桜〜SAKURA〜 − 知流姫 【1】 BACK | INDEX | NEXT

2014/09/20 update
 ああカシノキ先生、申し訳ありません。はい。ウメノキさんからうかがっております。
 わざわざお運び下さいまして、ありがとうございます。
 本当ならこちらから伺った方がよろしいのでしょうけれど、こうねついてしまいますと、動くに動けませんものですから。
 その節は、通り向こうの妹が大変お世話になりまして。
 ええ、先生の評判は妹からも伝え聞いておりますよ。頂いたお薬がたいへん良く効いたって。
 あの子、酷い按配でしたでしょう?
 あのあたりは昔から日当たりが悪うございましてね。それに大通りが近こうございましょう? 空気も良くないらしくて、妹は息苦しいと零していると、メグロさんの奥さんが口づてに。
 それでもそうそう引っ越すわけにも行きませんからねぇ。あの子も、わたしもですけれど、ご近所様には良くしていただいておりますし。住めば都と言いますからねえ。
 ええ、妹たちはこちらに来ましてからもう六十年の上になりますよ。あの戦争の後、しばらくしてからこちらに来ましたから。
 この下の、川原のあたりに、飛行場がございましたでしょう? ああ、先生はお若いからご存じないかも知れませんけれど、あったんですよ、むかし、小さな飛行場でしたけれどね。
 そんなものがあったりしたものだから、あのあたりには少し空襲がありましてねぇ。たまに町の中にも爆弾が落ちてきたりしたものです。
 それでお町がひどく燃えてしまいましてね。元あったお屋敷や建物はみんななくなって。新しく道路やらなにやらを引き直したときに、妹たちはこちらに参ったんですよ。
 はい、私はもう少し前から、こちらにお世話になっております。妹たちよりは、ざっと十年は長いでしょうねぇ。
 もうずいぶん昔です。わたしはまだこんなに小さくて、風が吹けば折れそうなくらいに細くって。
 見る影がございませんでしょう? いまではこんなに太っていますものね。肌も皺が寄ってひび割れてぼろぼろですもの。
 腰が折れてからは、ずいぶん低くなってしまいましたけれども、若い頃はこのあたりで一番背が高かったんですよ。
 子供たちときたら、みんな私の肩に登りたがりました。遠くまで見える、山の向こうの海まで見える、風の声が聞こえる、波の音が聞こえる、などと申しましてねぇ……。
 うふふ。見えやしませんよ。海など見えたり聞こえたりいたしません。
 でも子供には、大人には見えぬものが見えるのですよ。大人には聞こえぬものが聞こえるのですよ。
 ああ、先生はどうやら見えて聞こえるようですねぇ。大人には珍しい方ですよ。いないわけじゃありませんけれど、珍しいですねぇ。
 お怒りにならないでくださいな。決して莫迦になどしておりません。するものですか。おかげでこうして話が合っておりますもの。
 このところは私の話すことを本当にしてくれない人ばかりですのよ。子供たちも、学年が上がりますと、私の処へは来てくれません。中には子供だましだなどという者もいる始末です。……自分も子供なのにねぇ。
 ええ、そうです。ここに人が来ること自体、なくなってしまいました。
 前庭の、あの遊び場で、お子さんが怪我をなさってね。古い昇り棒が根元から折れて。
 そのあと、このお庭そのものを閉めてしまうことになるだろうと聞いたんですよ。
 ここも古い遊び場ですから、仕方がないのかも知れません。
 ええ、このお庭も戦争の後の区画整備というのですか、あれのおかげでできたものです。
 元々は学校でしたのよ。
 このあたりが校門です。あちらが校舎でした。燃える爆弾がが落ちて、何もかも燃えてしまいましたけれどもね。
 コンクリートの校舎でした。あの頃にはずいぶんハイカラな、四角い建物でした。頑丈な建物だからと徴収されたのがいけなかったのでしょうかねぇ。飛行場の空襲の時に一緒に狙い撃ちにされたようです。
 あの時は私も酷く怪我をしました。ほら、このあたりに焼けた後がまだ残っておりますでしょう?
 でも生き残ってしまいました。
 私ばかり、助かってしまったんです。
 折れた昇り棒の両脇を支えていた心棒は、私なんぞよりも、よっぽどのお年寄りでした。ご勇退なさった電柱さんでしたのよ。戦前からの使い古しです。ですからいつかは倒れるのが道理でございました。
 それでもね、先生。古い材木だといっても、電柱として手がかり足がかりを打ち込まれているからには、誰かに登ってもらうのが本望なのですよ。
 電柱のおじいさんたちは、子供たちに取り付かれて騒がれるのが、嬉しくてならなかったのでしょうよ。もう倒れるっていうときも、しがみついていた子供さんを落っことさなかった。
 うふふ。そうですね。現役の電柱さんに子供が登ってもらっては困りますけれども。
 話が外れましたかしら。どうも歳を取りますと、とりとめがなくなってしまって、しかたがありません。
 ともかくね、先生。私は先生に来ていただいて、嬉しいのですよ。こうして話を聞いて貰えて、本当に嬉しい。
 ねぇ、先生。
 実は私ね、ついこの間まで、お医者に係るつもりなんて更々なかったんです。このまま朽ちて枯れ死んでしまってもいいと思っていたんです。
 寂しくってね。寂しくて、生きているのが嫌になってしまったんですよ。
 私も子供が好きですから、子供たちにまとわりつかれて、日がな一日過ごすのが大好きですから。
 お庭を閉められてしまったら子供たちは来られません。
 この間、クワノキさんのところの一番下の坊やが、内緒で来てくれましてね。私は嬉しかったのですけれど、その子が後で親御さんから酷く叱られたそうで。
 それっきり、だぁれも。冬の間ずっと。
 ええ、ここにいるものと来たら動けない年寄りばかりですからねぇ。寒さに縮こまっては、あちらが痛い、こちらがつらいなどという話にしかなりません。寂しいことですよ。
 あちらのマツノキさん、つい十日ばかり前ですが、とうとう倒れてしまわれましてねぇ。私よりもお若かったのに……。この間の大雪がいけなかったようですよ。
 荼毘の煙が空に上ってゆくのを見ておりましたら、こう、胸のあたりが苦しいというか、がらんどうになったというか……。
 何もかも、やる気がなくなってしまいました。もう立っているのも辛くなりましてねぇ。
 これでも若い頃はシャンと背筋を伸ばして、空へ空へと手を伸ばしたモノですけれど、いまではすっかりあちらこちら、曲がったり折れたり致しております。自分の体が重たくて、仕方が無くなりました。
 始終うつむいてばかりでございました。そういたしましたらね、先生。学校だった頃の卒業生だという人が、その方ももうすっかりお年寄りになっていましたけれども、懐かしがってお見えになってねぇ。
 私があんまりみすぼらしい姿で居りましたので、見るに見かねたのでしょうね。はい、あちらこちら、手を加えてくださいまして。
 ええ、先生をご紹介下さった、ウメノキさんです。
 ウメノキさんったら、可笑しいんですよ。
「もう一花、豪華に咲かせましょうよ」
 ですって。
 あの方だってもう米寿もとうに越されているっていうのに、子供のように笑って仰るんですよ。ガキ大将の頃のまんま。しわくちゃの顔で笑うんです。
 なんだか嬉しくなりましてねぇ。
 空っぽの胸に、なにやら力が湧いてきた気がしたんです。
 先生。
 ええ、わかっております。
 少し遅過ぎました。手遅れなんです。自分が一番よく承知しております。
 私の体には、もう何処にも力が残っていません。
 ウメノキさんが言うような、豪華な一花なんてことは、到底無理なことなんです。
 でもね、先生。
 あと一春だけ保たせてください。
 クワノキさんの坊やが幼稚園を卒業するんです。ウメノキさんのお孫さんが都会の会社に就職なんです。
 良くしていただいた方々を、せめて見送ってあげたいじゃぁありませんか。
 後生ですから、お願いいたします、先生。
 最後にこの一輪を咲かせてくださいな。
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