何をした!?」
小さな身体からは想像できない大声を、クレールが発した。
『監国謁者』ルカ・アスクは、答えなかった。
その痩せた、いかにも都会の貧乏貴族的な風貌をした小役人の全身に、赤い鎖が巻き付いていた。
いや、それは彼の肉体であった。
皮膚を突き破った血管が、鎖の形を成して脈を打ち、蠢いている。
ルカは右の手をぐいと引いた。まるで二頭立て戦車の手綱を操るような仕草だった。
と。
殺気が、クレールを捕らえた。
赤いたてがみのライオン……の形をした、生ぬるい液体が、クレールを頭から飲み込んだ。
「貴女がいけないのですよ、クレール様」
ルカの「声」が、その液体の中で響いた。
「貴女が私を夫にしてくれないからいけないのです。貴女が私の妻になってくれたなら、私は『あの方』からこの国を護って差し上げたのに」
「なっ!?」
口を開いた刹那、赤黒い液体がクレールの体内に流れ込んだ。
体中の熱が、一気に下がる気がした。
呼吸ができない。気が遠退く。
「大公殿下と貴女が承知して下されば、このような事にはならなかった。妃殿下も『あの方』に連れ去られずに済んだはずです」
赤い液体の向こうで、ルカが左の鎖を引いた。
もう一頭の獅子が、猛然と駆け込んできた。
その牙は、老いた君主の頸に、深々と食い込んでいた。
『父上!!』
叫びにならない叫びで、クレールは身を震わせた。
「もっと穏やかにするつもりだったのですよ。つまり、貴女の夫となって、私がこのミッド公国の摂政……実質的な王と成ってしまえば良かった。それを、あなた方は拒絶した」
ルカは、もう一度左手の鎖を引いた。
紅蓮の獅子が、大きく跳んだ。
「さようなら、大公殿下。ミッドは私が治めます。あなたの愛娘を我が愛奴として、正当に嗣がせていただきましょう」
獅子は、その身を穴だらけの床に叩き付けた……捕らえていた獲物諸共に。
黒ずんだ赤い液体が、床一面を濡らした。
獅子の形も、人の形も、粉々に無くなっていた。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
心臓が破裂する。
身体が燃える。
どす黒く赤い液体の中で、呼吸の出来ない密室の中で、クレールは絶叫した。
その時、三筋の光が閃いた。
一つは、窓の外から。
一つは、血塗られた床から。
一つは、クレールの躰から。
全てが震えた。
この小さな城の、唯一と言っていい飾り気であった、窓のステンドグラスが、一斉に割れ散った。
硫黄の臭う熱風が吹き荒れる。
「何だ? 地震っ!? いや、ムスペル火山が噴火したか!?」
狼狽するルカの全身に、激しい痛みが奔った。
左の手の鎖の先、すでに形を失った彼の血肉が、燃えるように蒸発した。
右の手の鎖の先、獅子の形をした彼の血肉が、弾け、沸騰した。
「『アーム』だ! ジオ大公とクレール様が、無念の魂と化した!」
左の鎖の先の床の上には、確かに赤く輝く丸い貴石が落ちていた。
『ジオ大公の心は、妃を失った無念と、国を滅ぼされた無念と、どちらに因って結晶となったのか?』
「ともあれ、二つも『アーム』を献ずれば、私の『あの方』からの信任は、いよいよ厚くなる!」
歪んだ笑みが、ルカの顔を支配した。
直後。
小役人ルカは、己の五体が崩れ落ちた事に気付いた。
右の手の鎖の先に、美しいプラチナブロンドの乙女が立っていた。
身にまとう、破れて寸の合わないドレスは、確かに先ほどまで幼いクレール姫が着ていた物だった。
赤い光が、その乙女を包んでいた。
柔らかく優しい光が、ルカの身体に突き刺さる。
「な