いにしえの【世界】 92
この日、この村で奇っ怪な死に方をした人間は、合わせて九名だった。
勅使一行の旗持ちの若者と、付き従っていた伝令官の男、下男二人と下女三人。そして呑み食い屋にいた二人の農夫だった。
芝居小屋に駆けつけた村の役人は、勅使の従者達の死骸を見つけ、嘔吐し、卒倒しかけた。それほどに酷い有様だったのだ。
役人達は肉食の獣が爪や牙を持って殺害したに違いないと判断した。
幾人かの村人や一座の者が、小屋の裏の方から獣の咆吼や何かが暴れる大きな音が聞こえたと証言していたし、楽屋口の壊されようも、到底人間の行いとは考えられないものだった。
呑み食い屋の前の大通りにうち捨てられていた農夫達の死骸は、明らかに人の手によって殺されていると判った。一人を真正面から唐竹割に、もう一人の胴を両断した凶器は、断面の様子から、卓越した使い手が振るった鋭利な刃物であることが明らかだった。
不可解だったのは、農夫達はそのむごたらしい姿を半時も道端に晒されていたというのに、通りを行き交う者が誰一人として気付いていなかったことだった。
彼らが悲鳴を上げたのは、芝居小屋の中で真鬼が倒され、皆の目玉から砂粒ほどの赤い欠片がこぼれ落ちた後だった。
もっとも、彼らは何故自分の目が唐突に「開けた」のか、理由を知ることはなかった。彼らからしてみれば、突然足元に惨殺体が湧き出たようなものであった。
飲み食い屋の客の中には、その時になってようやく自分も怪我を負っていることに気付かされた者もいた。その数は、傷の大小を合わせて十数人に及ぶ。
残りの死体は、勅使ヨハネス=グラーヴ卿の一行が宿舎としていた屋敷で見つかった。
勅使一行に従っていた小者下女、合わせて五名。
しかし、それらはどう見積もってもここ数日に死んだ者とは思えぬほどに腐敗が進んでいた。
屋敷には生存者がいた。一行が村に着いてから雇い入れた年配の下男ただ一人だった。
腐乱死体の傍らで腰を抜かして座り込んでいた老人は、村役人に問われて、
「皆、突然動かなくなり、見る間に肉が腐り落ちた」
と証言をした。
「ただ黙々と良く働く人たちでございました。連中はこちらから話しかけても一言だって答えやしませんでした。ええ、連中同士も互いに声を掛け合うことはありませんでした。まるでカラクリの人形のようだと、少々薄気味悪く思いはしました」
役人は公式な書類に彼の言葉をそのまま書き留めた。
信じがたい証言ではあったが、他に目撃者はいない。状況から見てもこれを信用するより他なかったのだ。
役人は老人にもう一つ尋ねた。
勅使・ヨハネス=グラーヴの行方である。
「ご家来衆を引き連れて、芝居小屋にゆかれましたよ。晩には戻られるってぇ話だったんですがねぇ」
家臣達は村の広場の芝居小屋にいた。ただし、そのうち二人は物言わぬ惨殺遺体であり、証言は取れない。
残り三名も、まともに取り調べができる状態ではなかった。
耳朶を切り落とされた衛兵は何を聞いても貝のように口を閉ざし、返答しない。
別の一人は肉体的な外傷はなかったが、余程恐ろしい思いをしたらしく、錯乱状態にあり、話をするどころではなかった。
痩せた少年(イーヴァン)は衰弱しきってい、村にただ一人の医者が尋問を許可しなかった。
フレイドマル一座の座員達も尋問された。
木戸番が
「閣下はご家来衆を連れて……確か四人、ええ、旗持ちの方が先頭で、閣下とあと三人、全部で五人で、ウチの座長と一緒に小屋へ入られました」
と言った。その後のことは判らないと首を振る。
「閣下があっしのほうをちらりとご覧になったところまでは……。そこから先のことは良く思い出せません。目がチクチク痛んだことぐらいです」
木戸番の両の目は、酷く充血していた。
座長フレイドマルは、小太りの体をガタガタと震わせつつ、役人の問いに神妙に答えた。
「確かにお屋敷から小屋へご案内いたしました。途中、呑み喰い屋に? ええ、寄りました。店の中を覗き込んだとき、埃が酷くて目がチクチクしました。閣下は私を気遣ってくださいましたよ。小屋についてすぐ、私は用があって舞台裏に参りまして……戻ってきたときにはもうお姿はなく、奇妙な、真っ黒い化け物が暴れておりました」
座長は顔中を包帯で覆い隠していた。
「目玉が落ちた……らしいんで。ええ、覚えておりません、なにも。どこかで怪我をしたのか、化け物に喰われたのか、何なのかさっぱり」
団員達のほとんどは楽屋裏におり、皆、客席の側で何が起きたのか判らないと言う。
客席の側に居たのは指揮者一人と楽隊員五名、そして戯作者だった。
楽隊員達は異口同音に
「グラーヴ卿が化け物になった」
と証言した。
ところが、同じ場所にいた戯作者がそれを否定した。
「最初から化け物でしたよ。少なくとも、劇場にやって来たヨハネス=グラーヴらしいものは、人間の服を着て人間のふりをした化け物でした。……いつから本物と化け物が入れ替わってかなんて、それは私の知ったことじゃありませんよ」
村役人は、ヨハネス=グラーヴを「生死不明、行き方知れず」と断じ、報告書に記録した。
呑み喰い屋の外で農夫達を殺した犯人として真っ先に嫌疑をかけられたのは、身元のはっきりしない余所者である、エル・クレール=ノアールとブライト=ソードマンだった。
取り調べはブライト一人が受けた。
彼は役人にエル・クレールは重傷を負い伏せっていると告げると、あとは何も言わず、自分の腰の物と「主人」のそれとを役人に提出した。
古びた長剣と真っ二つに折れた細身の剣は、持ち主にかけられていた疑いをすぐに晴らしてくれた。
樫の木を削りだした模造刀では、人を「斬り殺す」ことは到底できない。
「俺達は……特にウチのかわいい姫若様は……人を傷付ける道具が大の嫌いでね」
律儀な村役人は、ブライトの不可解な物言いも一字一句違えることなく書類に書き記した。
次に疑われたのは片耳を削がれた勅使の衛兵だった。大柄な剣術使いの剣には、脂による曇りがこびり付いていた。
決定的といえる証拠があったにも関わらず、村役人は彼を捕縛することができなかった。
衛兵は件の長剣の切っ先を自分の喉元に向けると、勢いよく大地へ倒れ込んだ。
この「十人目の死者」が出たのは、夜明けの鶏が鳴く直前だった。
村役人は夜なべで書類を書き上げた。
正体不明のものが、屋敷の下男下女を殺害。
勅使ヨハネス=グラーヴになりすましてグラーヴの家臣を欺して農夫達を殺害させた。
人々が集まるであろう芝居小屋に赴き、人々に害なそうとして、家臣達を死傷させた上、逃走した。
そういった事件の概要を書きまとめると、彼らは何故かその書類をブライトの所へ持ってきた。
「貴公のご主君は……」
若い地方官は恐る恐る切り出した。
「ウチの姫若様が、何だって?」
ブライトは不機嫌を丸出しにして彼を睨み付けた。
利き腕の骨を折られ、全身を強く打ったエル・クレールは、村の宿屋の一室で手当を受けている。その「病室」に、彼は入ることを許されていないのだ。