意外な話 或いは、雄弁な【正義】 − 【15】

立った長い指が、マイヨールの下顎を掴む。
「テメェの声を聴くと反吐が出そうなくらい苛ついてくる。たった今黙らねぇと、顎骨もろとも舌ベロを引っこ抜いて、二度と言葉を吐けねぇようにしてやるぞ」
 指が頬肉に食い込み、骨を軋ませた。戯作者は出せる限りの力で上顎と下顎を重ねる。そして無理に笑った、しかしおびえた目で、巨躯の剣士を見上げた。
 マイヨールの顎から手を離すと、ブライトはマイヨールの帳面と鵞ペンを床に放った。それも、続き部屋との境の扉の前へ、だ。
 暗に「出て行け」と言っている。
『冗談じゃない! 身性を明かしたがらない美貌の若様から、どうやらご自分の身の上らしい話を、ここまで引き出したんだ。オチも聞かずに引き下がれるものか!』
 この若様に懸想している(に違いない)嫉妬深くて頭が切れて腕の立つ変態剣術使いをどうにかしたい。
 戯作者は泣きそうな顔でブライトを見上げた。
 しかし彼はすぐに、己の顔面の表現力がブライトの表情とその心の内を少しも動かさないことを悟った。
 太い眉が吊り上がり、眼光が鋭さを増している。
 貧乏ドサ周り舞踏劇団の座付き作家兼自称看板俳優の演技力と言うものは、どうもこの大男の前ではどれ程のものでもないらしい。
『それにしたって、ソードマンの旦那ときたら、よもやあたしが心中で悪態吐いてるってのを、見透かしているんじゃあるまいか?』
 マイヨールは急に背筋に冷たいものを感じ、慌てて視線を転じた。
 下唇を突き出し、眉間から鼻の頭まで皺を寄せ、眉を下げた、これっぽっちも涙の出ていない泣き顔を見せられたのは、エル・クレールだった。
『若様は旦那ほど捻くれちゃぁおられまい』
 マイヨールは瞼をパチパチと激しく開け閉めし、声を出さずに若い貴族に訴えかけようとした。
「君が突然大声を上げて、話の腰を折ったのが、そもそもの原因。自業自得のような気がするのですけれど……」
 エル・クレールはため息を吐きながら微笑した。その柔らかな笑顔は、しかしマイヨールではなくブライトに向けられている。
 言葉のない問い掛けに対する返答は、ただ一言だった。
「手短に」
 ブライトのすこぶる拘束力の強い「提案」に、エル・クレールは小さく「同意」の肯きを返した。するとブライトは
「三文以内」
 と、更なる「追加提案」をした。
 エル・クレールは一瞬困ったような顔をして首を傾げた。だがすぐに微笑を取り戻して、
「角提灯を下げた年寄りの殿様が部屋に入ってきましたので、御子は大層きつく叱られると不安になりました。しかし殿様は御子を叱らず、優しい声で、倒れた四脚の椅子と落ちた母子の肖像画を元の位置に直すように仰りました。片付けが全部済んでから、二人は揃って幽霊屋敷を出ました」
 指を三回折りながら一気に話した。若い貴族はマイヨールが――そしてその脇で彼を引き止めているイーヴァン少年が――目を見開いて呆然とこちらを見ているのへ笑みを返すと、
「お終い」
 と告げて、両の手を本を閉じるような仕草で叩いた。
 この一撃は、マイヨールに踏まれたカエルのような悲鳴を上げさせるのに充分な衝撃を放った。
 それでも戯作者は、脳の片隅で
『もし言葉を発したら、その途端、間違いなく、ソードマンの旦那の手によって――生物学的にか、物書的にかは兎も角――この世からきれいさっぱり抹消される』
 と考えるだけの「理性」は残っていたらしい。
 悲鳴という音は立てても、自分の落胆を、
『若様、そりゃあんまりだ。ヒトに期待をさせながら、ここまで引っ張ったのが、そんなつまらないオチを聞かせるためだな


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まろやか連載小説 1.41
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