フツウな日々 29 |
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「彼女っていうのは、女の人って事ですよね?」
ズボンを引っ張ったまま、龍は言う。目玉はズボンの中とY先生の間を行ったり来たりしていた。
「女の子だけど、男の子の服を着ているの」
Y先生はにっこりと笑った。
たしかに女の子が男物を着たって構わないだろうとは、龍も思う。
龍のクラスでクラス委員をやっている女子は、入学式以来一度だってスカートをはいた例しがない。スカートだとお腹が冷えてしまうから嫌だと言って、ズボンをはいている。
その子にはお兄さんがいるから、ズボンは大抵そのお下がりの男物だ。
だけど、その子はズボンの抜けた膝に可愛いアップリケをしたり、お尻のポケットの所にリボンを縫いつけたりして、自分なりにおしゃれをしている。
ただ、誕生日だとか特別なときに新品を買って貰えることになっても、女の子用のズボンは買わないのだそうだ。
最初から女の子用に仕立ててあるズボンだと、はき慣れた男の子用のズボンと違って、なんだかお尻のあたりが落ち着かないというのが、クラス委員の言い分だった。
龍はその子がオカシイと思ったことは一度だってない。服は自分が気に入ったものを着ればいいと思う。
でも、下着はどうなんだろう。件のクラス委員に関して言えばだけれども、下着まで男物だという話は聞いたことがない。
でも彼女の言いぶりだと、男物の下着でもはき慣れてしまえばそっちのが良いって事になるだろう。
龍は股のあたりが急にむず痒くなってきた気がして、思わずお尻にぎゅっと力を入れた。
頬の肉がぴくりと引きつった彼の様子を見て、Y先生は可笑しいような、それでいてちょっと辛いような、寂しそうな顔をした。
「ひぃちゃんのお母さんはね……私の妹なんだけれど……どうしても男の子が欲しかったのね。だからひぃちゃんがお腹の中にいた頃から男の子の名前を付けて、青のベビー服や、青い色のガラガラとかおしゃぶりとかを買って、布団や毛布も全部青い色でそろえちゃったの。生まれる前から、生まれてくるのは絶対男の子だって、思い込んじゃったのよ。
あんまり強く思い込んでしまった物だから、生まれてきて女の子だって判っても、ピンク色の服やおもちゃを買う気にはならなかった。逆に買い足すのは男の子用の物ばかり。
だって、一年近く男の子のつもりでだったんですもの。急に女の子だって思い直すなんてこと、できなくなっちゃったのね。
それだから名前も新しく女の子の名前を考えられなくて、お腹の中にいたころ呼んでいた男の子の名前をそのまま……。
さすがに役所に出す書類に書くのは、私たちがを止めさせたけれども……それでもひぃちゃんのお母さんはひぃちゃんのことを『本当の名前』では呼べない。
ううん、彼女にとってはひぃちゃんの……ヒメコって名前のほうが偽物で、自分の付けた名前の方が『本物の名前』なのでしょうけれども」
先生はふう、と息を吐いた。とっても苦しそうなため息だった。
「ともかく、ひぃちゃんのお母さんは、ひぃちゃんが大分大きくなった今でも、男の子の服ばかり買ってくるの。ズボンもシャツも、それから下着も。だからひぃちゃんはズボンもシャツも下着も男の子の物を着ている。
先生は時々『女の子の格好をさせてあげた方が良いかな』と思うことがあったのだけれども……とりあえず今日は、彼女の服が君を助ける為に役に立ったから、男の子の服ばかりで良かったと思うことにしましょう」
先生は無理矢理に笑った。
龍はそのひぃちゃんという女の子が、どんな子供なのか知りたくなった。
お母さんは男の子だと思い込んでいて、他の家族は女の子だと思っているその子は、自分ではどちらだと思っているのだろうか。
「あの、ひぃちゃん……じゃなくて、ヒメコさんにお礼を言いたいんですけれど。服のこと、貸してくれてありがとうって」
龍が言うと、Y先生はちょっと考え込んだ。そして、
「君に会わせて良いかどうか……」
などという、なんだかよくわからない言葉を口の中でモゾモゾ言った。
何故先生が悩んでいるのか、龍にはさっぱり判らなかった。彼は言葉を自分なりに選んで、
「ヒメコさんが会いたくないって言ったら、会いません。でもどうしてもお礼が言いたいです」
頭を下げた。