真田大石(改稿版)
この物語はフィクションです。
従って、登場する人物・団体・地名などは、歴史上のそれらとは別物と思ってご覧下さいますよう、お願い申し上げます。
一・大殿様
/
二・松代転封
/
三・大きな石
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最後の
大戦
《
おおいくさ
》
から二十有余年。
元和八年(1622年)上田。
徳川家が鬼門と嫌い、完膚なきまでに取り壊された「上田城」。
更地の城の城主となった真田信之は再三修築の願いを出すが、許可は降りない。
その信之に、改封の沙汰が下った。
この城は父の形見、この町は己の故郷。
信之は城からある物を運び出し、新しい領地に運ぶことにした。
上田の城に伝わる「伝説」、真田石の物語。
※読者諸兄へ
この物語はフィクションゆえ、寛大な読者のみなさまにおかれては、なにとぞ重箱の角をつつかないようにお願いしたい。
上田城修復(再建)の許可は、真田信之公が上田藩主だった間は降りなかった。
藩主は藩主屋形(通称「御屋敷」。現在は跡地に長野県上田高等学校が建つ)に暮らし、政もそこで行われていた。
1622年(元和八年)信之公が松代へ移られた後、1626年(寛永三年)に上田へ入城された仙石忠政公の代になってようやく幕府から許可を得、再建を開始。
つまり、現在残っている城跡は、仙石様が建てたお城である。
(通称「北櫓」の石垣に残るあの大きな石も、おそらく仙石様が据えた物)
ところが二年後の1628年(寛永五年)に忠政公は死去。
後を継いだ仙石政俊公、更にその後の仙石政明公の頃は藩政が行き詰まりを見せており、城の再建どころではなかった模様。
本丸の隅櫓(現存するのは南櫓、北櫓、西櫓の三棟。一説に櫓は全部で七棟)ができた辺りで再建を断念。
仙石家が出石に移封となると、1706年(宝永三年)に松平忠周(忠徳)公が城主となり、以降明治維新まで松平家が城主となる。
しかし松平家の治世でも上田城を「本格的な城」にする普請は行われないまま、廃藩置県にいたる。
旧版
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