いにしえの【世界】 − いにしえの【世界】 【15】

、産婆に『姫だ』と言われて失神したそうな」
「親が気を失う顔か!」
 友人達がどっと笑った。
「それでも跡取りを作らぬ訳にはゆくまい」
「――に一番の贈り物は美女の面であろうよ。明日の夜、床に入る前に女房の顔にかぶせてしまえ」
「いやいや麻の袋で充分だ」
 花婿が一番の大口を開けて笑っていた。
「思えば哀れな娘ごだ。広い額に尖った鼻。眼差し鋭い三白眼。まだしも男に生まれておれば、中々に勇ましき顔と言われはしても、こうして笑われることはあるまいに」
 別の友人が杯を掲げた。
「気の毒なヨハンナ嬢に乾杯」
 皆がそれに応じて笑いながら杯を掲げる。
「乾杯」
 そのかけ声は、直後に悲鳴に変わっていた。
 彼らは考えもしなかった。
 よもやこんな場末の酒場に、城伯の姫がただ一人訪れていようとは。
 哀れで愚かな男達は、自分たちが「男であればまだ見られる」などと言ったその顔立ち故、彼女が男の形で酒場の暗がりにいることにまるで気がつかなかったのだ。
 しかも彼女がよく斬れる剣を携えていて、それをいきなりすっぱ抜くなどと、だれが思い至るであろうか。
 城伯の一人娘・ヨハンナ=グラーヴは、瞬く間に男達を斬り倒した。
 男装した姫の太刀筋は、彼らの急所から微妙にずれていた。
 彼らは即死しなかった――そう、不幸なことに。
 城塞都市の法律執行職を司る城伯は、本来は戦争の最前線施設の司令官だった。故に戦乱の時代にはその職にふさわしい人材、すなわち特に武に優れた者や、兵法に達者な者がその称号を得、職を任じられ、城を守っていた。
 大きな戦の無くなった太平の世では戦争の司令官という職務の部分は完全に形骸化している。城伯の称号だけが他の爵位同様に漫然と世襲されていた。少なくとも、他の城塞都市では。
 グラーヴ家はいささか違った。
 初代は武を持ってハーン帝国の始祖ノアール=ハーンに仕え、武によって取り立てられた人物とされている。
 武によって与えられた領地の、武によって守り抜いた城の中で、彼を武功を讃える数多のモニュメントが人々を睥睨していた。
「武人として得た地位は、武人として守らねばならない」
 肖像画が、胸像が、レリーフが、壁画が、天井画が、無言の言葉を発し続ける。
 時が流れ、平和な世となっても、歴代の当主達は「武人であること、軍人の誇りを持つこと」を己と己の子孫達に強いた。
 ヨハンナ=グラーヴの父親ヨハネスが、一人娘を娘として扱おうとしなかった理由も、その血の妄執にある。
「グラーヴ家の総領は、勇猛な騎士にして苛烈な戦士でなければならない」
 ヨハネス=グラーヴ城伯は娘に己の名を継がせた。父も家人達も「彼」をヨハネスと呼んだ。
 母親だけはヨハンナと呼んでいだ。ただし、その女名前を口にできるのは、夫の目と耳が届かぬ場所に限られていた。
 兎も角。若いヨハネス=グラーヴは、父親の望む通りの剣術使いになった。城下で「彼」に敵う者は数えるほどしかいないほどの手練れになった。
 父が急死するまでの間、若いヨハネスは「理想的な領主の嫡男」であり続けた。
 すなわち――。
 花婿の友人達が即死しなかったのは、攻撃者の技量が足らなかったためではない。ヨハンナはあえて急所を突かず、思うところあって止めを刺さなかった。
 それは慈悲によるものでも憐憫《れんびん》からのことでもない。城伯の娘は彼らの命を惜しんでなどいなかった。
 彼らは長い間悶え苦しみ続けた。血潮が流れ尽きるまで、彼らは生きていなければならなかった。
 彼らの霞む目に、花嫁と花婿の最初で最後の儀式を見せつけること


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