いにしえの【世界】 16

 エルはしかし、呆れながらもある種の期待を持ってブライトの「芝居」を眺めていた。
 それは、彼女の目にグラーヴ卿が、勅使を拝命するだけのことはありそうな逸材であることに間違いはないと映っているからだ。
『確かに居鷹で、物言いには棘はあるけれども……。言っていることは理に叶っている』
 その口ぶりが妙なほど優しげな事に薄気味の悪さを感じることもまた事実であるが、それでも『ただ者でない』のは間違いなかろう。
 ブライトがそれをどの様に言いくるめるつもりなのか知りたい。
『きっと、嘘でないけれども真実でもないことを並べ立てるのだろうけれども』
 エルは再度ため息を吐いた。
 同時にグラーヴ卿も息を吐き出した。
「つまりあなたは何を言いたいのかしら?」
 もっと要領よく説明なさい、と言い、薄い唇に薄い弧を描かせる。
「つまりですね」
 ブライトは少しばかり首を傾げた。よくよく考えているという「振り」だろう。
「もしガップの殿様の書いたものなら、そんなに酷い話のハズがない。ガップの殿様の書いたものでなくても、殿様のお墨付きが本当なら、やっぱり酷いものであるはずがない。で、ガップの殿様が書いたものでもお墨付きを下さったものでもないってぇのなら、困ったことになるってことでやしょう? でも今ここには何もないんですよ、旦那。ガップの殿様のお墨付きも、お墨付きでないっていう証拠も、どっちもない。<だからここで結論を出すことはできない」
 ブライトは自信に満ちてはいるが小さい笑顔を頬の上に浮かべ、ちらりとエル・クレールを見た。
 エルは渋々うなずく。
 それは、「主人の心中を代弁している『つもり』の従者が、自分の話しぶりに不安を感じたので確認したところ、主人は従者の愚鈍さに呆れながらも間違いがないことを認めた」といったやりとりに見えた。
 そのように思わせようという演技であり、現に回りの者たちはそのように受け取ったが、実際はむしろ逆といえよう。
『任せておけ、口を出すな、同意しろ』
 これがブライトの笑顔が示すものであり
『勝手にどうぞ、言葉もありません、本当に困ったヒト』
 というのがエルのうなずきの意味だ。
 その奥には、
『止めたところで無駄なこと。あの人は私ことなど子供扱いで、意見しても聞き入れてくれないのだから』
 という諦めじみたものが隠れている。
 不承不承ではあるが同意を得たブライトは、笑みを大きくしてグラーヴ卿へ向き直った。
「結論をお言いなさい」
 卿は相変わらず冷たく微笑している。
「中身を確認してからにしたらどうでやしょう?」
「あらすじは聞いているわよ?」
「それそれ、そこが難しいところでさぁ。芝居というのは、実際演じてみないことにはわからないモンだっていいますよ。例えば台本ホンに『愛おしげに微笑む』ってぇト書きがあったとしやしょう。それを10人の役者に演じさせても、みんな同じように笑ったりやしないもンです。嬉しそうに微笑むヤツもいるだろうし、ちょぴっと涙を浮かべるとか、とろけるような色っぽさで笑うヤツもいる。つまりね、旦那。芝居ってぇのは台本だけで判断しちゃぁいけないモノなんで。実際に幕が上がってから締まるまで、通しで見ないとホントウの事が見えてこない代物なんですよ。ましてや、葉っぱも根っこも取っ払ったあらすじだけじゃ、何も判りゃしない」
「つまり、アタシは何も理解していないってこと? 言ってくれるわねぇ」
 グラーヴ卿は鼻先で笑った。
 ブライトは大仰にうなずく。
「旦那だけじゃありあせん。オレっちも、ウチの姫若様も、ここの三文役者が悪いかどうかさっぱり判っていない。だから悪いってのを確かめてから、踏みつぶすなら踏みつぶしてしまえばいかがですか、ということで」
「正論だわね」
 グラーヴ卿は冷ややかな視線をマイヨールに突き立てた。
 尻餅を突いたままの彼は、生唾を飲んで言葉を待った。
「それではマイヨール、あなた達のお芝居を一幕から終幕まで観ることにしましょう。……もちろん、客は入れない状態で、よ」
 マイヨールの白い顔に、さっと赤みが差した。
「それはもう、最初から特別席で見て頂こうと思っていた訳ですから」
「アタシは忙しいのよ、マイヨール。今すぐ幕を開けろと言いはしないけれど……できるだけ早く結論を出したいの。お解り?」
「それはもう! すぐに一座の者に言いつけて、舞台をしっかりくみ上げさせます。そうすれば明日の朝一番には……」
 腰を浮かせたマイヨールに、グラーヴ卿は、
「遅い」
 と一言投げつけた。
「忙しいと言っているのが聞こえなかったかしら? お前の言う明日の朝一番には出立しないといけないの……帝都に向けてね」
「では……」
 マイヨールは一瞬うつむいたが、しかしすぐさま飛び上がって、グラーヴ卿の足下にちょんと跪いた。
「今夕。夕餉の終わるころにお迎えに上がります」
 それだけ言うと、彼は鞠が弾むかのような勢いで立ち上がり、駆け出し、出て行った。 

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