一匹一匹の容姿は、破れて使い物にならなくなった革手袋を縫い合わせて作った人形の様だった。目に当たるだろう場所に光っている物が赤いボタンのように見えるのが、その感を強めている。
 しかし、それはただの人形でないのは間違いない。なにしろ、親指らしき物と小指らしき物以外の三本の突起を脚として立ち、腐敗臭とも獣臭ともつかない匂いを発散させながら、はね回っているのだから。
 数は数え切れない。革職人の荷馬車から積み荷が一つ転げ落ちて、中身がばらまかれたのではないかと思えるほど、雑草だらけの田舎道はそいつらに埋め尽くされていた。
 エル・クレールは叫びながら跳ね起きた。
 手袋もどきの小動物が一匹、髪に飛びついてよじ登っている。思わず掴んで、すぐさま地面に叩き付けたが、手のひらの中に薄気味悪いなま暖かさが残った。
「これは、何!? 生き物なんですかっ!?」
「考える間があったら感じろ。そいつが俺たちに敵意を抱いているのが解るはずだ」
 ブライトの周囲にも同じ物が群れている。
 彼の足下に群がっている手袋もどきの手指の先からは尖った金属らしき物が突き出ている。飛び上がり、飛びかかって、その小さな武器で彼に害を与えようとしているのは、間違いない。
 じりじりと近づいてくるそれらは、たしかに薄気味悪い存在だが、エル・クレールにはブライトが言うような明確な意思を感じ取ることができずにいた。
「敵意、と言うほどはっきりしたものは感じないのですけれど…。風下から近づいてくる程度の知恵はあるようですが」
「そうか? 俺には『気にくわないから喰い殺す』って言ってるように思えるがねっ!」
 ブライトは足元の一匹を力任せに蹴り飛ばした。
 そいつは勢いよく地面の上を転がった。転がりながら、土埃と小石と数匹の同類を吹き飛ばした。地面に雨樋のような溝ができていた。
 数メートルも掘り進んでようやく止まった手袋もどきは、すり切れた表皮のいたるところから黄白色の粘液を吹き出しながら痙攣している。
「なんて力……」
 自分にまとわりつく手袋もどきを払いのけながら、エル・クレールは嘆息した。彼女が地面に叩き付けても、そいつらはさしてダメージを感じていない様子ですぐに飛び起きて来る。
 ところが、
「感心されても褒められても、結果が出てねぇんじゃ嬉しかねぇよ」
 忌々しげにブライトがいう。
 蹴り飛ばされた手袋もどきは、確かに詰め物の半分が流れ出し張りがまるで無くなっていたが、それでも起きあがってうごめいている。
「力任せじゃ、壊せない物もあるってこった」
「物? でも、生き物の温みが」
「切ってみりゃ判る」
 ぱぁん、と乾いた音を立て、ブライトはおのれの両掌を重ねた。
「友よ、お前達の赤心を俺に貸せ! 来い、【恋人達ラヴァーズ】!」
 重ねられた掌の指の隙間から、赤い光があふれ出た。
 光はやがて二筋に集約し、一双の剣の形を成した。
 ブライトが震う剣影は、さながら赤い三日月の光がきらめいているようななめらかさだった。
 その三日月の軌道にいた手袋もどき達は、手応え無く両断され、黄白色のしぶきを飛び散らせて、動かなくなった。
「無生物ってことで決定だな」
 ブライトの意見に、エル・クレールは納得できなかった。
「どんな物でもまっぷたつにされれば死んでしまいます」
「ごもっともだがね」
 ブライトは再び赤く光剣を振るった。
 信じられないほどの大振りだった。無駄と隙ばかりの動きにも見えた。
 刃は地面をかすめるようにきらめいた。
 まるで麦刈りの大鎌のように、道ばたの雑草の類共々、手袋もどきを刈り取っている。
 一振りで、五・六匹の小動物が両断され、すえた臭いのする体液を雑草の上にぶちまけた。
 痙攣する革と粘液の群れを注視したエル・クレールは、あることに気付いた。
「あ? 草が……葉が切れていない?」
『何故?』と言いかけた彼女の目に、一匹の手袋もどきが飛び込んできた。
 避けるも除けるもなく、次の瞬間にはそれは顔面に張り付いていた。
 液体の詰まった革袋に特有の奇妙な堅さの物体が、彼女の左右のこめかみ辺りを締め付けた。
 古い革手袋と、腐った牛乳と、使い込んだ雑巾と、熱帯夜の寝汗を吸い込んだシーツとを一度に鼻面に押しつけられたような、猛烈な腐臭がする。
 その臭いと、生暖かく不快な感触で、エル・クレールは息を詰まらせた。
 両手に満身の力を込めて引きはがそうとしても、手袋もどきは微動だにしない。逆に尖った「爪」が彼女の皮膚に食い込んでくる。
 不快から逃れようとすると、身体は無意識に後ずさって行く。前も後も足下の小石も見えない彼女は、当然のように足をもつれさせて、派手に転んだ。
 手袋もどきの指の間から、空と、ブライト=ソードマンのしかめっ面が見えた。
「元皇帝陛下様よ。俺はあんたの娘に嫌われたかぁないンで、あんたを侮辱したくはねぇんだが……この状況を見てると、意に反してあんたを軽蔑しなきゃならんようだ」
 彼は暗い目で右腕を振り上げた。
 やがて、赤い剣の切っ先が、エル・クレールの顔面めがけて振り下ろされた。
『突き刺さる!』
 反射的に目を閉じたエル・クレールの、妙に冷静だった頭の奥で、懐かしい声がした。
 われ鐘のような激しさだった。……かつてそれほどの激しさでこの声を聞いたことはなかった。
 エル・クレールは目を見開いて、その声が言う言葉を復唱した。
「我が愛する正義の士よ。あかき力となりて我を護りたまえ。【正義ラ・ジュスティス】!!」
 脳髄から背骨にかけて、熱湯が駆け下るような衝撃が、彼女の身体を襲った。
 腰骨の端が鈍器で殴られたように熱い。思わず、その鈍い痛みがある場所を押さえ込んだ。
 左の腰……ちょうど、ベルトに下げる拝剣の金具の当たる辺り……に、火の固まりを感じた。
 それは掌の中で、確かに存在する「物体の堅さ」を持っている。
 掴んで、引き抜いた。赤い光を放つ、細身の剣の形をしていた。
 エル・クレールはその切っ先を自分の顔面に張り付いている手袋もどきに突き刺した。
 ねっとりとした白濁液を噴き出させた手袋もどきはビクリビクリと数回痙攣した後、エル・クレールの顔面を掴むことを止めた。そして彼女の顔の上をどろりと撫でながら、左の耳の脇へ落ちた。
 急激に新鮮な空気が肺へと流れ込み、その濃厚さに、彼女は激しく咳き込んだ。
 その耳元で、熱い風が巻き起こった。
 顔の右に赤い刃が見えた。切っ先は一匹の痙攣する手袋もどきを突き通して、地面にめり込んでいる。
 妙に熱を持った液体が、エル・クレールの髪の毛に飛び散った。
「起きろ! 休んでる暇はねぇぞ!」
 ブライトは相変わらずのしかめっ面で彼女の顔をのぞき込んでいた。
「はい!」
 鳳仙花の実が弾けるような勢いで、彼女は飛び起き、身構えた。
 相変わらず、手袋もどきの小動物……生き物ではないらしいのだが……は地面を埋め尽くす勢いでそこに群れていた。
 ただし、その三分の一程はすでに動いてはおらず、三分の一程は自身の体液らしき物にまみれながらのたうち回っている。
「残りはお前さんの仕事ってことにするかね」
「えっ!?」
「おまえさんの親父がずいぶん張り切ってるみたいだからな」
 エル・クレールは自分の握っている赤い剣をまじまじと見た。
 やせた、背の高い、無口で、生真面目だった父親の姿が、細身の剣と重なって見えた。
「それと……俺はこいつらの親玉の方に掛かりたいンでね」
 ブライトは視線を道の彼方に向けた。
 かすかに風が吹いていた。その風のながれる先に、干し草を積んだ荷馬車が停まっている。馬具は付いているが、辺りに馬や馬子の姿はない。
「じゃ、任せた」
 呼気の代わりに言い残し、彼は大地を蹴った。あっという間に、人の形をした風は荷馬車まで到達し、あっという間にそれを蹴り倒していた。
「ぎゃぁ」
 という力のない悲鳴が、干し草の中から聞こえた。
 すると、今までうごめいていた手袋もどきどもが、ぴたりと動くのを止めた。
 操者が手を抜いた指人形のように、そいつらはぱたりと倒れ込み、それきり動かなくなった。
「出てこい」
 干し草の山に向かって、ブライトが低く言った。
 カサカサと草が動き、やがて現れたのは、一人の小柄な老人だった。
 修道士が着るような黒い衣装に、学者が持つような杖を携えた老人は、干し草の中から身を起こすと、
「やれやれ、乱暴な青二才め」
 はげ上がった頭に乗っかっていた干し草を払い落としながらブライトをにらみ付けた。
「じいさん、乱暴はどっちだ? ウチの相棒の綺麗な顔に傷を付けやがって」
「傷じゃと?」
 老人はエル・クレールの方を見た。
 動かなくなった手袋もどきの群れの真ん中で、彼女は呆然と立ちつくしている。その両こめかみから、赤い血の筋が流れ落ちていた。
「あんな物、怪我のウチには入らんじゃろうが。ほれ、男の子には傷跡は勲章とも言うぞ」
 老人は、数十歩離れたところににいるエル・クレールの耳にもはっきりと聞こえる良く通る声で言った。
 彼女は目を見開き、肩を怒らせて、足下の手袋もどきを大股で飛び越えつつ、老人とブライトのそばまで近づいた。
「これ、青二才。あの坊主は何を拗ねている?」
 近づいてくる彼女を見て老人が言うのに、ブライトはただ苦笑いで答えるしかなかった。
「あなたは、何者ですか?」
 シワだらけの顔は実に柔和で、知的ですらあるが、赤くてかった頬は少々下品にも思える。
 とげとげしいエル・クレールの問いかけにに対して、老人は
「何者に見えるかね?」
 と聞き返した。
 すると彼女は老人の目をじっと見つめて、答えた。
「【隠者レルミタ】」
「なんと?」
「なに?」
 老人と、ブライトは同時に声を上げた。
「驚いた坊主じゃ。おぬし、他人の持っているアームの銘が判るようじゃな」
 老人はケラケラと嬉しそうに笑い出した。そして、ブライトの
「アームの、銘だって? じいさん、あんた何者ンだ?」
 という言葉に、
「お主らの同類じゃよ。自分以外の者の命を受け入れた者……アームの所持者……ハンターなんぞという物騒な呼び名を使う者もいるが、のう」
 やおら服の胸をはだけた。
 浮き出た胸骨の上に赤い痣があった。痣は薄暗い闇の中に浮かんだ、小さな灯明のような形をしている。
「銘は坊主の言ったとおり【隠者】。人としての名は、レオナルド=シィバ。アルケミスト・シィバと呼ばれることもあるがの」

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