幻惑の【聖杯の三】 − 【8】

ワだらけの広い額をなでた。
「何年前だったか、わしがホムンクルスの錬成に成功したらしいという噂を聞いたという若い男が訪ねて来おった。その男は錬成の方法を知りたがっての。理由を聞くと、こんな具合に言いおったよ。
『前線で兵士が命を落とさぬようにするにはどうしたらよいか、その答えを探している』
 わしは、戦なんぞしなければ、臣民が命を落とすことも無いと答えてやったが……。その男はうなずきながらこう言いおった。
『確かにその通りではあるが、現実ではそうも行かない。それでも兵士の命を守りたいから、兵士でないモノを前線に送りたいのだ』」
「兵士でない『モノ』、ですか?」
「優秀な兵士の能力をすべて持っている……主人の命令を理解できる知能、武器を扱える繊細な手先、強大な攻撃力、消耗に耐える持続力……そんな人工物。ふん。随分と欲張ったことを言いおったわい」
「それでまさか先生がアレを!?」
 エル・クレールの視線が泳いだ先には、床に身体半分を埋めて突っ伏している一匹のオークが居た。
「いや。作りもせなんだし、作り方を考えもしなんだよ。アレは、件の男が自力で形にしたものじゃて。
 ま、わしの大昔の著述を首っ引きにして、ということだから、結局はわしが作ったのも同然かも知れぬが。
 ところが男はその後研究から離れざるを得なくなった。それで研究を引き継いだ帝都の軍部があの形で安定させたと言う訳じゃわい。ただし、軍内でも最高機密に値するらしいから、お飾り幹部では詳細を知るよしもなかろうが」
 老人の落ちくぼんだ目は、哀れな准将閣下を眺めていた。
「うかがって良いでしょうか? その『男』というのは一体?」
 あのような説明のされ方では、エル・クレールがそう訊ねたくなるのは当然だった。
「ん。まあ、お主らになら教えても害はなかろうな。……この間、皇帝になり損ねた男さ」
「この間?」
 ギュネイ初代皇帝の急な崩御で今上皇帝が即位したのは二年前の話だが、老人にとっては昨日のことに等しいのだろう。
 そしてその時帝位に就けなかったのは、
「皇弟ヨルムンガンド・フレキ殿下……!?」
 エル・クレールの瞳に小さな驚愕が浮かんだ。しかしそれは、自身の口から母方の……しかし血のつながらない……叔父の名が出たことに対するしてではなく、その名を聞いて
「頭でっかちの末成り瓢箪め」
 と、唾棄しているブライトの態度にでも無かった。
 床に生じた小さな揺れ、そしてその揺れの発生源、それが彼女の驚きの源だった。
「あれは……あの個体はまだ斬っていなかった!」
 早く大きく踏み込んだ彼女の剣先には、床板をぶち抜いて倒れている一匹のオークがいる。
 エル・クレールは、彼女の声に背後を見やったブライトの脇を風のように抜け、赤く光サーベルをオークの背に突き立てた。
 剣先からは「確かな手応え」が感じられた。
 先ほどは感じなかったはずの、である。
 それは違和感と言ってよかった。
 戸惑った彼女の身体は、強大な筋肉の収縮によってはじき飛ばされた。
 宙を舞う彼女の腕を掴んだブライトだったが、彼は碇の役目を充分には果たせなかった。
 彼の背中にもまた、大きな衝撃が加えられたのだ。
 加速によって二人の身体はもつれ合い、そのまま壁に激突した。
 壁板はあっけなく突き破られ、廊下は塵芥で覆われた。
 破壊は、更に廊下の壁にも及んでいる。
 一箇所が突き破られたその衝撃で、鉛ガラスはことごとく割れた。
 埃が舞う中で動いているのは、獣の顔と人の巨躯を持つ物体だけであった。
 それは赤く濁った目であたりを見回すと、


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