幻惑の【聖杯の三】 − 【5】

 山一つ越えた側の人間は、どうやら公都の状況を知らないらしい。
「半月ほど前に、あの忌々しくも神々しい火山が少々揺れおったから、少しばかり心配しとるんじゃよ」
 首根っこをつまみ上げられた子猫のような姿勢で、老人はにっこりと笑った。
 エル・クレールはその屈託のない笑顔から顔を背けた。
「大公……ご一家は……」
「死んだよ」
 小さくふるえる声を、ブライトの低い声がかき消す。
 突き放すような冷たい事実。クレールはぎゅっと口をつぐんだ。
 ブライトはつまみ上げていたシィバ老人を解放すると、彼のひからびた顔をじっと見た。
 老人は老いに負けて垂れ下がった瞼を吊り上げた。白く濁った瞳が驚愕が泳いでいる。
「火山……ではあるまいな? 火口からは煙ばかりで火柱一つ見えなんだぞ」
「勢い余って横っ腹に新しい火口を作る火山だってある」
「しかし、何事もこちらに伝わってこぬのは解せぬぞ。いくら小さな国とは言え、一人の生き残りも居らぬはずがない。惨事があったなら、誰かが近隣にふれて回ろうが」
「俺があそこに着いたときには、もう生きた人間はいなかった。こいつも半分『死人』になりかけてた」
 太い親指が、エル・クレールを指した。当然、老人の視線はその指先を追う。
 大理石よりもなお硬く白い顔をしていた。
 唇も瞼も震えるばかりで、開くことを忘れたようだった。
 魂を失った生き人形に何を聞いても答えないと悟った老人は、仕方なしに再度ブライトを見上げた。
「それで、おぬしは公都で何をどれほど斬って捨てた?」
 ブライトは答えず、沈んだ目で老人をにらみ返した。
「さっきの戦いぶりを見れば判るわい。エル坊はアームを扱いあぐねていたが、おぬしは手足以上に使いこなしておった」
 老人が杖の先を小さく動かした。古びたその指揮棒の指示に、手袋もどきの疑似ホムンクルス達は忠実に従って、倒れた椅子を立て直した。
 ブライトはしばらく椅子をにらみ付けていたが、やがて押しつぶさんばかりの勢いで座り、座面の上で胡座をかいた。
「死んだことに気付いていない死体共を少し、未練たらしい死に損ないを少し、そいつらに取憑かれた死にかけを一人」
 そう言うと彼は、腰の革袋から石ころを三つ四つ取り出して、テーブルの上に投げた。
 石ころは親指の頭ほどの大きさだった。大きさも形もいびつで不揃いだったが、色だけは揃って夕陽のような鮮烈な赤だ。
 その赤い輝きに、うつむいていたエル・クレールの暗い目が、いっそう暗くなった。
「こりゃまた、半端で弱々しい魂よのう」
「じいさん。あんまり直截に言うと、こいつが苦しむ」
 ブライトは視線だけでエル・クレールを指した。
「そいつらは、こいつの見知りおきだ。で、こいつが、そいつらがそんな姿になった原因でもある」
「ほう?」
「こいつはあの土地での多分唯一の生き残りだ。どうしても守ってやりたかったんだと、『これ』が末期に言っていた」
 彼は、いくつかの小石アームの中で一番大振りな物を小指の先でつついた。
「じゃが、これでは弱々しすぎて役に立たぬ。第一、知らぬ者が見てはこれを【アーム】だとは気付かぬだろうの」
 そう言うと、老人はやおら小石アーム達を一つかみに握った。
「弱い者には弱い者なりの力がある。協調、団結、協力」
 祈るような口調で老人が言うと、逆の手に握られていた杖の、赤い飾り石がかすかな光を発した。
 老人が手を開いたとき、掌には赤子の拳ほどの真球があった。
「大きな一つを散らせ、小さな複数を集める。これがわしの……と言うよりは、わしと共にあるアーム【隠者】の力じ


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まろやか連載小説 1.41
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