或日狐葡萄園《ぶだうばたけ》にはいり、赤く熟せし葡萄の高き棚より披鈴《すゞなり》にさがりたるを見て、 是は甘《うま》さうぢやと皷舌《したうち》して賞揚《ほめた》て、幾度となく躍《とび》上り踊上りたれどもとゞかず。 そこで狐が怒《はら》を發《たつ》て、「ヨシ、なんだこんなものを、葡萄はすツぱいぞ。」
なんでも手前勝手のものぢや。自分の思ふ樣になれば賞《ほめ》る、ならねば誹《そし》る。 こゝが情の私《わたくし》する處ぢやゆゑ、常に戒めねばらぬぞ。(補)
或狐溜井《ためゐ》に落て、上らんとするに手がゝりなければ、如何にせんと思案する内に、 野羊《やぎ》水を飮むと其處に來り、狐の首《あたま》を出したるを見て、 やぎ 「狐公《こんさん》、水は好《よう》御座りますか、たんとありますか」ととへば、 狐誠《まこと》の事を推隱《おしかく》し、「イヤモウ、好《よい》水で御座ります。 サア此處へ下りなさい。なか〜たいそうあつて私には飮盡せませぬ」といふ故、 野羊何の遠慮《かんべん》もなく直《ぢき》に躍《とび》こむ。さうすると狐がすかさず角《つの》へ手をかけ、 首《あたま》を踏《ふま》へて跳上り、心よしの野羊をふりかへりみて冷笑《あざわら》ひ、 狐 「もし汝《きさま》が髭の半分ほども智惠をもつてゐたなら、跳下る前によく見たらうに。」
或狼、咽《のど》に大い骨をたてゝ、彼地此地《あちこち》狂ひ歩き、吾この苦痛を救ふものあらば、 好報《よきむくひ》をなさんと號《さけ》ぶ。鶴その苦しみを見て氣の毒におもひ、 ひとつには好物《よきもの》を贈んといはるゝに心動き、吾救ひまうさんと、 長きくちばしを狼の口にさしいれ、ほねを引きぬき、さらば襃美を給はれと、 丁寧に乞ひ求たれば、狼目を瞋《いから》せ牙をむき出し、 「ナニ、この恩しらずめ。汝《うぬ》こそ狼《おれ》の腮《くち》へ首を入れたぢやアねえか。 夫《それ》を噬切《くひき》られぬのは最僥倖《めつけもの》だ。 なんで襃美がいるものか、おしの太え癡鈍生《おほべらぼう》め」とのゝしり答たるとなり。
むくひを得たいの、または禮をもらひたいのと思て人をすくふものは、 たま〜惡人でもすくひあてゝ、禮どころではなく、却て惡口せられたとて仕方がない。 何でも人を助けたり人に施したりするものが、報を目的《めあて》にするのは了見違ひぢや。
或呆鴉《あはうがらす》、いかにもして身を飾り、仲間鴉に誇らんものをと、 窃《ひそか》に孔雀の脱羽《ぬけばね》を拾ひ、己《おの》が尾羽根の間にさしこみ、 今迄の朋輩を輕蔑《さげすん》で、美しき孔雀の群へ飛いると、 孔雀は直《ぢき》にこのまぎれものを見出し、にくき奴かなと其假羽《かりぎ》を剪《はぎ》とり、 汝《おめえ》は汝《おめえ》の事をしなせえと云つて、觜《くちばし》をそろへて衝逐《つきだ》したり。 そこで呆鴉は、外に行べき方《かた》もなければ、また故《もと》の處へ立かへり、 ふたゝび仲間へ入らんとすると友鴉《ともからす》ども承知せず。 さきに彼奴《きやつ》の誇りたる顏色《つらつき》がにくしと云ひて、 なか〜仲間入をばさせず。ときに古老の鴉が親切に説諭《いけん》して、 「コレ、汝《きさま》、造物者賦與之分際《てんたうさまがさづけさつしやつたぶんざい》を守つて居たなら、 なんと長上《めうへ》のものに罰《しから》れもせず、同輩《なかま》のものに窘《いぢ》められもせまいに。」
夏もすぎ秋もたけ、稍々《やゝ》冬枯の頃になりて或る暖《あたゝか》なる日、 蟻ども多く打あつまり、夏の日にとり收たる餌を日の晒《ほす》とて、 穴より引出し居たり。かゝるところに、いと飢つかれたるきり〜゛す蹣跚《よろぼひ》來て、 命をつなぐため、いさゝか其餌を分ち給はれと乞へり。其時古老の蟻ふりかへり見て、 「如何樣《いかさま》御邊《ごへん》はきり〜゛すよな。 汝《そなた》は夏中何をして暮されしや。何故食に困らるゝや」と問へば、 きり〜゛す驕色《ほこりか》に答へて、「夜はいと面白《おもしろく》こそありつれ、 花に戲れ葉に眠り、口には露、身には羅衣《うすもの》、謠《うた》ひもしつ舞《まひ》もしつ」と、 いひもきらぬに蟻打笑ひ、「さらば合力《がふりき》は御無用なり。 我等は夏の炎天に脊をさらして餌を運び、此冬枯の用意をなしたり。故の今日の安心あり。 永《なが》の夏中踏《まひ》歌ひて徒《いたづら》に日を消《おく》りしものは、 冬になりては飢べきはずなり。我は知らず」と答へたるとぞ。(經)
夏に稼ぎし餘徳は、冬になりて顯《あらは》るゝものぢやぞ。
むかし或山烈しく震動して、内より何か出現するといふ評判が高くなり、 遠近より見物人多く集り來て、是は定《さだめ》てめづらしきものゝ出るなるべし、 何ならんと、人々待かねたりしに、須臾《しばらく》ありて大に地響《ぢひゞき》すると、 一疋の小鼠が孤然《ひよつくり》跳出して、チウ。
此はなしは、廣大《たいそう》の趣工をいひふらしながら、 細小《くだら》ぬ仕事をするものを誹《そし》りたるのぢや。
或日雄鷄《をんどり》が雌鷄《めんどり》のために餌を啄《ひろ》ふとて、 不圖《ふと》藁の中から寶珠《たま》を見出し、 をんどり 「オヤ、是は結構な玉ぢや。好む人はさぞほしがるだらう。 しかし私《わし》は世界中の眞珠より、一粒でも麥の方が好《いゝ》。」
此鷄はよく解理《ものわかり》せしものぢや。世の中には善惡の見分もつかずに、 何が寶か知らずして、徒らに看過す愚人が多い。
羔《こひつじ》、屋《やね》の上より下を通る狼を見下し、頻りに惡口すると、 狼立止り睨《にらみ》あげて、「ナニ此の卑怯ものめ、乃公《おれ》を馬鹿にするな、 何も汝《うぬ》が強いのぢやアねえぞ、居處がいゝからの事だ。」
高位に居て下の人をあなどるは、恰も鳶の狼を罵るに異らず。(補)
或大木の梢に雌鷲《わし》巣をかけ、狐その下に穴をつくり、互に厚情《こんい》に交通《つきあひ》ゐけるが、 一日《あるひ》狐母《おやぎつね》他行せし間に、鷲惡心をおこして、 我栖所《すみか》は高みなれば彼より報復《あだがへし》はなし得じと、狐兒《こぎつね》を攫《かき》さらひ、 我兒の餌食に持去けり。やがて狐母《おやぎつね》歸り來て、隣交《となりがら》の有まじき事と怒り、 奪はれし兒を返されん事を乞ひしに、鷲少しも承知せず。よつて狐は怨に堪ず、 近き神社《やしろ》の燈明《とうめう》を取來て、樹下《きのした》より火を放ち、 己が狐兒《こども》と諸ともに、鷲の雛をば燒亡ぼし、忽ち仇をかへしけるとぞ。
暴君一時勢に乘じて、殘虐を民に加ふるとも、いかんぞ其復讐を免るべき。
或日、鹿兒《かのこ》鹿母《はゝ》に向ひ、「母《かゝ》さま、汝《あなた》は犬よりも大くもあり、 疾《はや》くもあり、其上護身《まもり》にある角《つの》をさへ持給ふに、何故犬を恐れ給ふや。」 母鹿莞爾《につこり》として 「汝《おまへ》のいふ通りぢや、私もさう思つて居ます。雖然《だがね》、 私の耳へ犬の吠聲《ほえるこゑ》がはいりますと、なんだか知らぬが此足が、 むやみに私を率去《つれてつ》てしまひます。」
此樣《かやう》な臆病ものには勇氣を付ける言葉がない。[目次] [前章] [次章]