序章 − 幻覚 【3】

 そこは戦場だった。
 大地は赤く染まっている。
 それは倒れた兵の流す血の赤であり、若き王の軍旗の赤であった。
 立つ者は皆、一様に黒装束だった。
 鼻も口も耳すらもないつるんとした顔の、本来なら目のあって然るべき場所を青い目隠しで被っている。
 背には、飛ぶにはまるで役立たない小さな羽根が張り付いていた。
 数を数えることができない。地の果てからワラワラと湧き起こってくるようだ。まるで蟻の大群だ。
『古き神々の子らよ、お前達の往生際の悪さは称賛に値する』
 黒い群の中央から、その声はした。
 それは奇怪で美しい一人の女だった。
 磨いた貝殻のを思わせる真っ白ですべらかな顔。深い闇のような黒い瞳。雪を頂く険しい山脈のごとき鼻筋と、地の果てを想像させる裂けた唇。枯れてなお壁にしがみつく蔦に似た髪が、朽ちかけた流木風の痩せた身体にまとわりついている。
 幾人かの大柄な「兵隊蟻」を足下にかしずかせ、悠然と振る舞う黒衣の人物…さながら女王蟻のごとき…であった。
 彼女は、じっと正面を見据えていた。視線の先には、今まさに彼女が滅ぼさんとしている小さな国家の、偉大な、しかし若すぎる王がいる。
 若い王もまた、じっと女王蟻を見ていた。
 元より赤い絢爛な衣装は、破れ、割け、自身の血で更に赤さを増している。
 装束を鱗のように被っていた王の権威を示す「磨かれた鏡」の飾りも、ちりぢりになって大地に撒かれていた。
 正しく「敗軍の将」であった。
『新しき魔王とその僕共よ』
 若き王は荒い息の中で弱々しく、それでいて良く通る声を発した。
『確かに、お前達の勝ちだ』
 若き王の統べる国土は、消滅していた。
 山は崩れ、川は枯れ、田畑も家屋も区別なく焼け野原と化していた。人も家畜も穀物も雑草の一芽に至るまで、およそ命という命が全てたたれている。
 この後何年、何十年、何百何千の年月を経ても、ここに再び文明の栄えることはあり得ないだろう。
 それほどの破壊だった。しかも、その破壊がいかにして行われたのかが、誰にも判らないのだ。
 雷のような閃光と地震のような揺れ。わき出る敵兵には剣も歯が立たず、放たれる魔法の光(それ以外言いようがない)の前にはどのような防具も役立たない。ただその事実以外は、理解も推測もできはしない。
 王の軍勢は体制を整えるまもなく敗走した。
 近衛の兵も皆倒れ、王の周囲には人影一つない。
 刃こぼれした長剣を杖にすがり、ようやく立っている若き王は、それでも全身から威厳を発している。
 女王蟻は顔をしかめた。瀕死の小倅の口元に浮かぶ、かすかな笑みが気に入らない。
『負けを認めるならば、それらしく振る舞ったならどうだえ?』
 女王蟻は王を指さした。その赤く尖った爪の先から、目もくらむ禍々しい光が放たれた。
光は王の胸を貫き、王を吹き飛ばし、地に倒せしめた。
 しめった土煙が上がった。鏡の小片が光を弾きながら宙を舞う。
 そう、光を弾きながら。禍々しい光を反射しながら鏡は飛び散る
 右へ左へ、上へ下へ。縦横無尽に光が飛び交っている。まき散らされた小さな鏡の間を、邪悪な光が跳ねている。
 弾かれて、跳ねて、はじき返されて、飛び散っていた光は、次第につい先ほどまでの禍々しさを失っていった。
 それはやがて一点に集まり、さらに慈雨のように仰向けに倒れ込んだ王の胸元へ注ぎ込まれた。
 そしてまた弾かれた。むしろ神々しさすら放つ光線の帯となって、元来た方へ突き進む。
 だが。
 女王蟻はいとも簡単にその光の帯を払い除けた。
『小癪な真似を!』
 確かに簡単ではあった。


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まろやか連載小説 1.41
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