小懸 ―真田源三郎の休日―【本編】 − 【4】

 私は文を眺めながら、思わず肩を揺らして、しかし声に出すことはどうやら堪えて、笑っておりました。
 私の頭の奥には、初めて訪れた萬屋の座敷で、自分の家におられるかのようにくつろいで、文を書いている前田慶次郎殿の姿が浮かんでおりました。
 その傍らにいる萬屋の主が、初めてあった大柄な侍を、まるで十年前からの同居人のようにあしらっている姿も、です。
 慶次郎殿ならば初対面の相手でも気に入れば刎頸の友のように接するに違いなく、萬屋のほうも初めての客であっても「これ」と見込んだ相手なら心を開くはずだ、と思ったからです。
 それから、野山に出て何もしないことを楽しんでおられるような慶次郎殿、欲しいものを見付けて子供のように夢中で眺めている慶次郎殿の姿も、まるで現のように想像できます。
 それと、巨大な黒い馬に打ち跨った慶次郎殿が、今にも庭先にひょっこりと現れる、その光景も、ありありと見える気がしました。
 私は今すぐに筆を取り
『いつ何時でもお越し下さい。門は開け放ち、戸も鍵を開けてお待ちしております』
 と書きたい気分でした。
 その文が先方に届けば、おそらく慶次郎殿は本当に夜半の山道に馬を走らせて、岩櫃のこの山城を訪れてくれることでしょう。
 私はその様子を想像し、楽しさのあまり身震いしました。
 その楽しさを押さえ込むのには大層苦労しました。
 そこへ垂氷は
「御返書は? 若様がお望みでありましたら、今日の内に先方へお届けいたしますよ。わたしは歩くのが得意ですから」
 自信ありげに微笑してみせたのです。私は何故か泣きたい気分になりました。
「その日書いた文の返書がその日の内に届いたら、どうなると、垂氷は思う?」
 こう尋ねると、垂氷は瞬きをしながら小首を傾げました。
 どうやら、自慢の健脚が己自身にとっては当たり前に過ぎるので、その速さが尋常ではない事柄で、ともすれば怪しまれるやも知れぬ代物であることに、思い至らない様子です。
「最初の手紙を持って出た者も、返書を携えて戻ってきた者も、普通の人ではないと思われるぞ」
 私がそう言っても、まだ理解が出来ていない様子でした。
「萬屋には普通でない者が出入りしているとか、その萬屋が真田贔屓だとか、萬屋の主人は店に出入りしているノノウや商人や百姓の格好をした者たちが『草』であることを承知しているだとか、承知しながらそれを滝川様に報告していないとか、そういうことが滝川様のご一門に知れても良いか?」
「そうなるとどうなりますか?」
「こうなる」
 私は自分の首に手刀を当てました。
 垂氷の顔が、僅かに強張った様に見えました。私は薄く笑い、言葉を続けました。
「なにしろ私たちは織田様の家臣になったばかりだ。良い家臣でなければならない。上役に隠し事をすることなどないような、ちゃんとした家来でないとな。でないと私たちだけでなく、お前達ノノウも、それから萬屋も、萬屋に出入りしている者達も全部コレだ」
 私が再び手刀を首元に打ち付けて見せますと、垂氷は首を横に振りました。
「それは困ります。若様はともかくも、千代女様の首が飛んでは、困ります」
 これを真面目な顔で言うのですから参ったものです。
「お前、私を主とも雇い主とも思うておらぬな」
 私は苦笑いするより他にありませんでした。
 結局、私が返書をしたためたのは翌日の昼過ぎで、それを垂氷ではない、繋ぎ役のノノウに託して、萬屋へ届けさせました。
 そして萬屋の者がその又翌日に慶次郎殿の元へ届けてくれるように、と言づてました。
 一瞬、直接前田邸へ届ようとも考えたのです。間


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