、その様子も、です。 私は何も言いませんでした。息を吐くことさえ忘れていたような気もいたします。 私は懐に忍ばせていた物を掴み、近付く影を見つめておりました。 馬上の影の、それが馬に乗っているとは思えぬほど揺れることもなくすぅっと進み来るさまと申せば、さながら仏師が精魂込めた騎象の帝釈天の像を、道に材木を敷き並べた上に滑らせて運んでいるかのようでした。 私は懐の中の細い棒きれを素早く引き出しました。 伏せていた幾人かの腰が浮きました。声を上げる者はおりませんでしたが、皆眼差しを私の手元に突きたてました。 皆の眼には、一尺強の竹の黒い棒切れが写ったことでしょう。 一同、ぽかりと口を開けました。 それが何であるか見極められなかった者は、私が何をしようとしているのかも思い当たらぬので、ただ唖然としておりました。 武器にはならないものらしい、程度のことに気付いた者は、武器も持たずに敵……らしき者の前に出る気ではないかと思ったものでありましょう。そじて「青二才めがとうとうおかしくなったか」と、大いに動揺したのです。 そしてその「棒切れ」が何であるか気付いた者は、私が「そんな物」を戦場《このばしょ》に持って来ており、それも、敵らしき輩が迫っているこの時に持ち出すという非常識をやらかすのを見て、不安にかられたのです。 ですから一同、目玉が溢れそうなほどに目を剥いて、顎が外れ落ちそうなほどに口を開いて、私を睨んだのです。 ただ一人、幸直を除いては。 そうです。禰津幸直だけは、上顎と下顎とをきっちりととじ合わせておりました。 私は、幸直以外の者達が、私に飛びかかり、押し倒し、地面に押さえつけるより前に、素早くその棒きれを、口元に宛がいました。 裏返された女竹の横笛が、甲高い叫び声を上げました。 耳効きの者が、覚えず、頭を地面のその下まで潜り込ませようかという勢いで伏せ、両の耳を手で覆い塞ぎました。 他の者……幸直を除いた殆どの者達も、耳効きほどの慌てようではないにしても、あるいは頬肉をヒクつかせ、あるいは鼻の頭に皺を寄せ、あるいは瞼をぐっととじ合わせて、耳の穴に指を突っ込み、頭を抱え込みました。 私は満足していました。 会心の「日吉《ひしぎ》」だったからです。 ヒヤウともヒヨウともキイともヒイとも言い表せぬ、己の体から何かが飛びだして行くような音が、朝靄で濡れた森の中を抜けて行きました。 ええ、左様です。 私が吹き鳴らしたのは、京に住まう母方の祖父から戴いた、由緒あるあの能管であります。 彼方から山鳥の啼く声が、かすかに聞こえます。 その向こうへ、あの音が遠く霞んで消えて行くと、それに連れるようにして、霧もまた薄れて霽《は》れてゆきました。 木々の枝の隙から、黄色みを帯びた日の光が、幾本もの帯のように差し込み、薄暗かった森と道筋とを明るく照らしました。 霧の中の大きな人馬の影も、次第にその真実《ほんとう》の姿へと変じてゆきました。 前田慶次郎利貞殿と四尺九寸の黒鹿毛です。 慶次郎殿は抜き身の槍を掻い込んで、太い眉の根を寄せ、小高い道脇の茂みを……つまりそこから突き出た私の顔を、鋭い眼差しでじっと見ておられました。 私の足元で、 「ぐうっ」 苦しげな鼾のように息を飲み込む音がしました。 私はあえて幸直の顔を見るようなことをしませんでしたが、恐らくは真っ白な顔で、唇を振るわせていたのでありましょう。 普段の幸直は矢沢の頼綱大叔父の下におります。つまりは、昨今は沼田にいるのが常でありました。城代は滝川儀太夫益氏様です。即ち、慶次郎殿の実の父上様です。 確かに慶次郎殿は滝川家から前田家へ養子に出された方です。その上、日ごろ「実家」には寄りつかずに、お屋敷のある厩橋あたりにおいでになるご様子でした。 それでも滝川陣営でも随一だという槍使いの、苛烈極まりない武者振りを、幸直が全く知らぬというわけはありますまい。 知っているからこそ、恐怖したのでありましょう。 『あの方が、敵であったなら』 幸直を小心と嘲るつもりは毛頭ありません。私は、出来るだけ平気そうな素振りで、顔などは努めて嬉しげな笑顔を作っておりましたが、その実、心底震え上がっていたのですから。 『あの方が、敵であったなら』 私は畏れ戦きながら、しかし、 『それも、また良し』 とも思っておりました。 不思議なことでありましょうか。 人間いずれは死ぬのです。 死ぬのは怖い。死にたくはない。 幾度も申し上げたとおり、私は小心者です。常日頃より、出来る限り生き残りたいと願ってやみません。 生き残れるというのなら、杉の葉の煮込みを食すぐらいのことは何でもありません。石を噛み泥をすすってでも、どれ程情けなく藻掻いてでも、どうあっても生き抜きたい。 ですが、どう足掻いても絶対に死ぬというのなら、出来るだけ良い死にっぷりでありたいのです。 親兄弟子孫知友よりもなお長々生き残り、畳の上で親族家臣に看取られて逝く幸福は元より良し。されど、戦場で素晴らしい敵将と堂々渡り合って、槍に貫かれて逝く幸福も、武人であれば願って当然とは思われませんか。 ともかく、この時の私は、 『前田慶次郎になら殺されて当然であり、それで構わない』 と思っていたのです。それどころか、 『むしろあの長槍に貫かれて死にたい』 とさえ考えていたのです。 ところがそれと同時に、頭の後の方では、 『それはあり得ない』 とも感じておりました。 理由はありません。ただそのように思えただけのことです。 そのように思えただけのことで、私は武器ではなく笛を持ち、息を潜めるのではなく大きく音を立て、睨み付けるのではなく笑って迎えたのです。 慶次郎殿は渋柿を召し上がったかのような顔をしておいででした。 光の加減の為でありましょうか、どうやらこちらの顔がよく見えない様子でありました。 しかしながら程なく、 「矢張り源三郎だ。あの胸に響く笛の音を、この儂が聞き違えるはずがない」 弾けるように大笑なさったのです。 前田慶次郎殿は、掻い込んでいた槍を物も言わずに無造作に後方に投げました。それを郎党らしき者が当然のことであるかのように見事に受け止め、すかさず穂先を鞘に収めました。 主従揃ってなんとも武辺者らしい振る舞いでした。 私がほれぼれとした面持ちで診ている前で、慶次郎殿が件の青鹿毛の馬腹を軽く蹴られました。ご自慢の駿馬は六尺も跳ね上がり、堀割道の底から灌木の茂みすら飛び越えて、なんと私のやや後方に着地したのです。 蹄の三寸ほど脇で、禰津幸直が腰を抜かしておりました。 その幸直の体を器用に避けて下馬した慶次郎殿は、私の顔をしげしげと見て、 「しかし、お主の父親も非道い父親だが、妹も大概だな」 「妹……?」 一瞬、何の事やら判らずに小首を傾げますと、慶次郎殿はあきれ顔をなさって、 「照姫だよ。あの可愛らしい、お主の妹の」 「於照に、お会いになられた?」 我ながらおかしな事を言ったものです。慶次郎殿は馬狩りから戻られて以降は厩橋においでだったのです。城内の人質屋敷にいる我が妹の顔を見ても不思議ではありません。 しかも、慶次郎殿にとっては主君の嫡孫である上にいとこ違いの間柄である滝川三九郎一積様との縁談「らしきもの」が持ち上がった相手でもあるのです。顔つきの一つや二つをお確かめになって然るべきとも言えましょう。 「会うも何もないわい」 慶次郎殿は少々呆れ気味に道の側を顎で指し示しました。 あの頃にままだ珍しかった女駕籠の引き戸が開いて、中から見知った、そして今にも泣きそうな幼顔が現れました。 頭は桂巻で覆い、身には継ぎの当たった一重を着ております。化粧気のない顔は煤にまみれていました。 遠目から、着ている物だけを見ますれば、お世辞にも貴人とは言い難い装束です。 その貴人らしからぬ身なりの者が、あのころにはまだそれそのものが珍奇な乗り物であった駕籠の、たいそうに立派な扉から出て参ったのです。 本当ならば、不釣り合いなはずです。 ところがちっともそうは見えませんでした なにしろ、出てきた娘の頭を覆っている布は、これっぽっちも汗じみたところが無く、晒したように白いのです。 着物のに継がれた端切れには、使い古した布地の風情がまるで見えなません。 おまけに、顔の煤の汚れはまるきり手で塗りつけたようでありました。 すべて取って付けたようで、ことごとくあからさまで、万事嘘くさいときています。 この扮装そのものが、「私は農婦ではありません」と白状しております。 私は苦笑しました。 私たち自身がもここへ来るときにずいぶんと下手な「百姓の振り」をしたわけでありますが、なんの、あの下手な変装と見比べれば、千両役者のごとき化けっぷりであったと云えましょう。 しかし、百姓のフリをして他人の目を誤魔化そうというのが、於照の考えか、あるいは周りの入れ知恵かは定かでありませんが、 「やれやれ、兄妹そろって似たようなことを」 私は笑いながら、涙をこらえておりました。 妹は無事でありました。少なくとも、命はあります。 それにどうやら、ここへ来るまでの間に杉の葉を喰うような思いはせずに済んだ様子です。 そして件の偽百姓娘の方はといえば、切り通し道の崖の上に私の姿を認めた途端、こらえることもせずにわっと泣き出したのものです。 そのまま物も言わず、崖下に駆け寄ったものの、さすがに女の足でよじ登ることが苦労であると見るや、その場にくずおれるようにして座り込んでしまいました。 あとは顔を覆って泣くばかりです。 私は灌木を乗り越え、崖を転がるようにして滑り降りました。足が着いたのはなんとも良い案配に、ちょうど泣き虫娘の真ん前でした。 私がしゃがみつつ、妹の肩を抱いてやろうとしたそのとき、私の耳はおかしな音を聞きました。 鍔鳴りです。 そのすぐ後、頭の上で、鉄がぶつかり合う音がしました。 私は右の腕に「重さ」を感じておりました。 重さだけです。痛みのたぐいはありません。 私の右腕めが、勝手に脇差しの鎧通しを引き抜いて、頭上に掲げ持っておりました。 その太く短い刃に垂直に交わるようにして、長い刀が打ち下ろされていました。 臆病者の私の身体には、なんとも妙な「癖」が染みついております。刀を打ち込まれたら防ぐという動作を、頭で考えるより先に身体の方がしてくれます。 いや、便利なようですが、かえって不便なこともありのですよ。 相手がこちらを襲う気などさらさらないというときでも、こちらが勝手に逃げることが多々あるのですから。 それはともかくも。 私の右手が押さえてくれた長い刃の根本には、当然ながらそれを握る籠手がありました。 籠手の先に黒糸威しの大袖があります。 その向こうには黒い顔が見えました。 立派な口髭と頬髭を生やしています。大きく開いた口元には、尖った白い歯が居並んでいます。 恐ろしい怒形でした。 一瞬、ぎくりとしましたが、すぐに私は安堵しました。 怒り狂った猛将の口元の上に、怯え、潤んだ、黒目がちな眼があったからです。 怒形の面頬《めんぽう》をかぶっているのは、 『子供』 に相違ありません。 確かに一見、立派な鎧を着た大柄な「武将」ですが、おそらくは自分よりも年下で、ともすれば未だ初陣に至らぬ若造あろうと見て取りました。 第一、打ち込んできたその刀に、刀以上の重さを感じません。すなわち、私を……一人の人間を斬り殺すために必要な力を、まだ身につけていない、未熟な小僧に相違ないのです。 何分にも、自分も子供でありましたから、そして何分にも自分も小心者でありますから、同類はすぐに判ります。 私は相手の刀をはじき返すことをしませんでした。 そうするより前に、私の頭の上と目の前から、声がしたからです。 「三九郎殿、たとえ御身のなさることでも、許しませぬぞ」 同じ言葉でした。しかし声の色はだいぶん違います。 頭の上から振ってきたのは、破鐘のような声です。 目の前からあがったのは、鈴のような声です。 しかしどちらも大きく、そして大変怒っていました。 |
Copyright Shinkouj Kawori(Gin_oh Megumi)/OhimesamaClub/ All Rights Reserved
このサイト内の文章と画像を許可無く複製・再配布することは、著作権法で禁じられています。