通俗伊蘇普物語:第十一〜二十

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第十一 狐と獅子の話(16)

未だ獅子を見た事のない狐が、初《はじめ》て途中で獅子と邂逅《ゆきあつ》たる時、 殆んど恐死せんとせり。其後また邂逅《ゆきあつ》たり時、少し恐れたるさまをかくさんとする心生じたり。 夫より後に又邂逅《ゆきあつ》たる時、今度はずつと接近《すりよ》つて、 「イヤ、大王、どうで御座ります」といふ樣に、なれ〜しくなりたりとぞ。

狎昵《こゝろやすだて》は輕侮《あなどり》を生ず。

第十二 老いたる犬の話(16)

昔日《むかし》は勢も盛に、いつも功《てがら》を顯《あらは》したる獵犬《かりいぬ》が、 よる年浪に衰へて、既《もは》や役に立ぬ樣になれり。これ犬或日主に從つて豬を駈出《かりいだ》し、 その耳に喰ひつきけるに、牙しまらずして豬脱《にげ》去れり。其時主人追迫り、 獲《えもの》をしんがせし罪を罵り、鞭を揚て打たんとしければ、 「年のよつた私を助けて下さいませ。何も勝手でにがしたのでは御座りませぬ、 全く力が衰へたゆゑで御ります。今日の過失《そさう》を激怒《おしかり》なく、 どうぞ昔の功勞《ほねおり》を思つて下さりませ。」

人もその如く、昔勢ひ盛にして戰場に功をあらはせしも、 遂に焦悴《おひくつ》れば役に立ずなりゆく。 主として昔の功を思はず、只虐逆《むごくつか》ふものは、此狩人《かりうど》の異《ことな》らず。(補)

第十三 馬と圉夫《べつたう》の話(17)

或圉夫《べつたう》飼馬の豆秣《かひば》を窃《ぬす》んで己《おの》が所得《まうけ》となし、 主人に怪まれじと永の夏中よく働いて、その馬の蹄鬣《つめかみ》を剪《き》り浴《あら》ひなどし、 美しく見せんと骨折ゐたれば、 「汝《あなた》そんに私をよく見せ樣と御思ひなさるなら、 マア梳洗《すりみがく》のを大抵にして食物《くひもの》を充分下さりませ。」

是は本をすてゝ末を務むるものを誹《そしり》たる諭言《たとへごと》なるべし。(補)

第十四 田舍漢《ゐなかうど》と蛇の話(20)

冬の夕暮に或農夫畑より歸りくる途中で、垣《かきね》のもとに凍死《こゞえし》なんとする小蛇を見かけ、 憐《あはれ》なりと覺えければ、懷《ふところ》にして我家へ歸り、地爐のそばにさし置きけるの、 暫時の内に蛇蘇《よみがへ》り、漸《やうや》くにして首《かうべ》をあげしが、 爐のまはりに遊《あそび》ゐたりし童兒《こどもら》を見て舌を吐き、 追かけ追まはしたりければ、老農《おやぢ》大に怒《はら》を發《た》ち、 ありあふ手斧をおつとつて、忽ち是を打ひしげると。

人もまたその如く、もし恩を受て恩と思はず、かへつて惡事をなすものは、 人の怒を免れず。

第十五  蛙と鼠の話(21)

むかし或處に蛙と鼠と心安く暮せしが、今迄の地は住惡《すみにく》しとて、 ともに他郷へ移る事を約し、相伴《うちつれだち》て出立せり。 その道に蛙至つて親切に見えて、朋友《ともだち》の路を踏違へぬ樣にと、 鼠の前足を己が後足へしばりつけ、案内をして躍行《とびゆき》しが、 忽ち小河の涯《ほとり》に出たり。そのとき蛙は鼠を勵し、いざ渡んと水に躍込《とびこみ》、 ともに河中まで泳ぎ行《いで》しが、蛙忽ち本心をあらはし、鼠を水中へ引入んと、 急に水底へくゞり入る。しかるに鼠は引込れじと、水面にありて騷動せり。 時に一羽の鳶河上《かし》に騷ぐ鼠を攫《つか》んで、たゞ一翼《ひとのし》に翰飛《とびあが》れば、 蛙もともに空の吊され、同じ禍《わざはひ》にかゝりけるとぞ。

勘辨なく損友《あしきとも》と遊べば、果は禍《わざはひ》にかゝるべし。 また隣人を傷はんと機巧《たく》めば、自己《おのれ》も其禍《わざはひ》に連累《ともなふ》に至らん。

第十六 漁人《れふし》笛を吹くの話(22)

或笛自慢の漁人《れふし》、漁に出、海面《うみのうへ》に魚の多く群たるを見て、 吾もし茲《こゝ》にて面白く笛をふかば、魚はその調子に乘《のり》て濱へ踊りあがるなるべし。 これ網を投《うつ》より上策《はやでまはし》なりと、例の笛を吹出せしが、 魚は一向感ぜざりけり。そこで漁人は立上り、此手ぢや行かぬと笛をおき、 網を取り打入たれば、數多の魚鱗《こうを》一網にかゝり、砂の上へあげられたり。 其時漁人魚の活溌《をどりはねる》のを見て笑ひながら、「チヨツ、吾《おれ》が笛を吹たとき、 汝輩《てめえたち》が踊らねえから、汝輩《てめえたち》が今踊たとて、 吾《おれ》は少《ちつと》も構ヤアしねえぞ。」

時と道とによつて爲すを、策の最も上なるものとす。なんぞ笛を吹いて魚を捕る事を得べき。

第十七 樵夫《きこり》と山靈《やまのかみ》の話(23)

或山の麓に住ける樵夫《きこり》、山靈《やまのかみ》と懇意になり、 一夕《あるゆふ》栖所《すみか》へ尋行《たづねゆき》しに、 ころしも極寒《ごくかん》にて冷《つめた》くありければ、 きこり指を口に當て吹くと、主人怪んで、それは何をなさるのぢやととふ。 きこり指先が餘り凍えて覺えなきゆゑ、暖めるので御座いますと答ふ。 やがて食物を出せしに熱くして食ひ難ければ、きこり皿を口へあてゝ吹くと、 主人また何をなさるぢやととふ。きこり、羹《すひもの》が餘り熱きゆゑ、 冷《さま》すので御座りますといふと、山靈《やまのかみ》忽ち色を變へ、 吾は以後御邊《ごへん》と交通《つきあふ》まじきぞ、 同じ口より熱くも冷くも、其ときなりに息を出す人とは、何事をも共になしがたきぞといひける。

是は人と交るに、言毎《ことごと》にかはり信《まこと》なきものは、 終に友を失ふといふ諭言《たとへごと》なり。(補)

第十八 犬と牛肉《にく》の話(24)

犬、牛舖《うしや》より肉一塊《ひときれ》盜出《ぬすみいだ》し、 引くはへたまゝ溝をわたるとて橋の中ほどに至る時、其影の水へ寫れるを見て、 他の犬己《おのれ》のくはへ居るより大きな肉を銜居《くはへを》るよと心得、 夫をもまた吾《わが》ものにせんものをと、水に寫れる肉にくらひ付きしに、 今まで己《おのれ》が銜《くはへ》し肉水底に沈み、前に得しものをさへ一時に併せ失ひけるとぞ。

諺に、影を握《つか》んで實《もの》を失ふといふ事あり。凡《すべて》世の人々は、 浮雲《うき》たる富を慕ひては、固有せる眞の寶を失ふ、淺ましき事ならずや。

第十九 狼と羊兒《こひつじ》の話(26)

或狼、流河《ながれがわ》の上流《みなかみ》に徘徊し、 遙か下流《かはしも》に羊兒《こひつじ》のあそび居るのを伺ひ、 如何にしてか手に入れんものをと、まづ己が辭《いひぶん》をこしらへて、 羊の方へかけ來り、 「此愚羊《ひつじめ》、汝《うぬ》は我《おれ》が飮んで居る水を濁しやがつたな」といへば、 羊丁寧に答へて、「私は下流《かはしも》で飮んで居ましたのだから、 假令《たとへ》濁しましても上流《かはかみ》には絶《とん》と害《さはり》は御座りませぬ。」 「夫はさうだとて、汝《うぬ》は一年前の吾《おれ》を惡く云つたな。」 羊ふるへながら 「えゝ、汝《あなた》一年前には私はまだ生れませぬ。」 「イヽ、假令《たとへ》汝《うぬ》でないとて、汝《うぬ》の爺翁《おやぢ》がさう云つた。 やツぱり汝《うぬ》が云つたも同然だ。 それが乃公《おれさま》の餌食をのがれる謝辭《いひわけ》になるものか。」と云つて、 直《ぢき》に弱羊《こひつじ》に躍《とび》かゝり、寸々《ずた〜》に引裂き食ひけるとぞ。

暴人に向つて分解《いひわけ》は通り難し。たとへ無辜正理の人なりとも、 惡人の威勢《いきほ》ひ熾《さか》んなる時には、これに勝事《かつこと》あたはずと知るべし。

第二十 蠅と密壺の話(27)

或砂糖類を商ふ店にて、蜜蜂の壺割れ、蜜こぼれいでければ、數多の蠅群り來て、 一滴《いさゝか》も殘《あます》まじと是を貪り居たり。然るに少時《しばらく》たつといづれも足重く氣ふさがりて、 飛むとするに飛べず。そこで蠅が皆歎息して、「アヽ、我輩《わしども》實に愚だつた。 只一時の飮樂《いんらく》のために大切な命を失します」と、口々に悔合《くやみあ》ひけるとぞ。

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osawa
更新日: 2003/03/16
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