小懸 ―真田源三郎の休日―【本編】 − 【1】

れを表に出さぬようにと努めました。
 私は宗兵衛殿の目玉を見つめ返しながら、考えました。
『宗兵衛殿が、私を莫迦な若造と思ってくれれば楽なのだが』
 しかし、私は同時に「そんなことはないだろうな」とも思っていました。そんなつまらない人であるはずがないと。
 ガシャガシャという音がしました。
 音は、宗兵衛殿の手元から発しています。
 やがて、パチリという、澄んだ音がしました。
 宗兵衛殿は私の目を見たまま碁笥をまさぐり、黒い石を一つ摘んで、碁盤の上に正確に置かれたのです。
「ほれ、儂の一目勝ちだぞ」
 前田宗兵衛利卓《としたか》殿は、童子のように明るい顔で仰いました。
 私はてっきり宗兵衛殿が何か私の考えつかないような言葉で私を叱るか、あるいは私の知らない含蓄のある言葉で私をさとそうとなさるに違いないとばかり思っておりましたので、少々驚きました。
 驚きのあまり、目に塵の入ったような瞬きをして、欠伸をするように口を開けておりました。
 その呆けた、阿呆のような私の顔を見て、宗兵衛殿はなんとも嬉しそうに、楽しそうにお笑いになりました。
「源三郎、儂は人の思うとおりに動くのが嫌いなのだ。人は『不思議』と言うが、これは生まれ付いての性分だよ」
 お顔の作りといえば、彫りの深い荒削りで豪快な武辺者そのものな宗兵衛殿ですのに、その笑顔ときたら、すこし気恥ずかそうな、乙女さながに柔らかなものでした。
 御蔭で私は、
『だから人が「白の四目勝ち」と思っていれば、それに逆らうのですね』
 と、言い返す気も失って、碁盤の上から白石ばかり拾い上げ、碁笥にしまうより他になかったのです。
 振られ男が狼狽を隠すかのように、もそもそと、です。
 しばらくして、黒い石ばかり残った盤面を、宗兵衛殿の大きな掌がざっぱりと撫でました。
 一度に取り除かれた石共は、コワコワといったような籠もった音を立てながら、一息に碁笥の中へ落ちてゆきました。
 碁笥の蓋がコパンと閉まったのと殆ど同時に、宗兵衛殿のお顔から笑みが消えました。
「ウチの伯父貴の……あの滝川一益が、御主の父親を大層気に入ったようだ」
 宗兵衛殿は「あの」というところに力を入れて仰いました。

 滝川一益様も不思議な方ではあります。
 一益様は織田様配下の中で一二を争う勇将であられました。当家が元仕えていた武田家を追い詰め、勝頼公を御自害に追い込んだのは、一益様の率いる一軍でした。
 すなわち、我が家にとっては「主の仇」である方です。
 もっと古い話をすれば、父の二人の兄、真田信綱と昌輝とが命を失った長篠設楽原の戦いでも、一益様は先陣を切って戦われたといいます。
 すなわち、この頃は武藤喜兵衛と名乗っていた我が父・真田喜兵衛昌幸とすれば、一益様は兄の敵であると言えなくもないのです。
 尤も父は、あの戦においては滝川様のお働きよりも、また伯父達の部隊と直接対峙しておいでだった……つまり伯父達の命を奪った当人の仙石秀久殿のお働きよりも、遠く離れた場所に布陣しておいでだった徳川家康様のそれを「重要視」しているようですが。
 それはともかくも。
 仇に等しい滝川左近将監一益様であるのに、父、そして私も、どうにもこの方を恨む気持ちが湧いてきません。
 諏訪で信長公に目通りさせていただいた後のことです。父が一益様の与力とされ、信濃衆をとりまとめる役目を承りましたので、父と私、そして私の弟の源二郎も、上役となる一益様に挨拶をせねばなりませんでした。
 このとき拝見した一益様のお顔は、皺は深いとはいうものの頬などはつやつやと赤く、髪はま


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まろやか連載小説 1.41
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