幻惑の【聖杯の三】 − 【6】

 馬車と徒とが行き着いた先は、庄屋の屋敷だった。
 すでに披露宴は始まっていた。狭い広間に、精一杯に着飾った農民達と、肘のてかった礼服を着た貧乏貴族達がすし詰めになって、祝いの馳走をむさぼっている。
 新郎と新婦をおだてる言葉が飛び交っているが、その客達の声が必要以上に大きい。
 新郎新婦以外の者に、自分がこの新しい夫婦に祝福を送っているのを認識して欲しい……そんな、すこぶる必死な訴えにも聞こえた。
 エル・クレールは小さく息を吐いた。
『公都の宮殿よりも、豪奢かも知れない。掃除の行き届き加減は別として……』
 窓枠に積もった埃をしげしげと眺めた後、彼女はちらりとブライトを見た。
 大人という生き物が、ビスクドールのような笑顔を振りまいている。
 その強ばった笑顔のまま、
「で、絵に描いたような美少年はどいつだ?」
 彼は彼女に尋ねた。
 問われて、彼女は辺りを見回した。
 絵の通りの人物を捜しても、おそらく見つからないだろうというのは、さすがに判っている。似たような風貌の者を探す気にもならない。
 ただ、新婦の方は実物を見たことがある。
 目当ての人物は、狭い人集りの中の、一番密度の低いところにいた。
 亜麻色の髪を引っ詰めに持ち上げた、漆喰色の顔をした若女将は、ふくれっ面でおしろいにひび割れをこしらえながら、ひな壇の上に座っていた。
 ハンナの隣には、バラ色の頬、サクランボの唇、金の巻き毛の、ぷっくりと太った若者が座っている。
 若者はもとより麻糸のように細い目を絹糸の太さにして、実に嬉しそうに笑んでいた。
「わりといい男だな。酒樽一つ分ぐらい目方を減らせば、の話だが」
「そうですね。肖像画に施されていた修正も、その部分だけの様子です」
「『お宅のお姫様』は、縁談を断って失敗だったかもなぁ」
 ブライトの笑みから、型押し人形の堅さが消えた。ただし、嫌味とやっかみと冷やかしとがたっぷりとまぶされている。
「問題は新郎ではなく岳父殿にありますから」
 愛想笑いで応じたエル・クレールは、カリストの背後にいる、でっぷりとした人物に視線を投げた。
 ショコラ色の髪とテンピン油で固めたような口ひげが、ヌメヌメと光っている。深くシワを刻み込んだ額もまた、脂ぎった光を反射していた。
 線と星とがびっしりと刻まれた襟章も、心臓の上をみっしりと覆う勲章も、十本指全てにぎっちりと巻き付いた指輪も、皆、ギラギラと輝いている。
 仰々しい装飾を施したこの軍人が、エル・クレールにはできの悪いピサンカに見え、思わず顔をしかめた。ブライトも
「まぶしいオヤジだな」
 小さく言い言ったが、さすがにそれを顔には出さず、件の焼き物のような笑顔で、ゲニック准将に深く頭を下げて見せた。
 准将はしばらく訝しげに視線を返していたが、その怪しい大男のすぐ側に高名な錬金術師の姿を見つけると、
「シィバ先生! おお、我が師よ」
 大太鼓が響くような歓喜の大声を上げた。
「やれやれ。わしはあんな弟子を持った覚えはないのじゃが」
 老人はあきれ顔でつぶやいた。
 脂ぎった壮年の軍人の耳に、このつぶやきは聞こえなかった様子だった。彼は大きく腕を広げ、人並みを押し広げながらシィバ老人に駆け寄った。
 すると新郎新婦の回りにあった人垣が、ゲニック准将に引きずられ、彼を中心にしたまま移動した。
 本来結婚披露宴の主役たるべき若夫婦は、その宴の外に放り出され、取り残された。
 ゲニック准将は人々を引き連れたまま……しかしその人々を完全に無視し……老錬金術師に飛びつき、老木の幹のような細い身体を抱きしめた。


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まろやか連載小説 1.41
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