いにしえの【世界】 − 奈落の底 【8】

うにして、裏方達の横を通り抜けた。
 見知らぬ若者を見かけた裏方達は、一様に一瞬不審顔になった。直後、暗がりに目をこらしてその「不可解な美しさ」を見いだすと、ある者は息を飲み込み、あるいは嘆息し、ある者は口笛を吹いた。
 下品な声を掛ける者もいた。肩幅の広い、下腹の出た、一寸年齢のつかめない顔立ちの男が、ブライトに向かって
「金剛の旦那、その子はどこの流行子《ハヤリコ》だい?」
 舌なめずりしながら言うその言葉の意味が、エル・クレールにはわからなかった。ただ、ブライトが物も言わずに声の主の禿頭を殴りつけたのを見て、どうやら相当に「佳くない言葉」なのだろうということは理解した。
「痛ぇ!」
 喚いた禿頭は殴った相手を凄まじい形相でにらみ返した。文句の三つ四つを言うつもりだったらしいが、そいつの口元に浮かんだ笑みと目の奥に揺れる激怒を見た途端、愛想よく後ずさりすることに方針を転換した。
 彼は助勢を求めてマイヤー=マイヨールを見た。戯作者は彼を一別すると、忌々しげに舌打ちした。禿頭は青ざめ、器用なことに後ろ向きのまま大道具の影へ走り込んだ。
 マイヤーはちらりと振り返り、小さく頭を下げた。
「こういうシゴトをしてますとね……つまり、女の踊り子ばかり集めた劇団の裏方みたいなシゴトですが……女共の喧しさやら化粧臭さやら面倒くささやらに嫌気がさす野郎も出てくるんですよ」
「女性嫌いになる者も多いと?」
 エル・クレールはマイヤーではなくブライトに訊ねた。
「……まあ、そういうことで……」
 彼は何とも表現しがたい顔つきで、歯切れ悪く答えた。
 その表現しがたい顔を彼はマイヤーに向け、
「そういうこともあるだろうってのは理解してやるが、だからってうちの姫若さまを色子呼ばわりしてもらっちゃ困るンだ。俺がこいつを抜かなかったって事を、有り難がってもらいてぇな」
 下げた大刀の柄を軽く叩き、低い声で言う。
 声を潜めたのは多分に脅しをきかせるためであるが、同時に、話の内容を当のエル・クレールに聞かれたくはなかったからであった。
『このオヒメサマときたら、下々の者の下の方のスラングはまるきり知らない温室育ちだ。そのくせ妙に向学心が高いから、解らないことがあると説明しろと迫りやがる。不承不承教えてやればやったで、穢らわしいだの不潔だのと騒ぎ立てときてる。そんなヤツにテメェが男色家に男娼扱いされたなんてことが聞こえたら、俺まで癇癪に巻き込まれて半殺しにされかねん』
 であるし、また、
『そういうウブで潔癖なところが可愛いンだ。世の中の小汚ねぇところに触らせてたまるか』
 だった。
 マイヤーは古びた刀がカチリと鳴るのを聞くと、生唾を飲み込んだ。
「何分、裏の連中はホンモノの貴族様なんてものを拝んだことがありませんもので。つまり区別が付かないんですよ。貴族の格好をしてる人間全部が、貴族の格好をした下賤に見えてしまうという按配で」
「痛ぇ皮肉を言いやがるな」
 薄く笑うブライトに、
「イヤですよ旦那。そんなつもりで言ったんじゃありません。政府のえらい人がおしなべて似而非《エセ》貴族だなんてこと、私《あたし》 ゃ一言も申し上げちゃいませんから」
 マイヤーはからりと笑って返した。
 舞台の真裏まで来ると、マイヤーは床板の一部を捲りあげた。薄暗い縦穴に縄が一筋垂らされている。
 深さはそれほどでもなさそうだった。人が立てば頭の先が見えるか見えないかぐらいの、むしろ浅い穴だった。
 穴はその深さのまま横に掘り進められ、その先が舞台の下に通じている。
 裏方が下げていた鯨油ランプを


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まろやか連載小説 1.41
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