幻惑の【聖杯の三】 − 【10】

の命の燃えかすを腹の中に詰め込んだ、蛋白質の塊め」
 その灰色がかったクリーム色の塊を、一息に踏みつぶした。
「ビッ!」
 小さく悲鳴を上げた化け物だったが、それでももぞもぞと動いている。
 ブライトはおもむろに
「【恋人達《ラヴァーズ》】」
 アームを呼び出すと、二つの切っ先を化け物に突き立てた。
 化け物は動くことを止めた。だが、その引き延ばされた臓物の先にあるモノ達は、まだ蠢いている。
 亡者達は、まるで母親に抱かれた赤子のような安堵の顔で、その人間にすがっていた。
 いや、すがっていたという表現は、間違っているかも知れない。
 彼らは、その中心に立つ人物にまとわりつき、徐々に同化していた。
 その様を例えるなら、囚われし乙女のレリーフ。
 赤い目の、白い髪の、青白い肌の、ヒトを越えた姿。
「あの、バカが。俺に二度も同じ手間をかけさせる気か」
 ブライトは死骸と残骸とを一足飛びに越えた。そのままの激しい勢いで剣を振り、そのままの激しい勢いで肉のレリーフ……死人に引きずられたエル・クレール……に斬りかかった。
 右に掴んでいた刃が、一人の亡者の肩口にめり込んだ。
 そして、そこで止まった。押すことも引くことも敵わない。
 だがブライトは、アームごと自身が引かれるような感覚に襲われた。
「ナンだ!?」
 身体は動いていない。引かれているのは、力であるとか、命であるとか、そう言ったモノだけだ。
「お前、今度は死人だけじゃなく、生きてるモンまで取り込むつもりか?!」
 ブライトは全身全霊を右腕に込め、引いた。
 アームの切っ先はようやく抜けたが、心なしかその赤い光が弱くなった気がする。
「ヒトのアームまで喰いやがって。くそったれが、まるきりオーガに堕っちまったてぇのかッ?!」
 エル・クレールは慈愛の笑みを崩さず、ゆっくりと右腕を持ち上げ、手招きをした。
「土から生じたものは、土に返る。そして再び土から生じる。世界は巡る。その環を断ち切ってはならない。故に、死せる者は全て天へ戻せ」
「お前、何を言っている?」
 どこかで聞いたことのある……ブライトは、後頭部の痛みと吐き気に耐えながら、経文のような言葉の出所を思い出そうとしていた。
 乾いた部屋。
 壁一面の書棚。
 金属と薬品の溶けるにおい。
 古びた書物。
 虫食いのある行間。
 その言葉は、赤茶けたインクで書かれていた。そこまでは思い出せる。だが、
『畜生め、回りが見えてこない』
 彼は行水後の犬のように頭を振った。
 目を見開いて、エル・クレールをにらみつけた。
 彼女の身に何が起こったのかは解らない。
 原因は解らないが、彼女が「死んだはずの人間達」を自分の中に取り込もうとしているのは事実だ。
 身体に張り付いていた亡者共は、半分以上彼女の身体に溶け込んでいる。そして彼女自身は、相変わらずの慈愛の笑みを浮かべていた。
 しかし顔色は青白く脂汗にまみれていた。 肩で息をし、赤い瞳にはうっすらと苦悶の涙が浮かんでいる。
【主公《との》】
 突如、女の声がした。
 その声は、ブライトの脳に直接響いていた。出所は、ブライトの左手に握られた、もう一本の赤い剣だった。
【主公、はやくあの方を止めて下さい。あの方はまだ、その準備が整っていらっしゃらない】
「準備だと? 何のことだ」
 ブライトは改めてエル・クレールの頭のさきから爪先まで、舐めるように見た。
 脂汗をかいた顔の下、肩から胸にかけての線が、妙に柔らかく膨らんでいる。それだけではない。腹も、腰回りも、丸く大きい。
『アイツ、あんなに胸があった


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まろやか連載小説 1.41
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