小懸 ―真田源三郎の休日―【本編】 − 【7】

 果たして、急使はやって来たのです。
 エラの張った四角い顔の真ん中に、小振りな目鼻と大きな口をギュッと一塊に放り投げたようなその顔は、よく見知ったものでありました。
 譜代の家臣です。しかし普段であれば、早馬に乗せられて使い走りをするような男ではありません。それはつまり、それほど重要な使いであるという意味でありました。
 丸山土佐守は私の出で立ちを見るなり、
「ああ、間に合うた!」
 と、叫んだものです。その声は掠れきっていましたが、声音からは本心安堵しているのが良く判りました。
 土佐は馬から滑り降りると、よろめきながら私の足元に膝をついて、
「若におかれましては、暫しご自重を……」
 荒く激しく息を吐きながら申しました。土佐は誰からの言伝であるとは申しませんでした。しかし、父の命であることは明白です。
「何故動くなと仰せか!?」
 私は、肩で息を吐く丸山土佐を怒鳴りつけました。
 土佐に当たっても仕方のないことであるのは重々承知の上です。それに私は押さえた口調で言ったつもりでした。しかし口から出たのは、憤りや怒りや落胆に塗れた、怒声の様なものだったのです。言った自分が驚くほどの、酷い声でした。
 土佐は声もなく、喘ぎながら、ただ頭を左右に振りました。
 それから幾度も生唾を飲み込んで、漸く呼吸を整えてから、
「木曽の弁丸様の件については、最初から『そのつもり』で矢沢三十郎様を付けてある、と。また沼田のことは矢沢右馬助様に任せる、と」
 父がどれ程矢沢父子を信頼していたか、これで判るというものです。事実、あの親子はその信頼に足る人物でありました。
 私は口惜しくてなりませんでした。矢沢親子は父から信じられ、大任を預けられたというのに、
「では父上は、この源三郎には何も任せられぬと仰せか?」
 拗ねた子供の言い振りでした。いえ、確かにあの頃の私は小僧若造に他なりませんでしたが、恥ずかしながら本人は一端の武将のつもりだったのです。
 私は身を乗り出しておりました。独活の大木の上半身が、土佐の縮こまった体の上に差し出されている様を傍から見たならば、さながら壊れた傘のようであったことでしょう。
 土佐は草臥れた顔をぐいと持ち上げました。細い眼をカッと開いて、口を真一文字に引き締めております。
 私は思わず身を引き起こしました。丸山土佐の顔の後に、真田昌幸の渋皮を張ったような顔が浮いて見えたのです。
 身構える私を見据え、土佐は大きく呼吸をしました。四角い顔の真ん中で、小鼻が大きく膨らみました。
「厩橋のことは一番承知の筈、と」
 言い終えると、土佐の小鼻はしゅるしゅると縮んでゆきました。
 確かに私は厩橋の地理に明るうございました。あそこは私が育った場所です。
 私は、武藤喜兵衛が武田家を裏切らない証として差し出した嫡男ですから。
 正直を申せば、あの頃の私は、地理と言えばあのあたりのこと知らないも同然でした。
 それはともかくも、武田が滅し、甲州・上州・信濃が織田の支配下となってからの厩橋の城内にも、信濃衆が差し出した証人(人質)が留め置かれていました。当然、当家から出されていた証人もおります。
「於照か……」
 背筋に震えが来ました。
 父は「於照を取り戻せ」と言っている――。
 私はそう判断しました。
 差し出した証人を戻すということは、すなわち、父は織田家を見限る決心をした、ということです。
 私は肺臓の息を総て出し尽くしました。そうせねば胸の動悸が治まらぬ気がしたのです。
 総てを吐き出し、吐き出した以上の気を吸い込みました。
「暫しの自重


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