Encoding of this website is Japanese(Shift_JIS). Japanese fonts required to view this website. | ||
|
ワード検索 |
---|
鈴木三重吉 | |
鈴木三重吉(すずき みえきち) 1882-09-29〜1936-06-27 広島市出身。小説家・児童文学者。 日本の児童文化運動の父。 大正7年(1918年)、児童文芸誌『赤い鳥』を創刊。 芥川竜之介、有島武郎、小川未明、島崎藤村などに働きかけ、執筆を依頼。児童文学の芸術性を高めるきっかけとなる。 同誌からは、坪田譲治、新美南吉、巽聖歌、成田為三、草川信、清水良雄などの童話・童謡作家、童謡作曲家、童画家などを輩出。 子供達のための投稿欄は三重吉、白秋、山本鼎らが選評した。 (2007/12/01(Sat) 16:41) | |
湖水の鐘 | |
作者 鈴木三重吉 山奥の村近くの湖に妖女(妖精)の王とその娘達が棲んでいた。 妖女(妖精)たちは、湖の畔に建つ礼拝堂で日に三度鳴らされる鐘の音を苦手としていた。 妖精の王は策をこらしてこの鐘を湖に沈めたうえ、取り返そうとする村人達の魂を奪い、体を湖深く沈めてしまう。 村人達は鐘を作り直したが、妖精の力のためにこの鐘は音を出すことができなかった。 時が過ぎ、一人の牛飼いの若者が妖精の王女と出会い、これを妻とした。 湖から出た妻は人間と変わらない姿をしていたが、年をとらなかった。 牛飼いと妻との間に男の子が生まれ、やがて立派な若者へと成長した。 その頃村は日照りが続き、井戸も枯れ果ててしまったが、湖の水は減るどころか逆に溢れ出し、村が水没しかねない被害を受けた。 牛飼いの妻は息子に「これはおまえの祖父である湖の妖精の王の仕業。湖の底の水晶の宮殿へ行くように」と告げる。 牛飼いの息子はマルメロの枝を一本持ち、水晶の宮殿へ向かった……。 初出:「湖水の鐘 世界童話集第六編」春陽堂 1918(大正7)年1月 (2006/10/16(Mon) 13:49) | |
黄金鳥 | |
作者 鈴木三重吉 貧しい農家に子供が生まれたが、名付け親が見つからない。 物乞いにやってきた老人がその役を買って出、子供にウイリイという名を付ける。そしてさびた鍵を一つ与えると、ウイリイが14歳になるまでしまっておくように告げて姿を消した。 ウイリイが14になると、家の前に美しい家が忽然と現れる。 件のさびた鍵で戸口を開けると、そこには彼の為にあつらえたように立派な服と、鞍を乗せた小さな灰色の馬が一頭いた。 ウイリイが馬に乗り、旅立つと、馬は人の言葉をしゃべり出した。 旅路に黄金に光る三枚の羽根を見つけたウイリイ。馬は「拾うと大変なことになる」と止めるが、彼はは羽根を拾い集める。 その羽根を並べると、そこに美しい女性の顔が描かれていた。 やがてウイリイは大きな城の馬丁となるが、夜になると羽根に描かれた女性の姿を書き写すことに熱中した。 その絵が王の手に渡り、彼は王の前に引き出された。 年老いた王に曰く「これは間違いなく自分が略奪しようとしたがかなえられなかった王女の姿である。お前がその姿を描けるならば、その居所を知っているはずだ。彼女を連れてこられないなら処刑する」 落胆するウイリイに灰色の馬は「それは羽根を拾った祟り。私に任せれば良くしてさしあげます」と、王に巨大船を建造させよと言った……。 初出:「世界童話集 第一編『黄金鳥』」春陽堂 1917(大正6)年4月 (2006/10/16(Mon) 13:49) | |
新美南吉 | |
新美南吉(にいみ なんきち、1913年7月30日 - 1943年3月22日) 児童文学作家・詩人。 鈴木三重吉主宰の雑誌『赤い鳥』出身の作家の一人であり、代表作『ごん狐』(1932年)はこの雑誌に掲載されたのが初出。 結核により29歳の若さで亡くなったため、作品数は多くない。 童話の他に童謡、詩、短歌、俳句や戯曲も残した。 (2006/10/16(Mon) 13:49) |