幻惑の【聖杯の三】 − 【2】

もどきを刈り取っている。
 一振りで、五・六匹の小動物が両断され、すえた臭いのする体液を雑草の上にぶちまけた。
 痙攣する革と粘液の群れを注視したエル・クレールは、あることに気付いた。
「あ? 草が……葉が切れていない?」
『何故?』と言いかけた彼女の目に、一匹の手袋もどきが飛び込んできた。
 避けるも除けるもなく、次の瞬間にはそれは顔面に張り付いていた。
 液体の詰まった革袋に特有の奇妙な堅さの物体が、彼女の左右のこめかみ辺りを締め付けた。
 古い革手袋と、腐った牛乳と、使い込んだ雑巾と、熱帯夜の寝汗を吸い込んだシーツとを一度に鼻面に押しつけられたような、猛烈な腐臭がする。
 その臭いと、生暖かく不快な感触で、エル・クレールは息を詰まらせた。
 両手に満身の力を込めて引きはがそうとしても、手袋もどきは微動だにしない。逆に尖った「爪」が彼女の皮膚に食い込んでくる。
 不快から逃れようとすると、身体は無意識に後ずさって行く。前も後も足下の小石も見えない彼女は、当然のように足をもつれさせて、派手に転んだ。
 手袋もどきの指の間から、空と、ブライト=ソードマンのしかめっ面が見えた。
「元皇帝陛下様よ。俺はあんたの娘に嫌われたかぁないンで、あんたを侮辱したくはねぇんだが……この状況を見てると、意に反してあんたを軽蔑しなきゃならんようだ」
 彼は暗い目で右腕を振り上げた。
 やがて、赤い剣の切っ先が、エル・クレールの顔面めがけて振り下ろされた。
『突き刺さる!』
 反射的に目を閉じたエル・クレールの、妙に冷静だった頭の奥で、懐かしい声がした。
 われ鐘のような激しさだった。……かつてそれほどの激しさでこの声を聞いたことはなかった。
 エル・クレールは目を見開いて、その声が言う言葉を復唱した。
「我が愛する正義の士よ。赫《あか》き力となりて我を護りたまえ。【正義《ラ・ジュスティス》】!!」
 脳髄から背骨にかけて、熱湯が駆け下るような衝撃が、彼女の身体を襲った。
 腰骨の端が鈍器で殴られたように熱い。思わず、その鈍い痛みがある場所を押さえ込んだ。
 左の腰……ちょうど、ベルトに下げる拝剣の金具の当たる辺り……に、火の固まりを感じた。
 それは掌の中で、確かに存在する「物体の堅さ」を持っている。
 掴んで、引き抜いた。赤い光を放つ、細身の剣の形をしていた。
 エル・クレールはその切っ先を自分の顔面に張り付いている手袋もどきに突き刺した。
 ねっとりとした白濁液を噴き出させた手袋もどきはビクリビクリと数回痙攣した後、エル・クレールの顔面を掴むことを止めた。そして彼女の顔の上をどろりと撫でながら、左の耳の脇へ落ちた。
 急激に新鮮な空気が肺へと流れ込み、その濃厚さに、彼女は激しく咳き込んだ。
 その耳元で、熱い風が巻き起こった。
 顔の右に赤い刃が見えた。切っ先は一匹の痙攣する手袋もどきを突き通して、地面にめり込んでいる。
 妙に熱を持った液体が、エル・クレールの髪の毛に飛び散った。
「起きろ! 休んでる暇はねぇぞ!」
 ブライトは相変わらずのしかめっ面で彼女の顔をのぞき込んでいた。
「はい!」
 鳳仙花の実が弾けるような勢いで、彼女は飛び起き、身構えた。
 相変わらず、手袋もどきの小動物……生き物ではないらしいのだが……は地面を埋め尽くす勢いでそこに群れていた。
 ただし、その三分の一程はすでに動いてはおらず、三分の一程は自身の体液らしき物にまみれながらのたうち回っている。
「残りはお前さんの仕事ってことにするかね」
「えっ!?」
「おまえさんの親父がずいぶん張


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