そのねじ曲がった性格の男は、案外と早く番兵との交渉を成立させた。
もっとも、素直にコトが進んだのではない。想像通りに、兵は最初心付けを受け取らなかった。
「頼みますよ。でないと……怒られちまう」
兵は、ブライトがちらりと視線を投げた先にいた1人の若者の、古風で上品な居住まいを確認すると、渋々小銭と封書を手に宮殿の中に入っていった。
さて。
エル・クレールは、酷く陳腐だが「複雑な」という言い回しでしか表現できない表情を二つ見ることとなった。
一つ目は、グランドパレス執事長・ラムチョップのそれである。
裏門の外に立つ二人連れの顔を見た瞬間の彼の顔は、まさしく複雑であった。
彼の表情の大半を占めていたのは、そこにいるはずのない人物を発見した、という驚愕だ。
しかしそれは、幽霊であるとか幻であるとかいう「いるはずのない」を見た時の、恐怖と否定に満ちた驚愕ではない。
例えれば、遠国に嫁いだ娘が前触れもなく目の前に現れた時の父親の顔……驚きと不安と喜びの混じった……であった。
その複雑な顔のまま白髪頭の執事長は、
「謁見室よりも私室にご案内した方が、ギネビア様はお喜びになると存じますので」
と言い、二人を宮殿内に誘った。
決して客人の目に触れることのない細い廊下を抜け、急な階段を上り、たどり着いたのは、小さくて頑丈なドアの前だった。
執事長の骨張った拳がドアに数度当たる音の後、そのドアの内から声がした。
「何事ですか、ラムチョップ」
宮殿の主は、靴音とノックで誰が来たのかを把握できるほど気の回る人物なのだと言うことが、ブライトにもエル・クレールにも感じ取れた。
「お客様をご案内致しました」
「……裏口から、ですか? 良いでしょう、お入りなさい」
ラムチョップはドアに一礼して後、ノブを引いた。
エル・クレールが二つ目の「複雑顔」を見たのは、そのしばらく後のことである。
しかしそれは、宰相姫とも呼ばれるギネビア=ラ・ユミレーヌの、知的に整った顔立ちの上に現れたのではない。
ギネビアは確かに驚いていた。
驚いてはいたが、それは紛れもなく「喜びに満ちた驚き」で、さほど複雑なものではなかった。
「来てくださるとは、正直なところ思っていませんでしたわ」
そう言う彼女の口調は穏やかで冷静だった。が、駆け寄る足取りは軽く早かった。ステップはさながら小娘のようであり、宰相姫には不釣り合いで、少々はしたないものだった。
彼女は真っ直ぐに訪問者達の元へ駆け寄り、結い上げたブルネットの頭を胸に埋めた……エル・クレールの小さな胸に、である。
「ああ、本当に懐かしいこと。クレールさん、また少し背が伸びましたか? 初めてお逢いしたときはもっと華奢で、抱きしめたら折れてしまいそうでしたのに。このように言っては失礼かも知れませんが……しばらくお逢いしないうちに、ずいぶんと逞しくなられて」
せき止められていた物が全部流れ出したといった勢いだ。突然のことに驚いたエル・クレールは、助けを求めようと連れの方を見た。
そう。そこに二つ目の複雑な顔があったのだ。
ブライト=ソードマンは、拍子抜けと照れと少々の怒りと嫉妬と困惑が不十分に撹拌された複雑な苦笑いで頬を痙攣させつつ、口をだらしなく半開きにして、二人を見ていた。
一瞬の茫然の後、ようやく彼は抱きつかれている相棒と抱きついている知己の隙間……殆どないのだけれど……に強引に分け入り、
「いい加減にしろよ、このバカ姫どもが!」
二人を引き離した。