白い無地の買い物袋から、男は小さなプラスチックの瓶を取り出した。
「ドライシャンプーって言うんだそうだよ」
彼はベッドに横たわる妻に声をかけた。
返事は、無い。
構わず、彼は続ける。
「水が無くても頭が洗えるんだ。ほら、スプレーになっている。これを頭に吹き付けて、揉んで、軽くふき取れば良いんだとさ。便利な物ができたもんだ」
妻からの返事は、やはり無い。そして男はそれが当たり前だとあきらめていた。
「美容師のおまえがさ、自分の頭も洗えないってのは、やっぱり嫌だろう」
買ったばかりのドライシャンプーの蓋を開けると、彼は妻の額の生え際当たりにタオルを巻いた。
腰のない真っ白な髪は細く、そして乱雑に短く切りつめられている。
小さな頭の全体に、男はスプレーを吹きかけた。そして指の腹で優しく頭皮をマッサージする。
「良い匂いがするなぁ、おい。鼻がすぅっとするよ」
返事はやはり無い。だが妻の頬が、少し赤みを帯びたように見えた。
錯覚かもしれない。男は心の中でつぶやいた。
その時、小さな電子音が鳴った。
男は音のする方に目を向けた。小さなモニタの上で、一本の線が光っている。
まっすぐの線。動かない筈の線。
そこに小さな山が一つ浮かんだ。
『ありがとう』
掠れた声が聞こえた。
男は目をつぶった。閉じた瞼を涙が押し広げる。
光の線は再び平坦さを取り戻していた。