桑の樹の枝の天蓋の内 − 駆ける先の夢 【4】

ぴたりと止まる。
 玄徳は確信した。
『やはり、これは足を掛ける器具だ』
 再び手綱を取ると、馬首を返した。
『それだけ解れば、充分』
で、あった。
 元いた場所に取って返すと、蒼白い顔で震えている徳然の横に、見知らぬ大柄な青年が立っているのが見えた。
 身の丈は八尺(約185cm)に近いだろう。派手な蜀錦(しょくきん)の上着を無造作に羽織っている。
 現在の四川省近辺をかつては蜀と呼んだ。
 太古より養蚕と刺繍が盛んで、蜀錦は最高級織物の代名詞でもあった。
 その煌びやかさが、嫌味に見えない。
 彼の、彫り深く鋭い目は、馬上の玄徳を見据えている。
 玄徳はにっこりと笑った。
「大哥(長兄や年上の者への尊称)、良い鞍ですね」
 青年は目を見開いた。口もぽかんと開けている。
 馬泥棒に一喝加えようと待ちかまえていたものを、当の盗人にこれほど堂々と振る舞われては、気勢も削がれようものである。
 彼は玄徳が元通りに馬を門扉につなぐさまを、呆れ、感心し、じっと見ていた。
 馬をつなぎ終えると、玄徳は彼に正対した。
 小柄な徳然はもとより、故郷近隣では一番の巨躯を誇っていた玄徳ですら、わずかに見上げねば彼の顔を見ることができなかった。
「お主、面白いことをぬかしたな?」
 彼は大きく通る声で言った。
「……馬を褒めずに、鞍を褒めた」
「思うたままを、思うた通りに言ったまで」
 玄徳は落ち着いた声で応えた。
 青年は四角い下顎の、ようやくく生えそろったばかりの髯(ぜん。あごひげ)をなで、からからと笑った。
「鐙(あぶみ)という。烏丸(うがん)や鮮卑(せんぴ)どもは、我ら漢族より劣るのに、度々我らに戦を吹っ掛け、しかも決して大敗をしない。その理由が、それだ」

 烏丸・鮮卑とは、北方の騎馬民族である。ほかの少数民族も一まとめにされて、「胡族(こぞく)」とも呼ばれる。
 普段は「万里の長城」よりも北で遊牧生活をしているが、時折「漢の領土」に侵入し、紛争する。
 戦の原因は領界争いが主だが、その奥には、漢族の驕慢が棲み付いていた。
 家を建てず、畑を持たず、文字を使わぬ彼らを、漢族たちは蔑んでいる。彼らを「北狄(ほくてき)」……北の山犬……などと呼ぶのは、そのせいである。
 漢族は自身の『文化』を最高のものと信じており、それ以外を認めようとしない。
 騎馬民族達も自身に誇りを持っており、それを見下されるを快しとしない。
 意地のぶつかり合いで戦は起こり、意地の張り合いで争いは止まない。
 戦争は延々と、続く。

 青年は、玄徳の鼻先に己の顔を寄せた。
「使い勝手はどうであった?」
 彼は鐙を指している。
 小意地の悪い笑顔を、玄徳はじっと見据えて、答えた。
「これに足を掛けると、手綱から手を離しても、上体の安定を保てました。馬に戦車や御者などという厄介な荷物を引かせることなく長柄物や弓で戦うことができる分、早く、長く走ることができる。我ら漢族が彼らに勝てぬのも当然」
「勝てぬ、か?」
 青年は玄徳の胸を軽く小突いた。
 悪意のない仕草だ。
 玄徳は小さく頷いた。
「漢人は馬を力と考えています。だから戦の時も、馬に直接またがらず、車を引かせる。ところが胡の民は、馬を沓くつと見ているらしい。かような馬具を考え付くのは、馬上でも地を踏み締めんと望む為でしょう。……目に見えぬ力を操るのは容易ではありません。ですが、己の履く沓ならば、意識することなく操れる。……違いますか?」
「はははっ」
 青年は鷹揚に笑った。
 一頻り笑うと、
「貴公ら、廬老師の塾に入る予定か?」
と、


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