いにしえの【世界】 17
マイヨールの姿が見えなくなると、グラーヴ卿は改めて目の前の二人連れを注視した。
「エル=クレール、と言ったわね。随分お若いこと……まあ、若くても有能な者はいるし、年経ても使えない者もいるけれどもねぇ」
グラーヴ卿の言葉は、感心しているようにも侮蔑しているようにも取れた。エルはどう返答すれば良いものか判らず、言葉に窮した。
それを気まずい沈黙と感じたのは、彼女だけだった。グラーヴ卿が言い終わるとすぐにブライトが
「先年、大殿様が亡くなられまして、名跡をお継ぎになられたばかりで」
大袈裟な身振りを交えて言ったからだ。
「ではその『特別な銀のお守り』は、親の代からのものかしらん? それを世襲させて良いというハナシを、アタシは聞いていないのだけれども」
グラーヴ卿の細長い指が、ブライトの手の中の大ぶりなメダルをさしている。
この質問にもエルは答えられなかった。彼女が言葉を選んでいる間にブライトが勝手にしゃべり出すからだ。
「いえいえ、旦那。これは姫若様が頂いたものですよ。ゲニックとかいう、軍隊のエライ方が……」
「その准将閣下は、もうご勇退なされたはずでしょう?」
グラーヴ卿の言葉には、明らかな疑念があった。しかしブライトの口調には変化が見られない。
「三年、いやもう四年くらい経ちますかね。末の息子さんの婚礼の席で、中風だか何だかはっきりしないンですが、とにかく身動きが取れなくなるような病気で、お倒れになられたんですよ。ええ、それはもう、大変な騒ぎになりました」
「その場に居たの?」
「はい、居りやした。ウチの姫若様と、そのお偉いさんの末の息子……えっと、姫若、あの方はなんて言いましたかね?」
ブライトは悪戯心に満ちた顔でニタリと笑いかける。
『調子を合わせろ』
と言うことなのだろうと理解したエル・クレールは、必要最低限の言葉のみを返した。
「カリスト殿」
官位とプライドばかり高い閑職の父親の四角く脂ぎった顔に似ず、温厚そうでふくよかな若い貴族のはにかんだ笑顔が脳裏に浮かんだ。
「そう、確かそんなお名前でした。そのカリスト坊ちゃんと、ウチの姫若様はご縁がありまして」
ゲニック准将の末息子カリストは、当時十歳になるかならぬかであったハーンのクレール姫に、縁談を持ちかけた人物だった。
もっともその縁談というのは、彼の家に「クレール姫の肖像画」なるものを持ち込んだ絵描きが、芸術家としては兎も角、肖像画描きとしては問題のある腕前で、姫を実年齢よりもずっと年嵩に描いていた、という笑えないハナシから来る「間違い」であった。そのため「最初からなかったこと」にされたといういきさつがある。
その後カリストには別の田舎貴族の入り婿の口が決まった。
「それでその何とか准将様の御前で姫若様は『剣術の稽古』の様子を見て頂くことになりまして……それでこの御符を頂戴することに」
ブライトは「剣術の稽古」という言葉を、かなり不明瞭に言った。エルはそれが「わざと」であることは悟ったが、なぜわざとそのように口淀んでみせるのかまでは判らなかった。
グラーヴ卿も彼の口籠り方を不審に思った様子だった。ただし不審を感じたのは『剣術の稽古』という言葉の意味に、であった。
「相当派手な『稽古』をやった様子ね」
鼻先で軽く笑う。
「ご明察」
ブライトは気恥ずかしそうに
「お付きの猛者をこれほど」
と、指を四本立てた左手をがっくりと前に倒す仕草をした。
直後、再び悪戯な笑顔がエルに向けられる。
この時彼女は先ほどの奇妙な言いよどみが、
『言わないことで悟らせる話術。……この場合は間違った方向に誘導させることを含めて』
であることに気付いた。
エル・クレール(とブライト=ソードマン)が、カリストの婚礼の席でゲニック准将の「お付きの猛者」を4人倒したのは事実だったし、そのすさまじい戦い振りを見た准将が卒倒したのも真実に違いはない。
ただそのことは准将と軍部にとっては大変な不祥事であり、従って公にはされていない。
「なにしろ姫若様はまっすぐなお方ですから、子供と侮られるのが大嫌いで」
「そのようね」
うふふ、と、グラーヴ卿は玩具でも眺めているかのように笑った。