いにしえの【世界】 50
荘厳な音楽と共に三幕目が開いた。弱小国王宮の謁見室は、簡略化された舞台装置の所為もあり、薄暗く物寂しい空間として表現されていた。
舞台中央に二つ並んだ玉座に、付け髭を蓄えた「王」と、真っ赤な口紅を引いた「王妃」が並んで据わっている。
彼らは衝撃を受けていた。愛娘は新興勢力の長と「結婚」するものだと信じていたのに、事実はそうではなかった。
質素な衣裳を纏った文官武官が数名ずつ並び立つその中心で、豪奢な衣裳を纏った第一舞踏手が舞う。
大国からの使者だ。その役目は、「王」の一人娘を「彼」の主君の後宮に入れることを促すこと。
踊り手は、「王」と「彼」の主君が対等であるかむしろ自分側の立場を一段下に置いたようなそぶりで、「王」の領土を安置するための「良策を献案」する黙劇を力強く舞った。
見事な演技だった。
踊りの型(すなわち「言葉」)は遜ったものでありながら、一挙手一投足は驕慢そのもので、大国の奢りが匂い立っている。
大国の支配者は小国の王に、暗に命令している。己の軍門に下れ。そして、命令に背くことは許されない。
使者は、「王」が「即答しかねる」と舞い演じるのに一瞥を送ると、冷笑し、床を踏みならしながら舞台袖に去った。
大号がかすかな音を立てた。同じフレーズを幾度も繰り返し、彼方で反響する山彦を表現している。
小さな国の城壁の外で陣を張っていた軍勢が、進軍喇叭を吹いているのだ。
武官役の一人が憤りの型で剣舞を踊るが、落胆しきりの「王」は彼の徹底抗戦案をすぐに受け入れることができない。
文官役の一人が「王」の許可を得ずに、使者が去って言った方向へ走る。「王」は彼の先走った行動を止めることもしない。
力なく椅子に座り込む「王」の横で、やはり力なく立ち上がった「王妃」は、肩を落としつつも、カーテンで仕切られた一隅へ向かう。
薄いカーテンの向こうには人影が揺れている。薄絹越しに「王妃」が語りかけるような弱々しい踊りを舞った。
するとカーテンが開き、そこから王女クラリスが登場する……のが官製のシナリオだ。国を救うために自らを犠牲とする覚悟を決めた彼女は、カーテンを押しのけて舞台中央に飛び出で、己の決心を表現する華麗な舞いで、両親を説き伏せる。
しかし、このカーテンは開かなかった。
クラリス役の踊り手は、カーテンを押し開かず、自室にこもったまま、舞い始めた。
悲劇の王女が姿を見せぬまま、芝居は進む。彼女は「向こう側」で、しかし定められた通りの形の演技をしている。
揺らめく白い布地に映る影は、儚く、悲しげに舞った。
「……違う……」
客席から影を見つめていたエル・クレールは、小首をかしげた。
「ひねくれ戯作者の演出のことか?」
ブライトも影の動きを眺めつつ、問う。
「いえ。そのことではありません。踊り手です。あそこで国母を演じているのは、シルヴィではないのではないかと……。
つまり、最初に初代皇帝を演じ、二幕目で花冠を投げたのとは違う人物が彼女を演じている」
「何故、そう思う?」
「背格好は確かに似通っていますが、肩幅や手足の肉付きが、シルヴィならばもっとほっそりしていると思うのです」
エル・クレールは、自身の腕の中に抱いた踊り子の体の線を思い起こしていた。
「影だけで判るかね?」
念を押され、彼女は自信なさげに頷く。
「それともう一つ。踊りの雰囲気が違うような気がします。一幕のシルヴィは『男役』であったのに、どこかに女性らしさが残っていた。彼女が『実は女』であることを暗に表現するためにそうしていたのかも知れませんけれども。ですがあの影は、女性にしてはすこし……そう、硬い感がするのです。つまり、巧く説明できませんが、『女が男らしい女性を演じている』と言うよりは……『男がたおやかな女性を演じている』ような、そんな気がするのです」
途惑いながら言うエル・クレールを見、ブライトはニタリと、少々意地悪げな笑みを浮かべた。
「全く、その観察眼をもっと別の時に発揮してほしいモンだぜ。演劇評論家なんて職じゃ、当世喰っちゃいけねぇンだからな」
小馬鹿にされた気のしたエル・クレールだったが、抗議や反論はできなかった。彼が言葉を続けたからだ。
「カーテンの向こうに居るのは、チビ助の阿呆やろうさ。つまり『舞台の上にはいないことになっている存在』役の、な」
エル・クレールは目を瞠り、ブライトの言葉のその続きを聞いた。
「あの場所には、誰もいない。――男権の象徴である『王』も、女らしさのステレオタイプの『王妃』も、攻撃性そのものの『武官』も、事なかれの体現の『文官』も、囚われのお姫様ってぇ『幻』を見て踊っている、てぇこった」