ブライト・ソードマンには自分自身についてかねて大いなる疑問を抱えていた。
それは彼の脳漿に「四年より以前の彼自身にまつわる記憶」がないことではない。
当たり前の感覚を持っている人間であればこれ以上の悩み事はないであろう。ところが、彼はそのことを深く思い悩むんでいないのだ。
頭の痛いことではある。昔の己を思い起こそうとすれば文字通りに頭痛に苛まれるのだ。
しかし彼はその原因を頭に傷を負ったからではないと考えていた。
おそらく心の奥底、自我の深層で、
『元の自分は自分自身を嫌っているのだろう』
というのが、彼の出した結論だった。
その上で、
『思い出すことに拒絶反応が出るほどに嫌っている「人物」のことをすっかり忘れてしまえているのなら、今の己の状況はむしろ喜ぶべきだ』
と、これを悩みと認識しないことにしている。
彼が悩んでいるのは別の事柄だ。
ブライトはまばらな無精ひげに覆われた頬桁をなでた。鏡もない路上では確認しようもないが、少しばかり赤みを帯びて腫れているだろう。
怪我などというご大層なものではないし、痛いとも思わない。
彼は頬桁に「美しい右ストレート」を見舞った張本人の顔をちらりと伺った。
エル・クレールは右手の甲をさすりながら、怒り、拗ね、呆れて、なにやら口の中で文句を言っている。
『これに限って、何で避けられンかね?』
確かに彼女は並の男どもから比べれば剣術の巧みではある。もちろん「人間でないモノ」を相手にしても後れをとることがない。
その腕前の半分、すなわち基本の部分は、天賦の才と幼い頃からのたしなみによる。そして残りの半分は、ブライトが実戦を交えながら教え込んだ結果である。
それゆえこの一点において、エル・クレールは彼のことを師も思い、尊敬している。
筋も憶え良いこの「弟子」は、しかしどれほど鍛えても「師匠」には敵わない。
彼女は永遠に彼にだけは勝てないだろうと悟っているが、それでも近づけるところまでは追いかけてやろうと励んでいる。
その一途さまじめさが、ブライトをも修行に駆り立てていることを、彼女は気づいていなかった。
彼は剣士としてのエル・クレールを女子供とあつかってなどいない。
弟子であるとも思っていない。
自分を脅かす存在ではないが、絶対に負けられない相手だと見ている。
彼女が一つ上達したなら、己も一つ腕を上げねばならないと考え、実際にそうしている。
師弟と言うよりはライバルの関係に近い。
兎も角。
剣術において、エル・クレールとブライトの技量には確乎歴然とした「差」があって、それ故ブライトがエルの打ち込みをかわせぬ筈はない。
もちろん、剣を使わぬ格闘術でも同様だ。
ブライトがエル・クレールに投げ飛ばされたり、締め落とされたり、殴りつけられたりすることなどありよう筈もない。……普段であれば。
ところが、彼が彼女の肉体に「愛情を持って(これは彼の言い分に過ぎないが)」触れたときに彼女が繰り出す攻撃に限っては、避けることも防ぐこともできず、朝方のように投げ飛ばされ、今のように頬を腫らせる結果となる。
このことに彼は悩んでいる。
避けられない不思議にではなく、避けない自分を訝しんでいると表現した方が正しい。
時折、自分が無意識に『殴られたいと望んでいる』か、あるいは『殴られること喜んでいる』のかもしれぬと考えが及ぶこともある。
好いた相手に殴られることを快楽と感じる人間がこの世にいるという話を、どこかで聞いた覚えがあった。
あるいは自分もそういった性癖を持っているの