フツウな日々 28 | |
龍はそのまま脱衣所に出た。
脱衣籠の中からふわふわのバスタオルを引っ張り出して頭からかぶり、ぐしゃぐしゃと髪の毛を拭いた。同時に顔も拭いた。
背中もお腹もお尻も足も、全部拭き終わると、彼はタオルを脱衣籠に投げた。
彼の体に付いた水滴を全部吸い尽くしていたバスタオルは、べっとりと重たそうに籠の中へ落ちた。
それは何かに似ている。龍はバスタオルをじっと見た。
白い大判のバスタオル。
龍が自分の家のお風呂や水泳の授業で使うような、薄くてちょっとごわっとしてからっと軽いのとは少し違う、毛足のふわっと長いバスタオル。
保育園の頃、夏のお昼寝の時間にかぶった、タオルケットによく似た感触。
家のタオルは粉石鹸の涼しい匂いがしてピンと皺がないのだけれど、龍が通っていた(というか預けられていた)保育園で洗った物は、お昼寝タオルケットもおもらしパンツもみんな花の匂いがしてふわふわしてた。
洗濯糊とか柔軟仕上げ剤とかいう物の存在をまだ知らない龍は、洗うときに何を入れるかでい上がりに違いがあるなんて事はさっぱり思いつかず、
「お母さんが洗うと硬い、保育園の先生が洗うと柔らかい」
と単純且つ明快に考えていた。
「でも、それじゃない。似てるのは、違うタオル」
口の中でもごっとつぶやき、龍はなお籠の中のバスタオルをじっと見た。
じっと見ていると、タオルの周囲が急に暗くなった。驚いて顔を上げた龍は、磨りガラスのドアに人影を見つけた。
ドアはカラカラと軽快な音を立てた。
「あら、もう上がったの?」
Y先生が目を丸くして立っている。腕の中にタオルと着替えを抱えていた。
龍はあわてて籠の中のタオルをひっつかんで、わたわたと腰の周りに巻き付けた。
その様子を見てY先生はクスリと笑って、直後小首を傾げた。
「バスタオル……服も?」
先生の視線は、脱衣籠の中で行儀良くたたまれたまっさらな肌着と白いポケット付きのポロシャツとジャージズボンの方へ泳いだ。
「すぐに着替えます」
あわてて籠の中から下着を拾い上げ、龍はタオルを巻いたままそれを穿いた。
そのパンツは本当におろしたての新品たということがすぐに判った。まだお腹の左側のところに「綿100%」と印刷された金色のシールが貼られたままだったからだ。
龍はジャージズボンを穿いてから、ズボンの中に手を突っ込んでそのシールを剥がし、そのあとでバスタオルを取った。
湿って重たいバスタオルを脱衣籠の縁に引っかけるように置いて、彼はシャツを拾い上げてかぶり、袖から腕を突き出しながらポロシャツを拾った。
パンツもズボンも、シャツもポロシャツも、みんな龍の体には少しだけ大きい。
ポロシャツのボタンを全部留めて、裾をジャージズボンの中に突っ込んだとき、龍は首の後ろに何かがちくっと触った。思わず手を伸ばす。
後ろ襟のタグの所にプラスチックのピンで値札が止められていた。
値札を引っ張った形で、龍の体が固まった。
『服はシィお兄さんのお古のハズじゃないの? お古に値札が付いている?』
龍はスローモーションで体を動かした。
目玉をゆっくりとY先生の方に向ける。
先生は相変わらず小首を傾げていて、相変わらずバスタオルと着替えを持っている。
ふわふわのバスタオル、新品の下着、洗い晒しの古着。
「あ!?」
大きな声と同時に、飛跳ねる瞬間のバッタの脚のように体をピンと伸ばした。
「さっき、影、先生、違う?」
龍の口は、ぶつぶつと千切れた単語を並べることしかできなかった。
「私の前に誰か来て、それを置いていってくれたのね? それで、それを私だと思った」
先生がゆっくりと言う。彼は単語を言うこともできずに、大きく頷いた。
「それは多分ひぃちゃんね。だって服が全部彼女のだもの」
「彼女!?」
龍はそう叫んだ……つもりだったのだけど、口から出たのは「かぁ」という間抜けで尻上がりの声だけだった。
鳥脅しの銃声に驚いて逃げ出す瞬間のカラスみたいな声を出しながら、彼はあわててズボンのゴムを引っ張って広げた。薄暗い縦坑の中に白い新品のパンツはが見える。
間違いなく、窓が付いている。
龍はもう一度叫んだ。
「彼女!?」
今度はちゃんと言葉になっていた。