番外編 舞殿の【女帝】2
港と迎賓宮殿……グランドパレス……とを結ぶ道は、壮麗な馬車の群れで渋滞していた。
馬車の中では各国の貴族達が退屈そうに、ちっとも変化しない車窓を眺めている。
馬車は全て「個性的」であった。あるいは金を張った彫刻で、あるいは螺鈿で、あるいは象牙で、ともかくも派手な装いのものが多い。
「ちっぽけな新興国ほど、見栄を張りやがる」
悪態を付きながら、ブライトは細い路地に入っていった。
エル・クレールにはそれが道には見えなかったし、
「果たしてここは通って良いのか、そもそもここを通ってたどり着けるのか」
という疑問も浮かばなかったのではないのだが、ちらりと後を振り返り見た瞬間、それを口に出す気は失せた。
なにしろ豪華な馬車の群れが幹線道を埋め尽くしているのだ。辻馬車や荷馬車、手引きの荷車、そして徒歩で行く人々など、普段その道を通っているものは、通るどころか入る隙もない。
遠慮も迷いもなく進んで行く相棒の後を付いて行くより他に術はなさそうだった。
私道か、誰ぞの庭の中か知れぬが、とりあえず人一人歩くのが精一杯の場所をしばらく進むと、いきなり広い道に出た。
広いと言っても、今進んできたところよりはと言うだけで、やはり幹線ではなく裏道ではある。
表通りほどではないが、やはりそこも人であふれていた。ただし、列を拵えているのは、派手な馬車ではない。食材を満載した荷車、楽器ケースを屋根に載せた二頭立て、清潔な服を着た商人と、質素な装いの下男下女達だ。
「どうやらパレスの裏口は近いようだ。とりあえず、当たりだな」
ブライトは薄く笑った。その安堵した笑みに、エル・クレールは少々背筋が寒くなった。
「まさか、まるきり道を知らずに歩いていたのですか?」
「目標物の方角さえ間違えなきゃぁ、なんとかなるものさね」
「本当に、あきれた人ですね」
言葉面は確かに「呆れ」だったが、言っている顔にはある種の「尊敬」が浮かんでいた。
「今に始まったこっちゃねぇだろうが。そろそろ慣れろ」
ブライトは、幼さの残る相棒の笑顔からわざと顔を背け、大げさに当たりを見回した。
道の対岸には高い塀が延々と続いている。これが宮殿を囲む塀であることは間違いない。
塀の向こう側から無数の気配があるのは、おそらく警備兵が充分にいるからだろう。
「さすがに忍び込む隙はねぇな」
まじめな顔をしてブライトがうなる。
エル・クレールの顔から「尊敬」が跡形もなく消えた。
「裏口からおじゃまするつもりなのだと思っていましたが?」
「誰にも気付かれることなく、宰相姫殿下にだけ会釈の一つもぶちかまして、そのままトンズラする予定なんだが、駄目かね?」
ブライトはあくまで真顔で言う。
「それができれば、確かにそうしたいですけれど……」
エル・クレールは宮殿を囲む石塀を見上げた。きっちりと積み上げられた切石には、文字通り蟻の入る隙もない。
日の当たる側には雑草の一芽も生じず、日の当たらない側に苔の一株が張り付くこともない。手入れも掃除も、そして当然監視の目も、隅々までしっかりと行き届いているのだ。
おそらくは宮殿の奥深くにある女当主の居室に、誰の目にもとまらないでたどり着けるはずのないことは、容易に想像できた。
「不可能ですよ。中から誰かが手引きしてくれるというなら、別ですけれど」
全く諦めきって言うエル・クレールの言葉に、ブライトの目が光った。
「手引き、ねぇ」
彼はニタリと笑い、相棒の鼻先に掌を突き出した。
「この手は?」
「持ち合わせがないんでね」
「もしや、宮殿の中の者に
賄を贈る気ですか?」
「常套手段だろう?」
ブライトは笑顔を大きくし、掌を再度突き出した。
が、その節くれ立った掌に乗った……いや勢いよく叩き付けられたのは、小銭ではなくエル・クレールの白い手だった。
薄い肉を叩く乾いた音の直後、ブライトは大仰な悲鳴を上げ、
「指が砕けた、手首が折れた!」
大げさに手を振り回した。エル・クレールの顔に浮かんでいた呆れは、一層その色を濃くした。
「例えどれほど給金の低い下働きであっても、ギネビア殿の配下であれば、鼻薬が効くはずもありません」
どうやら「骨折の心配」はしてくれそうもない相棒の冷静な物言いに、ブライトは少々がっかりした様子で、
「ンなこたぁ、百も承知だ」
「ならば何故?」
「生真面目な国の生真面目な臣民にゃ、鼻薬だの賄賂だの送っても、そいつはドブに財布を捨てるようなモンさ。だがな、謝意と御礼の籠もった心付けは、神殿の浄賽箱に賽銭捨てるよりよっぽど御利益があらぁな」
「謝意と、御礼、ですか?」
エル・クレールは二、三度、早い瞬きをした。
「ああ。その辺の下男に『執事長のラムチョップを呼んでくれ』って言いながら銅貨を一枚渡すってことさ」
ブライトは三度相棒の鼻先に掌を突き出した。
エル・クレールは、鼻先の大きな掌の上に、小さな銀貨を一枚乗せた。
「飲み代には、ちいとばかし多いぞ」
ブライトはむしろ少々不服そうに言う。
「俺にだってこんなに小遣いをくれた試しがねぇってのに」
「私はただ、使うべきところには使い、必要のないところには投資しない主義なだけです。大体この豊かな国で、末端とはいえど王家に仕えている人物に渡す心付けが、子供の駄賃ほどでは、何ら効果を生み出さないばかりか、渡した方が恥をかいて終わるだけですよ」
「そりゃそうなんだがな。ま、親分がギネビアだから、子分どもの教育も行き届いてるだろう。下手すると、こいつは受け取られないって可能性も捨てられネェな」
自分で「心付け」を提案したにもかかわらず、ブライトは弱気に言って、銀貨を握りしめた。視線の先に宮殿の裏口がある。
番兵が1人、天からつり下げられているかのような背筋の通り方で、ピィンと立っていた。
エル・クレールは番兵の整った制服と、目の前にいる大柄な男のくたびれた服装とを見比べ、ため息を吐いた。
「……王家のためにならないと判断されたら、あるいは」
「悪かったな、胡散臭くて」
舌打ちしたブライトは、頭を掻き、無精髭を撫でた後、相棒の身なりをしげしげと見た。
二昔前のデザインで着古しの略礼服だが、生地も仕立ても最高級によい。それにその中身はというと、目元涼しい美形ときている。
ブライトは四度手を突き出した。
「ハーン公家の使いの、そのまた使いっ端、ってことにしたいんだがね」
エル・クレールは件の「招待状」を取り出し、ブライトに渡した。
「それで私は、あの番兵の視線の隅に引っかかる程度に離れたところにいれば良い……でしょう?」
「察しが良いな。ンじゃあ、その辺に立って、不機嫌そうに俺の方を見ているように」
ブライトはにやりと笑い、宮殿裏口へ向かった。