みまちがい − 2 【2】

ったぞ。儂は踏みとどまって討ち取ってやろうと思いはしたが、馬めが竿立ちになるは足踏みするわで、前に出ぬ。逃げ出すより他に手がなかった。思い出すだに口惜しい、口惜しい」
 まくし立て、ぎりりと奥歯を噛んで後、さらに、
「儂は真田と手打ちをするのは反対だった。あんな小賢こざかしい策を弄ろうする者共は好かぬ。水攻めは嫌じゃ、待ち伏せは嫌いじゃ。ところが殿は儂の言などよりも可愛い万千代めの言葉の方が耳に良く聞こえるらしい。あげく平八郎までが殿を唆《そそのか》しおった。思い出すだに口惜しい、口惜しい」
 また奥歯をぎりぎりと噛む。
「致し方なし、その真田の嫡男とやらが来たならば、一言言って聞かせねば成らぬと思うていたが、なんのその面見れば、あのときのあの強者ではないか! あれほどの戦い振りをする男であれば、たとえ小賢しき卑怯者であっても、徳川の臣として申し分ない!」
 ここまで一息に言うと、忠教は胸を反り返し、フンと鼻息を吹き出した。
 信幸は困惑した。
 どうやら己の不満を言い終えて満足している様子の忠教ではあるが、まだ自分の前に立ちふさがっている。振り向いて戻りたい。城から出たい。そして、
『早く我が家に帰りたい』
 信幸は脂汗の浮いた額を撫でた。
「大久保様、残念にございまするが、仰せの荒武者は、手前ではないかと存じます」
「むっ? 儂が敵《かたき》の顔を間違え覚えていると申すか!」
「いえ、大久保様でなくともお間違えになられましょう。彼の武者は手前の従兄叔父《いとこおじ》の矢沢三十郎頼康《やざわ さんじゅうろう よりやす》で在ろうかと存じます。三十郎は手前と背格好がよく似ておりますれば、家人であっても、遠目に見間違えることが多うございまして」
「いや、そのようなことはあり得ぬ。儂が目は節穴ではないぞ。確かにあれは其方であった!」
 忠教のつむじのあたりから湯気が噴き出した。
 信幸は苦笑いした。
「大久保様、手前の常の柄物は槍にございます。薙刀や長巻きはよう使いませぬ」
「何と!?」
 忠教は三歩跳び下がった。眼と口とが大きく開いている。
 好機であった。
「それに手前は小心ゆえ、小勢で追撃する戦は不得手にございまして」
 信幸は早口で言うと、すっと頭を下げ、素早く踵きびすを返し、足早にその場を立ち去った。
 しばらく置いて、背中の側から大声が聞こえた。
「ええい、小賢しい真田の小僧めが! あのおり、天野小八郎が、十七、八ばかりの小倅と斬り結んでいるのを、仏心を出して『子供を殺すようなむごいことはするな』と止めて、小倅をば逃がしてやったが、ああ、止めるのではなかった! 真田の兵は片端から討ち取るべきであった」
『ああ、胃が痛い』
 信幸は振り返らず、しかし一礼して、大きく息を吐いた。


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2017/12/23update

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