番外編 舞殿の【女帝】17


 動じないのは彼ばかりではなかった。エル・クレールも全く不安な表情をしない。その顔は、むしろ楽しげですらある。
「エル君は、本当に彼のことを信頼しているようだね」
 ピエトロは、まだ震えの消えない小さな声で訊ねた。すると、エル・クレールは瞳を伏せ、つらそうな微笑みを浮かべた。
「私の周りには、彼以外に信頼できる人物がいないものですから」
 笑顔に息苦しさが見えたのは、ほんの一瞬のことだ。すぐに元通りの、筋書きの決まったショーでも見物しているかのような、安心しきった表情に戻った。
 いくら鈍いピエトロでも、あのような辛い笑顔を見せられれば、
『どうやらエル君自身の家か、彼の主人の家かには、関係者を他人を信頼できない心持ちにさせるような事情があるらしい』
 ことぐらいは察しが付く。
 ピエトロはエル・クレールから視線をはずした。
 代わりに彼の視線が向けられたのは、ブライトの背中であった。たくましく広い背中に大いなる自信が満ちている。
 彼は後頭部をかきながら、盗賊達に向かってぶっきらぼうに問いかける。
「ちょいと前に、そこの宮殿にいた出歯亀野郎は、あんた方かい?」
 盗賊はにたりと笑った。
「ああ、確かに盗みの下検分の行きがけの駄賃に風呂場を覗かせてもらったよ。白髪みてぇな金髪の、細っこい嬢ちゃんがいたっけなぁ」
「細いには細いが、胸は結構あったぜ」
「尻の小ささは、どうにもいただけなかったがなぁ」
 盗賊どもは自慢話の口調で言い、卑屈な笑い声をあげた。
 ブライトの、頭をかいていた指が、ぴたりと止まった。
 ピエトロからは、彼の背中しか見えない。しかし、正面にいる盗賊どもの嫌らしい顔が見る間に蒼白になって行くあたりからして、今の彼が相当に恐ろしい形相であろうことは容易に想像できた。
「そこまで見たのかい?」
 威嚇する獣のうなり声が、彼の喉から漏れる。肩がわなわなと震えていた。
「そんなに詳しく隅々まで、見やがったんだな……俺の可愛いクレール姫の肌をっ!」
「え?」
 声を上げたのは盗賊たちではなく、ピエトロだった。
「クレールって、エル君のミドルネームが確か?」
 ピエトロはちらりと隣を見た。
 白髪のようなプラチナブロンドで、スレンダーなラインの体。衣服の下の胸の大きさは判らないが確かにお尻は小さな人物が、顔を真っ赤にしている。
『君、女の子なのか!?』
 叫びかけて、ピエトロはあわてて己の口をふさいだ。
 なるほどよく見れば、礼服の胸のあたりはほんのりと丸くふくらんでいる。いやそれよりも、先ほど触れた指先のたおやかさは、紛れもなく女性だった。
 彼女はピエトロの驚きようと、視線に気付かない様子で、
「だから、私はあなたの所有物では無いと何度も言っているのに。人前でまでそうやって大きな声で……」
 恥ずかしさの中に少々うれしさのようなものが混じった小さな声でつぶやいた。
『主従にも師弟にも友人にも家族にも見えないのは、エル君が女の子だからかも知れない』
 茫然自失のまま、ピエトロはエル・クレールとブライトとを見比べた。
 二人とも、顔を真っ赤にしている。エル・クレールは恥ずかしさのために、そしてブライトは怒りのために。
 ブライトの節くれ立った指先が、腰の双剣にのびた。嵐の勢いで引き抜かれたのは、遠目にも木刀だと判る代物だった。
 しかし、そんなことは彼自身にも、そして彼に睨まれている盗賊どもにも関係のないことのようだ。
 振りかざした木刀が鋭い風斬り音を立てる。それは気の弱い者の肝をつぶすに十分すぎる轟音だった。
 加えて、ブライトの雄叫びである。鼓膜どころか頭蓋骨まで粉砕しそうな大声で、彼は叫んだ。
「この俺様が、まだそこまでは見せてもらってねぇンだぞぉっっ!」