いにしえの【世界】 8
 実のところ、彼のフレキ評はどれもこれも「ある程度は事実」だった。
 幼い頃から活発で武術好きな今上皇帝フェンリルから比べれば、学問と読書を好むフレキはおとなしい性格といえる。
 個人的な書庫として使っていた古い別荘の床板が腐って落ちたのも事実。
 集めた古い書物に注釈を付けた書籍を数冊編纂したのも事実。
 兄が帝位を次いだ後は宮殿を出、帝都から離れた領地ガップに住み暮らしているのも事実。
 そのガップはもとより痩せた土地故、税収が乏しいのも事実。
 そして女性との浮いた話がついぞ出ないと言うのも又事実。
 嘘ではないが確証もない悪態を瞑目したまま言い立てる彼に、エルはきっぱりと答えた。
「どんなことでも、あなたが知る限りを、ことごとく総て」
「どうしようもねぇな」
 妙に穏やかな声音で言い、ブライトは重たそうに瞼を持ち上げた。眼球が半分だけ露出する。瞼や頬にあった痙攣が、すっかり収まっていた。
「お怒りにならないんですか?」
 エルは残念でならないといった口ぶりで聞いた。
「ガキじゃあるめぇし、そうそう癇癪起こしてもいられねぇよ」
 ブライトはホンの一瞬ニタリと……自嘲ともとれる卑屈さで……笑った後、
「それにな、むしろあっちが気がかりだ。アレがハッタリじゃねぇとしたら、よっぽど度胸のある座長か、間抜けな興行主に違ぇねぇと思ったら、怒る気が失せらぁな」
 件のポスターを指さした。
「おっしゃっていることの、意味がわかりかねます」
 エル・クレールが唇を尖らせる。
 ブライトは、今度ははっきりと彼女を小馬鹿にしていると判る笑みを唇の端に浮かべて、指を三本立てた。
「あそこの紙切れに書いてある『フレキ=ゲー』なる人物が誰であるのか。考えられるパターンは三つだ。
 一つ。本名か筆名が偶然あの末成りと一緒だったに過ぎない悪意のない『別人』。
 二つ。あの末成りが普段使ってる名前を意識して名乗っている、乃至は、誰ぞが書き飛ばした台本に野郎の名前を接げて箔を付けさせようってぇ、浅はかな『大法螺吹き』。
 三つ。あの末成り『本人』」
 右手の指を折り曲げながら、彼は数え上げ、続ける。
「一つ目だとしたら、その戯作者はかなりうかつな奴だ。……仮にも今上の弟で、世が世なら皇帝陛下だって野郎の名前を、偶然だとはいえそのまンま名乗ってたら、憲兵に『皇帝に敬意を払わない不遜者』だと目を付けられるだろうし、下手すりゃ皇帝侮辱罪なんてくだらねぇ罪状をでっち上げられて、出世のネタにされかねねぇ」
 言いつつ、彼は左手で後頭部をなでさすっている。皇族がらみの話になって、ジクジクと頭痛がするらしい。
「二つ目なら、良くも悪くも知識人としては世界一有名な野郎の皮をかぶって、大博打を打ってるってぇことになる。
 洛陽の紙価を高めた『名前』につられて客が入るかも知らんが、バレたらそれこそ手鎖じゃすまねぇ。皇族を騙った大悪人てことで、間違いなく一座どころか三族そろって『こう』だ」
 左手が後頭部から首元に移動した。彼はそれで手刀を作り、水平に動かして見せる。
 エルは息を呑み込んだ。頭の片隅に、磔台の上で泣き叫ぶ子役の姿が浮かんだ。
 ブライトは無意識に萎縮した彼女の肩を見ると、小さくため息を吐いて再び瞑目した。
「末成りが書き留めた駄文を原作になんぞやろうってぇなら、お上の許可を得ない訳には行くめぇよ。もっとも、滅多な申請にゃ許可なんか下りんだろうがね。
 つまり、一枚っきりのポスターを後生大事に使い回すようなドサ回りが、錦の御旗を担いでいる筈もねぇってこった。
 だから三つ目だとすると、厚顔無恥にも野郎の著作を勝手に引っ張り出して、根性で無許可営業しているってぇことになる」
「それで、あなたはどれだとお思いなんですか?」
 エルが訊ねると、ブライトはふてくされた顔で、指を二本……いや遅れて薬指をゆっくり伸ばして、都合三本立てた。
「良くできた戯作者に書かせて肩書きだけ変えてるってのも考えられなかねぇが……。そうだとしても、ポスターがボロボロになるまで同じ演目を続ける前に、目の肥えた客に偽物だと気付かれる」
 ちらりと目を開けて、彼はエルの顔を見た。

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