ターミナルの切符売り場で、主税は呆然と立ちつくしていた。
目の前…45°下方…に、知った顔があった。
満面の笑みを浮かべ、小さな手でN県までの指定席切符を差し出しているのは、紅白帽に半ズボンの体操着姿で、リュックと水筒を携えた、どう見ても遠足スタイルな小学生だ。
「優…」
主税は鼻の頭を掻いた。
「お義母(おふくろ)の差し金だな」
主税が今「母」と呼んでいるのは、死んだ実母の妹であり、従妹・美沙緒の母である白鳥潤南だ。彼女が、父が行方知れずとなり、母が没した主税を引き取った、育ての母だからだ。
「ジュンナセンセイは、学会の会議で出かけちゃったモン」
遠足少年…緑川優(みどりかわ・ゆう)は楽しそうな浮かれ声で答える。
「だからボクがお目付役を任されたってワケ。『主税クンはせっかちで行動派だから、絶対今日中に出かけるはずよ。駅で待ち伏せれば、確実に捕まえられるわ』だって」
「しっかり行動パターンが読まれてる…」
頭を抱えた主税の、その脳裏に義母の…絶対に実年齢に見えない…勝ち誇った笑顔が浮かんだ。
それにしても…。
「この不良小学生め。明日の授業はどうするつもりだ?」
「ちゃんと休むって担任に言ってきたよ。…大体、今更『飽和水溶液からホウ酸の結晶を取り出す方法』なんてこと、教科書読むだけの授業で教わりたくないし…実験でもするならともかくさ」
頭の後ろで手を組んで空を仰ぐと、優は唇を尖らせた。
「給食の時間をすっ飛ばしても構わないくらい退屈と言う訳か?」
上を向いた紅白帽の鍔をつまんで持ち上げながら、主税はニッと笑んだ。
緑川優が功徳学園初等部へ転入したのは去年のことだ。
だが授業に出るのは週に2日か3日で、しかも遅刻や早退ばかりである。出ている授業中だって、真面目に勉強している風ではない。ぼんやりと窓の外を眺めたり、ノートに授業とは脈絡のない数字や幾何学的な図形を書き連ねたりしている。
そしてそういうことに飽きると、ふらっと(しかし、ちゃんと時限間の休み時間を選んで)教室から出て行く。向かう先は、初等部と同じ敷地の反対側の端にある、大学の研究室棟と決まっている。
そこで何をするかというと、教授や研究員らと議論をするのだ。主に高等数学と高等物理と、まれにコンピュータ技術について、熱いディスカッションを交わすのである。
彼が功徳学園に居る真の理由は、実はキャンパスにこそある。イギリスの某大学の博士課程をすでに修了させている優にとって、小学校生活は「暇つぶし」に過ぎない。(実は当初、白鳥理事長は彼を「教育する側」の人材として招いたのだ。教授連が「若すぎる」と言う理由で拒否したこともあって、どういったワケか初等部に編入することになった)
「う〜ん。それだけがちょっと心残りかな。実は明日のメインディッシュはチキンのカレーなんだ」
「そいつは残念だったな」
「ま、優クンはチキンカレーよりチカラの方が好きってコト。どーだ、うれしいだろ?」
こういう「人間の感情や愛情表現に関する感性」の部分だけは妙に単純で、10歳の少年らしい優ではある。
「はいはい」
主税は優が再び差し出した新幹線のチケットを受け取った。
タイミング良く最速タイプ(各駅に停車しない、在来線で言えば快速か特急のような)の新幹線に乗ることができたので、二人は終点のN駅まで1時間30分ほどで着いた。
目的地に向かうには、そこから私鉄か路線バスに乗り換えねばならないのだが、接続のタイミングが少々悪かったためタクシーに乗ることにした。
「黍神山(きびかみやま)へ行きた