桜〜SAKURA〜 − 知流姫 【1】

 ああカシノキ先生、申し訳ありません。はい。ウメノキさんからうかがっております。
 わざわざお運び下さいまして、ありがとうございます。
 本当ならこちらから伺った方がよろしいのでしょうけれど、こうねついてしまいますと、動くに動けませんものですから。
 その節は、通り向こうの妹が大変お世話になりまして。
 ええ、先生の評判は妹からも伝え聞いておりますよ。頂いたお薬がたいへん良く効いたって。
 あの子、酷い按配でしたでしょう?
 あのあたりは昔から日当たりが悪うございましてね。それに大通りが近こうございましょう? 空気も良くないらしくて、妹は息苦しいと零していると、メグロさんの奥さんが口づてに。
 それでもそうそう引っ越すわけにも行きませんからねぇ。あの子も、わたしもですけれど、ご近所様には良くしていただいておりますし。住めば都と言いますからねえ。
 ええ、妹たちはこちらに来ましてからもう六十年の上になりますよ。あの戦争の後、しばらくしてからこちらに来ましたから。
 この下の、川原のあたりに、飛行場がございましたでしょう? ああ、先生はお若いからご存じないかも知れませんけれど、あったんですよ、むかし、小さな飛行場でしたけれどね。
 そんなものがあったりしたものだから、あのあたりには少し空襲がありましてねぇ。たまに町の中にも爆弾が落ちてきたりしたものです。
 それでお町がひどく燃えてしまいましてね。元あったお屋敷や建物はみんななくなって。新しく道路やらなにやらを引き直したときに、妹たちはこちらに参ったんですよ。
 はい、私はもう少し前から、こちらにお世話になっております。妹たちよりは、ざっと十年は長いでしょうねぇ。
 もうずいぶん昔です。わたしはまだこんなに小さくて、風が吹けば折れそうなくらいに細くって。
 見る影がございませんでしょう? いまではこんなに太っていますものね。肌も皺が寄ってひび割れてぼろぼろですもの。
 腰が折れてからは、ずいぶん低くなってしまいましたけれども、若い頃はこのあたりで一番背が高かったんですよ。
 子供たちときたら、みんな私の肩に登りたがりました。遠くまで見える、山の向こうの海まで見える、風の声が聞こえる、波の音が聞こえる、などと申しましてねぇ……。
 うふふ。見えやしませんよ。海など見えたり聞こえたりいたしません。
 でも子供には、大人には見えぬものが見えるのですよ。大人には聞こえぬものが聞こえるのですよ。
 ああ、先生はどうやら見えて聞こえるようですねぇ。大人には珍しい方ですよ。いないわけじゃありませんけれど、珍しいですねぇ。
 お怒りにならないでくださいな。決して莫迦になどしておりません。するものですか。おかげでこうして話が合っておりますもの。
 このところは私の話すことを本当にしてくれない人ばかりですのよ。子供たちも、学年が上がりますと、私の処へは来てくれません。中には子供だましだなどという者もいる始末です。……自分も子供なのにねぇ。
 ええ、そうです。ここに人が来ること自体、なくなってしまいました。
 前庭の、あの遊び場で、お子さんが怪我をなさってね。古い昇り棒が根元から折れて。
 そのあと、このお庭そのものを閉めてしまうことになるだろうと聞いたんですよ。
 ここも古い遊び場ですから、仕方がないのかも知れません。
 ええ、このお庭も戦争の後の区画整備というのですか、あれのおかげでできたものです。
 元々は学校でしたのよ。
 このあたりが校門です。あちらが校舎でした。燃える爆弾がが落ちて、何もかも燃えてしまいましたけ


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