子供のない老夫婦がありました。
石の壁の小屋に住み、毛玉牛を二頭飼い、小麦の畑を三反ほど耕して暮らしていました。
小屋は古くて、すきま風がぴゅうぴゅうと吹き込みます。
牛は痩せていて、ぜいぜいと息をします。
畑は荒れていて、ぼうぼうと雑草が生えています。
老夫婦が若くて元気な頃は、すきま風が吹けばすぐに二人して漆喰で穴を埋めましたし、牛には二人して飼い葉をたくさん抱え持ってえさやりをしましたし、畑に草が生えたら二人して隅から隅まで草取りをしていました。
ところが二人とも、すっかり歳を取ってしまったので、漆喰をこねると腕が痛くなり、飼い葉を担ぐと肩が痛くなり、草取りをすると腰が痛くなってしまいます。
老夫婦は二人っきりで暮らしておりますから、おじいさんの肩が痛くなるとおばあさんがもんであげます。おばあさんの膝が痛くなるとおじいさんがさすってあげます。二人で腰が痛くなると、二人でベッドに横になります。
二人は腕が痛くならないくらいに家を手入れして、肩が痛くならないくらいに牛の世話をして、腰が痛くならないくらいに畑仕事をして日々を過ごしております。
家はどうやら崩れずにおりますし、牛はどうやら乳を出してくれますし、畑はどうやら収穫ができますから、二人はどうやら暮らして行けます。
たくさんは食べられませんし、たくさんは着飾れませんし、たくさんの家具を揃えられはしませんけれど、二人とも今のままで良いだろうと思っておりました。
ただ、たまに、ちょっとだけ、心の隅っこで、
「今のこのうちに、あと一人、いやもう一人、男の子と女の子の子供がいたなら、どんな楽しいだろうかな」
と思うことがありました。
お隣の家の同じくらいの歳の夫婦に、男の子と女の子の子供が一人づついるのを、とてもうらやましく思っていたからです。
ただ、おじいさんはそう思っても口に出しませんし、おばあさんも言いませんでした。
二人とももう歳を取りすぎていると分かっていましたし、二人とも相手がそのことで悲しんでいると知っていたからです。
ある日のことです。
二人はニワトリが鳴く前に目をさまし、日が昇りきる前にふすま粥を食べました。そうして朝露が乾く前に、小屋から出ました。
その日は村の外れの神殿にお参りに行く日だからです。
おじいさんは左手に杖を持っています。おばあさんは右手に杖を持っています。
空いた右手と左手で手を繋いで、どっこいしょ、よいこらしょ、とゆっくり歩きます。
神殿まで後半分まで来たところで、二人は道端の石に腰を下ろして休みました。
おばあさんが煎った空豆の入った袋を出します。おじいさんがチーズの上澄みの入った水筒を出します。
二人は煎り豆を口に入れましたが、堅くて噛むことができませんでした。
「若い頃にはパンと同じようにぱくぱく食べられたのに、歯が無くなってしまってはしゃぶるよりほかしかたがない」
おじいさんは小さくため息を吐きました。
それから二人は、チーズの上澄みを口に含みましたが、酸っぱくてむせてしまいました。
「若い頃には水と同じようにごくごく飲めたのに、喉ががさがさになってしまっては口の中を湿らせるだけしかしようがない」
おばあさんは小さくため息を吐きました。
二人は哀しくなりましたが、顔を見合わせるとにっこりと笑い合いました。二人とも同じように歳を取っているのですから、年寄りの気持ちがよく分かるのです。
老夫婦はお互いの杖にすがり、お互いの手を引き合うと、よいこらしょっと立ち上がりました。そうしてまた、どっこいしょと