二つの声から「三九郎殿」と呼ばれたその若武者は、忙しく首を上下に振って、二つの声の主の顔を見比べました。
降ってきた声……すなわち前田慶次郎殿のいる上方を見た時の顔は、確かに恐れてはいるようでありましたが、なんと申しましょうか……そちらから叱られるのは致し方ないという諦観じみたものが混じっておりました。
ところが、目の前の声の主、つまるところ我が妹の於照の方を見た時と申せば、恐れ慄いた上に、驚愕を塗りこんだような、見ているこちらがかえって吃驚するほど、真っ白な顔色をしておいでたのです。
このときの於照と申しませば、頭から湯気を噴き出さんばかりの勢いで、煤で汚れた頬を紅潮させておりました。
かつてないことです。
何分にも、この我父お気に入りの末娘は、父親が何より大事に、さながら手中の珠のように大切に育て上げた箱入りでありました。
我が妹ながら、賢く、おとなしく、引っ込み思案で、なにより目上の者には従順な、いわば「これ以上ない良い姫」でありました。
それが激しく立腹して、耳割くような大声を上げたのです。
そのさまを例えて申しますれば、さながら竈の中の熾火のようでありました。
触れたが途端に、己の意思とは無関係に手を引っ込めてしまう、熱い熱い炭火です。
件の三九郎殿――すなわち、滝川三九郎一積殿も、大慌てで、私めがけて打ち下ろしたあの大刀を引っ込めました。
若武者はオロオロとしながら於照の様子をうかがいました。さすれば、於照めは、自分よりも大柄なその鎧武者をキッとにらみつけますと、
「敵と味方の区別もつかぬ御身でありますれば、此度の戦も、たいそう危ういものでございましょう。情けのうございます。例え妾《あたくし》が御身の御武運を祈ったところで、御手前の御命は無いものとお思い召されませ!」
大喝といってよいでしょう。怒鳴られる当人ではないはずの私でさえも、肝が縮み上がる思いがいたしました。
「いや、これは主が身を守りたいとの一心でしたことであって……」
ようやく小さく反論せんとする三九郎殿でありましたが、
「問答御無用にございまする」
於照はピシャリと言い切りますと、ぷいと顔を背けました。
その、下唇を突き出した、可愛げな顔を私の方へ向けますと、
「大兄《おおあに》様、大事なお勤めの途中に、女子供の相手をなさる余裕もございませぬでありましょうが、妾《あたくし》が喜んでおりますことを、どうかお許しくださいませ。まこと、ここまで参りまする間に、寿命が十年は縮む思いでございました。こうして家族の顔を見ることができて、心が晴れました」
泣笑しながら申しました。
その後ろで、三九郎殿が顔を紙のように白くして、
「兄様……照殿の兄上殿……」
聞こえるか、聞こえぬかというような小さな声で呟きつつ、上目遣いで、少々恨めしげに私の顔を見ておりました。
そこへ、
「何だ、もう婿になった気でおいでか!」
頭の上からカラカラと笑う声が振って参りました。
滝川三九郎殿が顔を上げました。白かった顔色が、見る間に赤く変わってゆきます。
「違うぞ宗兵衛、断じて違うからな! 我はただ、於照殿の兄上、と言ったまでだ」
その言葉が終わらぬうちに、今度は、樹の枝木の葉が激しく触れる音が振って参りました。
振り向きますと、私の背後の地面の上で、黒鹿毛の馬の四足の足元にもうもうとした砂塵が巻き上がっているのが見えました。
ドスンという、重い物が――つまり、肥馬一頭と武者一人が――高みから飛び降りて着地した音が聞こえたは、その後であったような気が致します