後々弟から聞いたのですが、宗兵衛殿は握り拳を結んで、手の甲に固く盛り上がった骨の先で、私の頭を軽く小突いておられたのだそうです。
拳骨ほど恐ろしいものは無いというのが、私の持論です。
殴打の武器としても、他のどの道具よりも自分の思うた通りに操れますし、防御の術としても、どのような楯や鎧よりも軽く取り回せます。
己が痛みを堪えさえすれば(そして、拳一つ潰してでも勝ちたい、生き残りたいとの思いがありさえすれば)これほど扱い易い武具はないのです。
ただ、この時の宗兵衛殿には、拳を武器として使う気は無かったことでしょう。おそらくは、からかい半分に私の頭を小突いていただけです。
所がそのからかい相手が、
「むぅん」
と唸ったかと思うと、突然ゴロリと転がって、そこからぴくりともしなくなったとなれば、驚かないはずがありません。
いえ、何分私は気を失っていたのですから、実際の所は判りかねるのですが、多分驚かれたことでしょう。
宗兵衛殿ばかりでなく、一益様も、ご一同様も、そして我が父や弟も、皆驚いたはずです。あるいは、私の小心振りに呆れたことでしょう。
私は気を失ったまま、我らの仮住まいの館へ戻りました。
無論、我と我が足で歩いたわけではありません。
私は背負われて帰ったのです……父の背に。
そう、父は馬にも乗らず、私を負って歩いた、らしいのです。
らしい、という遠回しな言い様なのには理由が二つあります。
当の私がそのことにまるきり気が付かなかったからという、情けない理由が一つ。もう一つは家中の者が「そのこと」について口を閉ざしているということです。
茶会の翌朝、私は
「どのように戻ったものでしょう?」
という、至極当然な疑問を口にしました。
これに答えてくれる者は一人としておりませんでした。皆口ごもったり、うつむいたり、私と目を会わそうとしません。
ただ源二郎だけは私から目を反らさずに、生真面目くさった顔つきで、
「兄上は父上の『お背な』にぴたりと貼り付くようにして、そふわりふわりと歩いて戻られました」
と答えてくれました。
ただ、何度聞いても、返ってくる答えは一緒なのです。一言一句間違いなく同じ答えです。まるで子供が論語を諳んじているかのようでした。
と、なれば、この言葉をそのままに受け止めることができましょうか。
疑り深い私は、弟の言葉を信じることが出来ませんでした。そして考えたのです。
確かに私は父の背中にぴたりと付いていたのでしょう。私の体は間違いなくふわふわと揺れていた筈です。しかし歩いたのは私ではない。
父に違い有りません。
亡き信玄公から「我が眼」とまで言われた無双の武士である父のことですから、気を失って手足に力のない者を負って歩くことぐらい、造作もないことでありましょう。
父は小柄な男です。
一方私は哀しいかな父に似ず背ばかり高い独活の大木です。
小柄な父が大男の私の足を地面に引き摺りながら歩いたに違い有りません。
「そうか、私はつま先や足の甲で立って歩いていたか。道理で足袋ばかりか中の足まで塵まみれだ」
私が少々意地悪く申しますと、源二郎は
「はい、兄上は大層器用なお方にございますれば」
と、臆面もなく申したものでした。
途端、私の、事の次第を父に確かめたい、という考えが消えてしまいました。
元より、訊いたところで本当のことを教えてくれるとは思うておりませんでしたが、答えが出なくても訊くだけ訊きたいという心持ちだけは有ったのです。
父が何を思うて「莫迦息子」を負って歩いたのか