岩長姫 退魔記 − シロ 【4】

 それは、雀蜂ほどの大きさの蠅だった。百や二百では利かない赤黒い複眼が真っ直ぐに 三人に向けられている。
「操られている!」
 桜女が言うのとほとんど同時に、蠅はつむじ風の勢いで三人めがけて突っ込んできた。
 弁丸と桜女が左右に分かれて跳んだ。
 と。
「いかん、協丸を忘れておった!」
 跳びながら弁丸が叫んだ。
 三人が居た真ん中に、だだ独り協丸が取り残されていた。
 蠅の渦が彼を取り込んだ。
「うわ!」
 思わず協丸は両手で頭を覆った。
 突如、掴んでいた紙の束が、ぶわりと膨らんだ。
 紙の呪符は、薬売りが配り歩く紙風船のように厚みを増し、やがて女の童の形になった。
 全部で四人。
 緋袴に白の単衣。紙そのものの白い肌に墨そのものの黒い瞳。
 幼く、髪を耳のすぐ下で切りそろえている以外は、桜女とそっくりな顔立ちと姿をして いる。
「……式神か?」
 そう声をあげたのは協丸と「枯れた木」だった。
 四人の紙の童はふわりと宙に浮いた。
 四つの小さな御幣がざわっと振られた。
 無数の蠅が協丸の足下に落ちた。
「ぼうっとするでない!」
 協丸は襟首を後ろから引かれ、倒れるように後ろに下がった。
 振り向くと弁丸の額に脂汗が滲んでいるのが見えた。
「『あやかし』め、わしらが”たろうさま”詣でをしている間に、肥やしを吸って力を増しおった!」
「真事か!?」
 協丸の悲鳴のような問いかけに答える前に、弁丸は再び兄の襟首を引いて、そのまま跳 んだ。
 空になった足下の地面にぼこりとした土塊ができた……と思った直後、そこから腐った土 の臭いをまき散らす太い杭が突き出た。
 式神達が一斉にその杭……朽ちた木の根……に取り付いくと、一時、それの勢いが弱まった。
 ところが。
「うるさい!」
という怒鳴り声が朽ち木の中からした途端、逆に式神達の動きの方が止まってしまった。
「いけない、戻りゃ!」
 桜女が式神達に呼びかけたときには、もう遅かった。
 別の腐った根が、次々と地面を突き破って出た。そしてそれらは水っぽい音を立てて式 神達を打った。
 式神達の紙色の肌と紙色の単衣が茶色く染まった。
 女の童の姿がしぼんで、式神達は元の護符に戻った。
「書いた絵空事など、消してしまえばいい」
 木の中の声は忌々しげに言い放つと、太い根をうねらせて、泥と腐れた木の汁で汚れた 四枚の護符を破り捨てた。
 小さなキラキラした物が、破れた護符からこぼれ落ちた。
「シロ、拾え!」
 桜女がいうより早く、シロは珠の姿からトカゲの姿に戻り、蠢く木の根の間を駆け回っ て、四つの光る物を拾い、くわえ、集めた。
 朽ち木の根は式神達を打ったときと同様にシロにも迫ったが、シロは風よりも早く桜女 の懐へ舞い戻った。
「どいつもこいつもうるさくせわしなく邪魔な奴等だ!」
 朽ち木がめりめりと音を立てた。
 根本の地面が数多の骸骨を孕んだまま盛り上がった。
「うぬら、また我を暗闇に戻す気か? 何度も同じ手は喰わぬぞ。破魔覆滅の呪文など聞 く耳持たぬ。封魔退魔の札など破り捨ててやるわ!」
 木が、立ち上がった。
 うねる根を脚として、ざわめく枝を腕として、ぎしぎしときしみながら動く。
「やかましいわい、この独活の大木が!」
 弁丸は兄を突き飛ばして、物陰へ追いやると、目にもとまらぬ速さで剣を振るった。
 腐った木の根が五・六本、あっという間に本体から切り落とされた。
 切り口から青白い炎が上がった。
「ぎゃ!」
 悲鳴を上げた朽ち木だったが、
「餓鬼が、お前が何故銀龍の牙を持っておる?」
 とわめいて


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