小懸 ―真田源三郎の休日―【本編】 − 【9】 BACK | INDEX | NEXT 2014/09/26 update |
たった三文字からなかなか目を離すことが出来ません。私は顔も上げず、どうにか目玉だけを持ち上げて、 「垂氷《つらら》」 呼ばれた垂氷めは、不調法にも白い顔の半分と黒い目玉だけを、僅かに引き開けた襖の隙から覗かせました。 なにやら奇妙なイキモノでも見るかのような目で、私と向き合いで座っている出浦対馬の柔和そうな丸顔を、ちらちらと見ています。 「父の命で碓氷峠へ行くことになった」 「お供いたしますとも」 間髪を入れず、応えが返ってきました。 間髪を入れず、私も返答しました。 「お前はこの対馬と厩橋に向かってくれ」 「はいはい」 なんとも気楽そうに応えたのは、出浦盛清でした。素早くひょいと立ち上がります。 襖の向こうでは黒い目が輝いておりました。 「慶様との繋ぎですか?」 その人の名を聞いて、私は漸く頭を持ち上げる気力を得ました。 「前田宗兵衛殿は厩橋には居られぬ。今頃は武蔵国の当たりまで出張っておいでだ」 私は意識して硬い口調で、断定的に言いました。 襖の陰の目の光には、失望のような不安のような色が加わりました。 「では、何を?」 「厩橋に証人がいる」 垂氷が何か言いかけましたが、その前に盛清が、 「つまり、手薄な城に忍び込むか急襲するかして、厩橋に閉じ込められている於照様をお助けしろ、ということでありますな。承知承知」 ひょいひょいと歩むと、開き掛けの襖を大きく開け放ちました。 「さ、参ろうかね」 垂氷は盛清の柔和顔を見上げ、固唾を飲み込むと、頭を振ったのです。 「嫌でございます」 これを聞いて盛清は私の顔色を窺い見つつ、 「……と、申しておりますが?」 丸い狸面は、呆れたというでもなく、困ったというでもなく、むしろおかしくてならないといった具合の色をしておりました。 私は何も言いませんでした。言わぬ侭、垂氷めの目の玉のあたりに視線を投げておりました。 すると垂氷はブルリと身震いしたかと思うと、急に居住まいを正して、 「私は砥石の殿様から、若様の武運長久を祈祷をする役目を仰せつかったのです。お側に居らねば、祈祷が出来ません」 真面目な顔をして申したものです。私は少々可笑しく思ったのですが、笑うことは堪えました。 「使いに出ろと言ったときには、走るのが好きだ等と申して、喜々として私から離れて何処までも行くではないか」 そこまで言うと、一呼吸置いて、 「それとも、慶次郎殿が居らぬ厩橋には興味がないか?」 意地悪く言い足しました。 すると垂氷は激しく頭を振りました。 「それは違います。断じて違います」 「では、何故だ?」 「私が若様のお使いに出るのは、行って帰って来いというご命令だからです。『行け』と言うだけのご命令ならば、キッパリ御免にございます」 垂氷は吻《くちさき》を尖らせました。おかめがひょっとこの面を真似しているようでした。これを出浦盛清がしみじみと眺め見て、 「仲のお宜しいことは何よりなんですがねぇ」 などという事を申しますと、拗ねてそっぽを向いた垂氷の奥襟を矢場《やにわ》に掴んだのです。 「さて、行くよ」 盛清は掴んだモノを引き摺って歩き出しました。 その様は、田舎の禅寺に幾年幾十年も掛けっぱなしにされてたっぷりと抹香に慰撫された軸から抜け出てきた釈契此《しゃくかいし》の様に見えました。 ただ、狸面の布袋尊が引き摺っているのは頭陀袋《ずだぶくろ》などではなく、生きた人間です。それも垂氷です。温和しく引き摺られてゆくはずがありましょうや。 暴れました。 裳裾がはだけるのも意に介せず、手足と言わず体中をバタバタと振り揺すり、城内隅々まで聞こえるほどの大声でぎゃぁぎゃぁと喚きました。 まるで駄々を捏ねる童のようでありました。 喚き声の主は廊下へ出、出口の側へ曲がり、柱やら壁やらの陰に隠れて、私からは姿が見えなくなりました。その後に及んでもまだ声も床を叩き蹴飛ばす音も聞こえます。 私は、次第に遠くへ去って小さくなって行くその音に、 「頼んだぞ」 と声を掛けました。 思わぬ大声でありました。自分でも驚くほどの声量でした。 途端、音がぴたりと止みました。 静寂がありました。息が詰まるかと思ったころ、 「承知いたしました」 泣き腫らした童めが、掠れた声を張り上げてそう答えてくれました。 山中では余り多くの兵を引き連れていたところで、かえって身動きが取れなくなりかねません。私は雀の涙ほどの兵を選びました。 その中に、沼田から「偶然」岩櫃に来ていた矢沢頼綱配下の禰津《ねづ》幸直《ゆきなお》を、無理矢理組み入れました。 幸直は私と年が近く、何よりこの男の母親が私の乳母であったこともあり、幼い頃は実の弟よりもなお親しくしておりました。 そのように気心の知れた者を側に置きたい心持ちだったと云うことは、この時の私は相当に気弱になっていたのでありましょう。 ああ、幸直は本当に「偶然」岩櫃にいたのか、と? そうに違いありません。私が幸直に、 「久しぶりに顔を見たい」 というような文を送ったのは、父が私に碓氷峠へ行くように命じるよりも「ずっと」前のことですから。 つまりは、私は「ずっと」心細かったと云うことです。 さても、私が選んだ者達は、精鋭とも云える者達でありました。さりとて、幾ら歴戦の強者そろいであっても、その時私が選び出した人数で、戦が出来るはずもありません。 それほどの少数でありました。 精鋭達は口にこそ出さぬものの、その顔に浮かぶ不安を隠しませんでした。 しかも私はその少数の兵達に、武装ではなく、山がつのさながらの身軽な装いをさせたのです。率いる私も、無論も同様の出で立ちです。 身支度した私達の姿は、遠目には猟師か農夫のように見えたことでしょう。 これには動きやすさと、偽装との両方の意味とがありました。 鎧や刀の類も、できるだけそうと知れぬように偽装させています。鎧櫃《よろいびつ》などではなく、ありきたりの行李に入れるか藁茣蓙《わらござ》の様な物に包み、槍をもっこ棒として、あるいは天秤棒として、運ぶのです。 それではいざと言うときにすぐに戦えぬ、と、お思いでしょう。兵達もそのように申しました。 「いざ、は、ない」 私は断言しました。 「もし、山中で誰ぞにであったとして、戦にはならぬ」 この頃の戦線は、信濃国境より離れたところにありました。 戦をするつもりの侍が戦場でも戦場への道筋でもない山の中に、武装したまま入ることは有り得ません。 戦をするつもりのない侍ならば……つまり戦場から逃げ出したただ一個の人間であるならば、鉢合わせしたところで畏れる必要はありません。 武装して「見せる」必要があるのは、峠に着いてからであう人々です。 「それでは変装する必要も無いのではありますまいか?」 ぬけぬけと申したのは幸直です。他の者達は口を開きませんでしたが、その顔色を見れば、我が精鋭達が私という将を信用していないことが知れるというものです。 仕方のないことです。 私は小倅です。しかも小心者です。 そのことを隠すつもりはありませんでした。 「私は腰抜けだ」 むしろ胸張って申しました。 皆、憮然たる面持ちで私を見ました。 「さりとてそのことで誹《そし》りを受けるのは口惜しい。誰からも『己が身の保身のために、大仰に兵を動かした』と思われたくないのだ。滝川様の側にも、北条殿の側にも。それから、行けと命じた父上にも」 「一番最後が、一番肝心にございますね」 幸直が笑んでくれた御蔭で、私も、他の兵達も、幾分か心が落ち着いたものでした。 準備が総て整い、いざ出立というその前に、さらにそれらしく見えるよう顔に泥や煤を塗ることを提案した者がおりました。私はその案を退けました。 「そのようなことをせずとも、そのうちに汗みどろになって汚れ、疲れ果てて人相が変わる」 私はつい三月ほど前の事を思い起こしておりました。 甲斐新府の城が、その主たる武田四郎勝頼様の御命令により焼き払われた時のことです。 私と弟の源二郎、姉妹とまだ小さい弟達、母や叔母、親戚の女子供は、城を出ることを許されました。 木曽昌義様が逸早く織田様に「付いた《寝返った》」がために、その縁者の方々が首を刎ねられたのは、その更に一月ほど前の事でした。 我々が命を拾ったのは、父が最後まで武田から離反しなかったためです。厳密に申すならば、離反を宣言しなかったため、かもしれません。 ともあれ私は、親族と、僅かばかりの女中郎党を率いて新府を出、私達だけの力で父がいる砥石へ向かわねばなりませんでした。 真田の猛者達は、殆ど父に率いられて砥石に籠もっており、そこから出て来ようがありませんでした。 武田の兵士は勝頼様に従って敵地へ行くか、武田を見限って各々故郷に行くかしました。 護衛など、頼みようがありません。 私達は深い山の中を彷徨いました。食料などを持ち出す暇はありませんでしたから、すぐに空腹に苛まれることになりました。何か採ろうにも地面は雪と枯葉に覆われ山菜の芽も出て居おりません。 致し方なく、唯一枯れていない物を採って食べました。 杉の葉です。 いや、ごもっとも。杉の葉などは線香や狼煙の材料であって、まったく人の食べる物ではありませぬ。 人ばかりか、獣もあのような物に口を付けるものですか。 鹿や猿めらが冬の最中の木の実も草もない時に致し方なく杉を喰うなどというときでも、葉ではなく木の皮を剥いで、その内側の柔らかい所を食べるのだと云いますから。 しかし我らは食べました。 食べるより他になかった。 一応、人間らしいことはしてみました。火を熾して、煮てみたのです。いくらかは食べやすくなるかと思いましたが……。 青臭く、油っぽく、渋く、苦く、固い。 いや、思い出しただけでも口が曲がります。 その時も私は曲がった口で私の精鋭達に申しました。 「いざとなったら、アレを喰えばいい。一息に十か二十は歳を取ったような渋い顔に変わる。だから、わざわざ出がけに何か細工をする必要はなかろう」 皆苦笑いしました。 武田滅亡の折には、その禄を食んでいた者達の大半が、大なり小なり苦労をしたのです。 父の下にいた者達は混乱の前に砥石まで引いておりましたから、私ほど酷い目を見なかったやもしれません。 しかし他の所にいた者達は、あるいは私よりも余程辛い目を見たやもしれません。 皆、そんな思いは二度としたくないと願い、同時に、またあの苦しみを味わうことになるやも知れぬと畏れました。 この時に誰ぞがぽつりと零した声が、未だ耳に残っております。 「そんなものでも、喰えば腹は膨れる……」 誰が申したのか、思い出せません。幸直か、あるいは別の者か。 存外、私自身が言ったのやもし知れません。 我らが隊の先頭には、禰津幸直が付くこととなりました。 幸直のみは、農夫の着物の上に古びた腹当鎧を着込んでおりました。腰には拵えの悪そうな刀が下がっております。 まるで、戦場から落後して彷徨ったその果てに、僅かな粟の粥を口にするのと引き替えに農夫の用心棒なったかのような、哀れな侍崩れのような格好をです。 好んでそのような格好をしたのではありません。私がその形をさせたのです。 そう云った哀れな格好を幸直にさせておいて、私自身はどうしていたかと云えば、隊の半ばに隠れるようにしておったのです。 お笑いなさい。 袖丈の合わない継ぎだらけの野良着を羽織り、破れ笠を目深に被って顔を隠し、身を縮こまらせていた、情けない私を。 「まるきり、用心深い百姓がどこぞへ何やらを運ぶ風情そのもの、ではありますが」 幸直は不平を露わに口を尖らせました。 戦続きの時世でありました。物持ちな百姓の中には財産を別所へ「避難」させる者もおりました。 ある日突然侍共がやって来て、徴集だなどと言い、米も野菜も家財も、時には人さえも奪って行くからです。 避難の途中で奪われては困ります。ですから物持ちは、村の力自慢の者が……大抵の男は農夫であると同時に地侍でありますから……戦に出ていなければその者に、そうでなければ、どこかの軍勢から逃げて……いや落ちてきた「侍だった者」を雇うのです。 「何か、不満か?」 私は幸直のふくれ面に尋ねました。 「誰であれ侍ならば、落人浪人の姿など、嘘でもしたくありませんよ」 幸直が言うのは当然のことです。誰しも敗残兵などにはなりたくありません。 大体、この時の我らと申せば、そうなりたくないが為に、必死を持って碓氷峠へ向かおうとしているのです。 「私も願い下げだよ」 だからこそ小狡い私は農夫のフリをしているのです。幸直は四角い顎を突き出して、 「ご自身がなさりたくないことを、それがしにはさせるのですな」 「ああ、させる。済まぬな」 「謝られても困りまする。と申しますか、若はいつでも誰にでも頭を下げればよいとお思いのようですが、それで大将が務まりましょうか」 「さあて、どうであろうな」 私が自信なく言うと、幸直は大きく頭を振り、息を吐きました。 「しかし、まあ……。若が侍でない格好をなさっても、まるで似合わぬことで」 「そうかな?」 「百姓の気概奇骨が感じられませぬ」 「うむ。私は弱虫だからなぁ」 「全く、若は昔から物知らずで臆病で泣き虫の狡虫であられるから」 「そうと知っているなら、文句を言うなよ」 「若に向かって文句が言えるほど厚顔無恥でも大胆不敵でもありません。それがしは若に輪をかけた臆病者。これは独り言です」 「よう聞こえる独り言だな」 「若が耳聡いだけです」 「そうか。しかし、お前も私の独り言が聞こえたらしいから、私以上に耳がよいのだろう」 「あれは独り言ですか?」 「ああ、独り言だ」 「左様で」 言うだけ言うと、幸直は突き出していた顎を引きました。 農夫の形をした侍達が、肩を揺らして笑いを堪えておりましたが、 「では、参りましょうぞ」 先導の幸直が号するのと同時に、皆笑うのを止め、静かに荷を担って歩き始めました。 先導は信濃を指して行きました。上州の側には滝川様方の方々も武田遺臣の者もいるのです。そういった顔見知りの方々に、ばったりと出会ってしまわぬ為の用心です。 戦に怯えるこの百姓が実は私であると云うことがすぐに知れてしまっては、私が困りますから。 だからといって道なりに進んで信濃に入ってしまっては、我々の顔をもっと良く知っている者達――例えば真田昌幸であるとか――そういう方々に出会ってしまいます。 ですから信濃の方向の、山の中に分け入ったのです。 そうして我らは山の中を進みました。 本筋の道ではありませんから、歩きづらいことはこの上ありません。もしも鎧など着込んでおったなら、すぐに息が上がってしまっていたことでありましょう。 私達は……というか、私という一人の小心者は、ちいさな物影が動くにも木の葉が擦れる些細な音にもおどおどと怖じ気づきながら、歩みました。 ところが、道行きには火縄の臭いも、血の臭いも、死人の臭いもないのです。 これから戦へ向かおうという軍も、戦場から逃げ帰ってきた人々も、追い剥ぎ山賊の類に堕ちた者共にも、出会うことはありませんでした。 私は安堵しましたが、殆ど同じくらい拍子抜けも感じたものです。 わざわざ装いを変えた用心は――山道が殊の外歩きやすく、道行きが思ったよりも随分と捗った以外は――ほとんど無駄と云ってよいものでした。 こうして、運良く、あるいは運悪しく、私達は何事もなく碓氷峠へとたどり着いたのです。 ご存じでありましょうが、碓氷峠は大層急峻な山道の果てにある難所です。一年の半分ほどは雪に閉ざされ、残りの半分は霧の中にあります。 坂東と信濃の境の要所で、古い昔から関所が設けられていた場所でありますが、その時はそんな面倒な代物はありませんでした。 ほんの半月ほど前まで、信州も上州もただ一人の支配者である織田様の下にあったのです。同じ「家」の中で物を動かすのに、わざわざ荷や人を検める必要がありましょうか。 確かに織田弾正忠信長という御仁がこの世の人でなくなった後、信濃と上野や甲州は、また別の「家」に別れてしまっておりました。 小さく別れた「家々」はそれぞれの「玄関」を守るのが手一杯で、関所までは手が回らなかった物と見受けられます。 ですから、番小屋や柵、門の類は、半ば壊れておりました。 それでもそういった物が形ばかりはいくらか残っておりましたので、一応我らはその物影に生きた人の姿が無いことを確かめて回らねばなりませんでした。 隠れている者が信濃の者であるならば、庇護しなければなりません。 信濃の者でないならば捕虜として……やはり庇護しなければならぬのです。 我らが調べた時、生きた人の姿はありませんでした。生きていた者の痕跡は僅かに認められましたが――。 日が経った亡骸を見ると、心苦しくなるものです。その仏が具足などを付けていれば、なおさらです。 我々は言葉もなく、百姓の装束を脱ぎ、具足を着込んだものです。 陽が落ちれば辺りには深い霧が巻き、宵闇とも相まって、山中は己の鼻先さえ見えない程でした。 我らは道筋から山中へ少し入った木々の影に身を潜ませました。 夜目の効く者に道筋を見張らせ、遠耳の効く者には地面と山中の音に聞き耳を立てさせ、上州から信州へ入る者の気配を探らせたのです。 そして私はと云えば――。ええ、お察しの通りです。巨樹の根に座り込んでおりました。 それでも、すぐ側に禰津幸直がいてくれた御蔭で、どうやら大将らしく背筋を伸ばしておられました。 この期に及んで背を丸め、ガタガタと震えるなどという失態を見せようものならどうなることか、想像に難くありません。 幸直から矢沢の大叔父を経由して、恐らく豪勢な尾鰭が付いた状態で、父に伝えられることになる。それだけは、どうあっても避けたい。 と、まあ、いかにも子供っぽい、つまらない見栄ではありましたが、そんなものでもピンと張っておれば、無様に倒れずに済むというものです。 頼りない見栄の糸にぶら下がって、口を真一文字に引き結び、目は何も見えぬ闇の彼方を睨むように見開いている私の傍らで、幸直は何も言わずにおりました。 思うに、恐らくは幸直も私と同じように、奥歯を噛みしめた青白い顔で闇を睨め付けるておったのでしょう。 湿った無音の闇は、人の心も時の流れを包み隠してしまいました。 突然、闇の中から声がしました。 「馬沓《うまぐつ》の音が聞こえます」 地面に耳を当てていた「耳効き」が、音も立てずに私の足元へ参ったのです。 夜明けの直前のことでありました。 「いずれから、いずれへ?」 それまで長く口を閉ざしていた私は、声が喉にへばり付いて、思うように口先へ出てこないような、奇妙な心持ちになったものです。 問われた「耳効き」の、 「上州の側から、こちらへ」 という返答は、私の予想と違わぬものでした。 「数は?」 「あの様子では、恐らく十騎もいないやも知れませぬ。あるいは二,三騎、それと歩行《かち》が十か二十か……」 これは予想外でした。私は驚くほど素直に、 「少ないな……」 と口に出しました。 「数には確証がございませぬ。なにせ、地べたが妙に湿気っておりまして、足音が聞きにくうございますれば」 そう言って「耳効き」は平伏しましたが、私はこの者の「耳」を完全に信頼することにしました。 多く見積もって三十程、少ない方に見積もれば十二,三名の者達が、上州から信州へ向かっているのです。 多い方の、三十というのが正しければ、何か――例えば奇襲であるとか――事を起こすための「別働隊」とも考えられます。 何しろ、我らの員数もその程度でありましたから。 また、十余と云うのが正しいとするなら、 「本隊からはぐれた……落ち武者の類でしょうか? あるいは、代掻き馬に荷を乗せて逃げ出した百姓家族かもしれませんが」 禰津幸直が乾いた喉を絞って声を出しました。 尤もな言です。私も七割方はそうであろうと思っておりました。 つまりは、三割ほどは違うと感じておった次第です。 試しに、三割のうちのそのまた三割程度の思いつきを、口へ出してみました。 「逃げ出した百姓の形をした斥候、あるいは忍びの類かも知れぬよ。我々がここへ来たのと、つまり同様の、だ」 幸直は一瞬息を詰まらせました。霧が撒いているせいであったかも知れませんが、顔色は真っ白であったと覚えます。 その白い顔の上に、硬い笑みを浮かべると、幸直めは、 「全く若と来たら、冗談が下手であられるから。それではお愛想程度にしか笑えませんよ」 かさついた声で言ったものです。 実のところ、私としては全くの本気の言葉で、冗談を言ったつもりなど微塵もありませんでした。 私が農夫のフリをして山中の獣道を進むような真似をしたのは、偏に他人に不審がられないがためでありました。 ですから、私でない、人に見咎められるのを畏れた哀れな小心者の誰かが、私と同じようなことを考えついて、同じようにしたところで、何の不思議があるというのでしょう。 ところが、その場にいた他の者たちはおしなべて幸直の言葉を信じた様子でありました。各々、疲れた白い顔にほんの少し紅をさして忍び笑いをしたものですから、私も「違う」とは言い出せなくなりました。 「そうか、つまらないか。済まぬな」 どうやらそれだけ言うと、皆と同じように嘘笑いをしたのです。 不思議なことですが、その途端に、頭の奥に引っ掛かっていた、得体の知れない怖ろしさ、あるいは薄暗闇の様なものが、少しばかり晴れました。 腹の奥からの哄笑でも、苦笑いでも、空笑いでも、泣き笑いでも、何であっても、笑った者が一番強い。 幾分か年を重ねた今となればそう思えるのですが、あの頃の子供の私には、そこまでの理解は……恐らく無かったとは思いますが……。 ともかくも、時を置かずして少なくとも十人を越える人の一団が峠越えをするであろう事は確かでありました。 このあたりの山中を行く街道は堀割道でありますから、道の両脇は高くなっております。 我らはその僅かな高みに潜んで、上州側に目を凝らしました。 夜の暗闇はすっかり払われていたのですが、霧はむしろなお一層濃くなってゆきました。 鳥の啼き声が枝間を抜けてゆきます。 枝葉の揺れる音の間に間に、別の音が聞こえた……そんな気がしたとき、件の「耳効き」が、 「馬五頭。内騎馬は三。鎧武者。荷駄に馬丁がそれぞれ一人。二頭とも恐らく荷を負っているでしょう。歩行軽装一五ほど、長持か駕籠のような物を担いで歩く二人一組の足音が二組」 と、ここまでは淀みなく言ったあと、一呼吸置いて、僅かに不審げな声音となって、 「……女子供らしき足音が五つほど」 と言い、ちらりと上に眼をやりました。 見やった先の太い科《シナノキ》の枝に、人影がありました。 |
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