桑の樹の枝の天蓋の内 − 桑下の譚 【3】

 
 楼桑村の劉家に身ぎれいな若い客が来たのは、涼風の吹く初夏の昼上がりの事だった。
 若者の名は、劉亮(りゅうりょう)、字(あざな:通称名)を徳然(とくぜん)という。
 三代前に楼桑村を出て【タク】県城内に移り住み、財を成した、劉家の分家の嗣子である。
 彼は本家の戸をたたかず、その東南の桑の樹の元に寄った。
 樹は、根元から一丈半程(3m強)の所に、太い横枝を差し出している。
 その上ではじける陽の光の中の一つの影を、彼は見上げた。
「叔郎!」
 徳然は「影」に呼び掛けた。
 するとそれはユルリと揺れ、グラと傾き、枝からゴロリと外れ、ゴウと風を切って落ち、ドンと音を立て、彼の目の前に「着地」した。
 舞い上がる土埃の中で、悠然とあくびをしている又従弟に、徳然は呆れ顔で言った。
「その降り方は止めないか。心臓に悪い」
 叔郎は、眠たそうに目を擦りながら、
「……叔父さん達の前ではやらない」
と答えた。
 舞った土埃が二人の身体にまとわり着く。徳然は、服に着いた埃を叩いた。
「あそこで昼寝すること自体を止めたらどうだ? 本当に落ちては洒落にもならんぞ」
「嫌だ。この木は乗り心地が良いんだ」
「乗り心地?」
「この間、子敬(しけい)叔父さんが来て言った。この樹の枝振りは、まるで羽葆蓋車(うほがいしゃ)のようだ、とさ」
「あの都かぶれの叔父さんがかい?」
 徳然はわずかに眉を顰ひそめめた。
 
 劉子敬は二人の従叔父(いとこおじ)だった。
 悪い人物ではない。ただ、一つ悪癖がある。
 彼は、若い頃に洛陽へ遊山した。
 その時偶然、都大路で皇帝の行幸に遭遇した……と、彼は言う。
 凛々しい執金吾(しつきんご:警視長官)が先導。よく練兵された近衛兵が続き、雅な調べに合わせて楽女舞姫が踊り行く。そして羽葆(羽根飾り)の付いた蓋(幌)馬車のきらびやかな飾り細工。御簾の奥には主上おかみ(皇帝)が在す……。
 この光景を人に語るのが、彼の趣味である……こと有る事に、何度でも、しつこく。
 一族の者はおろか、近郷近在の人々が皆、この話を知っている。そして、もう聞きたくないと願っていた。

「そう思って寝ると、良いユメが見られる」
 叔郎は服の埃と、自身の頬を叩いた。軽い痛みとともに、眠気がすっと引いてゆく。
 眠気覚ましの仕上げに大きく背伸びをしている叔郎を、徳然はまじまじと見た。
 自分よりも三歳ばかり年下の少年が、時折己よりもずっと大人びて見えることがある。
 たとえば、彼の瞳が何もない筈の天空を、じっと見つめている時などがそうだ。
 そんな時の叔郎の、彼方を眺める視線は、徳然に茫漠とした不安と、漠然とした羨望とを抱かせる。
『いいユメ、か。コイツの事だ、きっと大きな希望ゆめなのだろうな。私の考えなど及ばない、とんでもなく大きな……。そうして、いつかこいつは、その希望を叶えて、私の手の届かない所へ、独り、駆け上がって行くに違いない。そうなったら、きっと私の事など忘れてしまう……』
 言い知れぬ虚しさが、徳然の心を捕えた。
「徳然兄、今日は急に呼び出してすまない」
 運良く叔郎の唇が動いたので、彼は弟分に隙を見せずに済んだ。
「え? ああ……」
 自分が抱いていた小さな嫉妬を圧し殺し、徳然は無理矢理平静を装った。
「一体何の用だ?」
「実は、元服の祝いをやろうと思って」
 叔郎が満面に穏やかな笑みを浮かべた。
「元服? お前の、か?」
 訝し気な問いに、彼は大きく頷いた。

 元服とは、士大夫(したいふ:平民でない男子)の成人式である。数えで十五歳前後に行うのが


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