いにしえの【世界】 37
「『台本』と違う演技、か?」
「少しばかり。ま、大人の事情ってやつで」
マイヤーは脂汗をぬぐい、答える。
「どういう事ですか?」
エル・クレールはブライトへ向けて質問を投げた。
「この阿呆が書いた筋書きの通りの芝居は勅使の前で演るわけにはいかないってことに、どうやらこの阿呆も気付いてはいるらしいと言うことですよ、姫若。そんなことをしたら、手鎖じゃ済まない。獄門晒し首になってもおかしくない。だからこの阿呆は慌てて筋を書き直した」
ブライトの目玉が、マイヤーのそれを睨み付ける。
彼は頬を引きつらせつつ、
「そんなに阿呆阿呆と繰り返さなくても……。大体、直したと言っても、それほど大きく変更した訳じゃありません。役者の衣裳やら振り付けやら、そのあたりを少しだけ、ね」
右の人差し指と親指を重ね、一寸ばかりの隙間を作ると、愛想良い笑顔を頬の上に浮かべた。
彼は胸を張って、声音を高くし、
「その少しの違いが踊り手には厄介なもですから、騒ぎ立てているってだけですよ。筋そのものは変わってません。ガップの皇弟殿下の書いたものと、実際の芝居とを見比べていただけば、それで原本と台本の突き合わせをしたのと同じ事です」
そう言い終えると、急に背を丸めて、声を落とした。
「勅使様方が見える前に、一遍通し稽古をします。そいつを若様にご覧いただいて……それでもし妙なところがあれば、仰ってください。すぐに直しますから」
マイヤー=マイヨールは頭を深々と下げて見せた。そして、ブライトとエル・クレールが何か言いかける前に、
「ああ忙しい、大変だ、慌ただしい」
わざとらしく大声で叫びながら踵を返し、ばたばたと元来た方へ駆けだした。
「あの野郎、すっかり俺たちを『味方』に付けたと思いこんでいやがるな」
ぼそりと言うブライトに、エルが訊ねる。
「と、仰いますと?」
「規制が緩くて、袖の下の効果が絶大な田舎ばかり回ってきたもンだから、連中、感覚が麻痺していやがる。どこまでやったら不味いのか、テメェじゃわからない。で、ものを見る目のが真っ当で、なおかつテメェらの肩を持ってくれる『外の人間』に意見して貰おうってのさ」
「あなたの審美眼が見込まれたのですね。あの方、どうやらあなたのことを気に入っているようですから。でなければ、あれほど痛い目に会わされたというのに、あなたへの態度を変えないでいられるわけがない」
エル・クレールはクスリと笑った。ブライトは苦虫を噛み潰したような顔つきで、
「お前さんのご身分に目を付けたんだ。呑み屋での騒ぎで、お前さんが勅使連中よりも立場が上だと見たんだ。で、こっちがあの勅使殿に口利きしてくれると踏んだんだろうよ。その上で、いざとなったら『こちらの若様がお墨付きをくれました』てな具合に、こっちに責任を押しつけて逃げる腹積もりさ」
「あなたがお嫌いな帝都の役人に味方しないだろうと言うことも、どうやら織り込み済みのようですし」
「そこまで頭が回るかね?」
訝しむブライトの顔を、エル・クレールは
「似たもの同士のご様子ですから」
莞爾として見つめた。
「どこが!」
一瞬、声を荒げたブライトだったが、エルの掌が鼻先に突き出されると、
「よく見てやがる」
妙におとなしくなった。
彼は 彼はたおやかな掌の上に、己の拳を突き出した。
「あの阿呆、俺にアレを渡すって時に、素早く丸めて袂ンなかに仕舞い込みやがった。ヒトサマが隠したがるものは、見てみたくなるのが人情ってもンだ」
「だからといって、あれほど乱暴なやり方をすることはなかったと思うのですけれども。あれでは掏摸どころか強盗ですよ」
エルは持っている物を早く出すよう、差し出した手を軽く上下させて促す。
ブライトは握り拳を上向きに開いた。
逞しい掌の上に、赤い蝋の欠片が付いた、紐の塊が乗っている。
エル・クレールがそれを取りあげようとした途端、再び拳が握られた。
疑問と驚きで顔を上げたエルは、ブライトの表情が硬く、真剣であるのを見た。
「隠すからにはそれなりの訳があると見てのことだったンだが……」