れだけのことです。
そんなお国柄のことだから、御子は、殿様の命令があるために誰一人この場所に近寄らない……あるいはそんなことも有り得ると考えもしました。
しかし総ての領民が殿様の命令を守るとは限らないとも考えました。どれ程優れた為政者の元であっても、犯罪は起きるものです。
例えば、畏れ多くも高祖陛下はこの世に二人とない優れた支配者であられましたが、その治世に一人の罪人も出なかったなどと言う事実は、残念なことに無いでしょう? むしろ大勢の「罪人」が牢に入れられ、刻印を押され、切り刻まれ、焼かれ、土に戻された。
どの世にも、どんな土地にも、不心得者は必ずいる。……悲しいことですけれども、これは動かせない真実です。
だから殿様の命令が、それほど硬く、命令が出されてから十年以上時間が経ってなお、守られ続ける筈がない。そう御子は考えました。そして結論づけた。
「あそこには、人を寄せ付けない何かがある」
殿様が「近寄るな」と命令を出さねばならない何かが、誰もがその命令に逆らえない心持ちにさせる何かが、奥方様にその場所のことを口にも出せない気分にさせる何かが、そこにある。
そしてそれは……人ならぬモノに違いない。
子供の考えです。妄想と言っても良いでしょう。
おかしなもので、女子供というのは怖いモノを酷く嫌い、そのくせ恐ろしいものを好むものです。
風にゆられる布簾を幽霊と見て怖がり、怖いなら近寄らなければよいのに、開け放たれた窓に近寄って窓から身を乗り出す。
見るなと言われると見たくなる、やるなと言われるとやりたくなる。
自分の仮想の恐ろしさに、御子の体は震え、胸は期待に膨らんだ。……いくら「子供らしくないよい子」であってもやはり子供ですから。
そして御子は茂みから出た。目を見張り、耳をそばだてたまま、古い田舎の百姓屋のような離宮へ近付いた。
そこは人気の無い、薄ら暗い、寂れた古城。閉ざされた窓辺に青白い明かりが揺れているように思え、風の音の裏になにかの「声」が聞こえる感じる屋形。
御子は震えながらしっかりと剣を握った。人ならぬモノ、生きていないモノが万一現れたなら、これを引き抜いて闘おうというのです。
そう、おかしな話です。人でないモノ、生き物でないモノならば、剣で切って捨てることなどできようものですか。
いや、たとえ「それ」が斬りつければ倒れてくれる手応えのある体を持つようなモノであっても、国中の人々が、屈強な衛兵ですら、近付くのを怖れるような存在であれば、子供の膂力では適うはずがない。
よく考えれば解りそうなことなのですが、そこでよく考えないのが子供というもの。中途に賢かったり、半端に武術を修めているような子供は、特にその傾向があります。
往々にして根拠のない自信を持っているのです。
学友の中で優れているとしても、それは学問所の中でのこと。道場の中でそこそこ勝てると言っても、それは道場の中でのこと。
世の中には「上には上」の存在があることを想像だにしない。
自分がいる場所の外のことを知らないモノだから、自分は間違いをしないと思い込み、しくじりなど微塵も考えない。
御子はそんな子供でした。
だから、父の命令を破っても、母のいいつけを守らなくても、自分が「恐ろしい何か」を倒せば、むしろ褒められる。単純にそう考えた。
いや、そう考えて、自分の中の恐怖心を消そうとしたのです。
何分にも優れた殿様になることを定められた子供故、父親を越える功績が必要だった……実際に必要と言うよりは、御子にとっては必要なものだった、