通俗伊蘇普物語:第二十一〜三十

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第二十一 軋《きし》る車の話(28)

牛に車を引かせて、惡《あし》き路をかゝりたるに、車の軋《きし》る事甚だし。 牛奴《うしかひ》大に叱て、「此畜生《こんちくしやう》、 なぜ汝《うぬ》は其樣《そんな》に呻《うな》りやアがる、 重い荷を引いてゐる牛は默つてゐるのに。」

大聲でうなるものが何時も一番苦しいのだといふわけでもない。

第二十二 熊と狐の話(29)

或時熊が狐に向ひ、熊は人間を敬ふといふ説を主張《じまん》して、 「我輩《わしたち》は人が死んで居るときつと避《よ》けて損害《がい》をいたしませぬ」といへば、 狐笑ひながら、「もし汝等《おまへたち》が、平日《ふだん》生てゐる人を食なければ、 吾《わし》も汝《おまへ》の説《はなし》を眞實《ほんたう》だと思ふのさ。」

人を死後に敬はんより、人を死より免れしむべし。

第二十三 田舍鼠と都鼠の話(30)

或時田舍の鼠、都の友鼠を招きし事ありしが、もとより田舍の事なれば物事よろづ節儉《しつそ》にして、 よき物とてはなけれども、むかし馴染の事なれば、豆麥酪糟《まめむぎしめかす》何くれとなく、 あるに任せてもてなすに、都鼠は口に適《あは》ねば、只彼是《あちこち》と喰ちらし、 主《あるじ》の鼠が麥を穗のまゝ甘《うま》さうにかぢるのを見て、 都鼠 「なんと汝《おまへ》はマア、よくこんな生産《くらし》を忍耐《がまん》なさるぞ。 まるで穴に居る蟇《ひきがへる》同然だ。どうして此樣《こん》な淋しい岩や樹ばかりある僻地《けちなところ》が、 車や人が盛んに往來する繁華な町のくらべものになるものか。 實《ほん》に汝《おまへ》は面白くもなく月日をお送りだ。吾《わし》なんでも生て居る内は、 強盛《ごうせい》な生産《くらし》をしなければならない。なんと鼠が百萬年生きられるものでもあるまい。 さうぢやありませぬか。サア吾《わし》と一緒に來《おいで》なさい。 吾《わし》の生産《くらし》も都中《みやこ》の樣子も御目にかけたい」と云へば、 主《あるじ》の鼠は急に都の景状《さま》が見たくなり、さらば御同伴《ごいつしよ》にまゐりませう」 と打連《うちつれ》だちて出立せり。かくて田舍鼠は都鼠にともなはれて、 或日黄昏《ゆふぐれ》に紛れつゝ、都中《みやこのうち》に忍入り、漸く夜半と覺しきころ、 とある大家に至りたり。これぞ都鼠の住家《すみか》にて、 聞きしに勝る結構《かまへ》なり。やがて導《ひか》れて内へいり、 いと奧深き處に至れば、綾の衾錦《ふすまにしき》の帳《とばり》、 金銀珠玉象牙の彫工《ほりもの》、處狹《ところせまき》まで飾てあり。 扨一方《かた〜》を見かへれば、酒宴ありたる跡と見えて、山海の珍味を取散し、 噐《うつは》ものゝ數知れず、都に有名《なだたる》割烹店《れうりや》を、 盡《みな》占買《かひしめ》たといふ有樣なり。其時都鼠は田舍鼠を上座にすゑ、 自ら東西《あちこち》奔走して、皿に皿を添へ、美味《ちそう》に美味を重ね、 至つて丁寧《ねんごろ》に待遇《もてなせ》ば、田舍鼠は滿足して、 如何樣吾もこゝに住み、榮燿榮華を受けたきものぞ、生きて居る内此高運《しあはせ》に逢しは、 此上もなき幸福《さいはひ》なり、今迄の吾田舍住居《ゐなかずまひ》はいと愚なりきと思ひつゝ、 賓《きやく》も主《あるじ》と打とけて、かたり樂む眞最中、部屋の戸ががらりと押開き、 一組の醉客《なまゑひ》突入れば、鼠どもは仰天し、臺より下へ轉び落ち、 狼狽《うろたへ》る事大方ならず。命から〜゛にげ迷ひ、漸く隅のかくれけrづが、 稍しばらくして人も去り、風波《きはぎ》再びしづまりければ、田舍鼠はそろそろ這出し、 都鼠にわかれをつげ、 田舍鼠 「こんな生産《くらし》を好く人は好くだらうが、 吾《わし》は恐敷《おそろしい》事や氣遣敷《きづかはしい》事のある處で甘《うま》いものを食《くふ》より、 寧《いつそ》落付た安心の處で麥飯を食ふ方が餘程好《よう》御座ります」とそこ〜に云放《いひすて》て、 己が住家《すみか》へ歸りけるとぞ。

第二十四 獅子と鼠の話(31)

或日獅子王洞《ほら》に在りて假寐《まどろみ》ける時、鼠あちこち駈《かけ》あるく拍子に、 獅子王の鼻へかけ上り、午睡《ひるね》の夢をおどろかしければ、 手をさしのばし、ふるへ居る鼠を押へ、只一潰しになさんとせしに、 鼠哀《かなし》げなるこゑをあげ、「不思《つひ》いたしたので御座います、 どうぞ助けて下さりませ。私の樣な小身の奴に、貴い御手を御汚しなされましては勿體なう存じます」と云へば、 獅子王鼠の恐れたる樣を見て、笑ひながら許しけり。後ほどなく、 獅子王獸を駈《かつ》てはしり廻るとき、獵夫《れうし》の設《かけ》たる罠にかゝり、 逃れんとするに逃れられず、そこで大きな聲をあげて、吼狂ひゐると、 以前助けられたる鼠が遙かに聞つけ、彼聲《あれ》はなんでも恩をうけた獸《かた》に違ひないと、 直《ぢき》に其處へかけて來て、獅子に纒《からま》りたる繩を噛切り、無難《なんなく》救ひ出しけるとぞ。

他《 ひと》へ親切をするのは決して無益《むだ》にはならぬ。 どの樣のものでも、恩を受て恩を報ふ事の出來ぬといふ樣なことはないぞ。

第二十五 犬と鷄と狐の話(32)

犬と鷄と懇意になり、ともに或處へ出かけたりしに、歸路並木にかゝりける時、日の暮れければ、 さらば此處にて一泊いたさんと、鷄は樹の枝へ栖《とま》り、犬は草の叢《しげみ》に臥けり。 さて昧旦《あけがた》になると、鷄ははやく起き、例の通り朝誦經《あさかんきん》を始め、 東天紅《こけつこう》と唱ひ出すと、近處の狐が忽ち聞きつけ、好餌食ぞとかけ來り、 樹の上にとまり居る鷄に向ひ、「イヤ汝《あなた》は可愛しい好鷄《よいとり》ぢや。 なんでも羽蟲《とり》の中では一番役に御立なさる。殊に御聲も亦妙ぢや。マア茲へ御下りなさい。 御一緒に朝の御勤をいたしませう」と云へば、鷄はその意を覺り、「それは有難御座ります。 彼所《あすこ》に同行の鐘打坊が居りますから、ちよツと呼で下さりませ。 誦經《おかんきん》に鐘がないのは、どうも調子が惡いもので御座ります」といふ故、 狐が、「それぢやア呼で參りませう」と出かけると、恰度犬が走《とん》で來て、 忽ち是を喰殺ける。

他《 ひと》を罠にはめ樣とすると、却て己《おのれ》が罠にかゝるものぢや。

第二十六 蛙と牛の話(36)

或日牛澤《さはべ》に出て草を食《は》み、あちこちあるきけるとき、 蛙兒《こがひる》の一群になつてゐるのを思はず踏潰すと、其内の一疋が危き場を逃れ、 蛙母《はは》の許《もと》へ注進して、「ヤア阿孃《おつかさん》、 それはマア四足のある大きな獸《けだもの》だが、それが同氣《みんな》をふみつびしました」 といへば蛙母《はゝがへる》驚いて、「エ、大きかつたか、それはどんなに大きかつた」 といひながら、自分が滿氣《ふく》れあがり、「こんなに大きかつたか」と云へば、 こがひる 「それ處ぢやア御座りません、もつと大《おほき》う御座りました。」 はゝ 「ヨシ、夫はそんなに大きかつたか」といひながら、ぐつと滿氣《ふくれ》あがると、 蛙兒《こがひる》は仰むいて見て、「イヤア阿孃《おつかさん》、中々半分にも及《おつつき》ませぬ」 といふゆゑ、 蛙母《はゝがひる》 「夫ぢやア此樣《かう》か」と勢一ぱい息張ると、腹が破れて死にけるとぞ。

己が及びもせぬ巨大《たいそう》な事を仕樣とすると、多くは自滅するものぢや。

第二十七 兎と龜の話(38)

兎、龜の行歩《あるきかた》の遲きを笑ひ、愚弄《ばかに》して、「コウ、こゝへ來や、 競走《かけつこ》をしよう。乃公《おれさま》の足は何で出來てると思ふゾ」と威張れば、 龜は迷惑には思へども一ツ處へおし並び、サアと云はれて寸度《ちつと》も猶猶豫せず、 例の通り遲々《のそ〜》とあるき出す。されど兎は固《もと》龜を侮つて居る事なれば、 一向に遽《せき》もせず、 うさぎ 「吾《おれ》はマア一睡《ひとねむり》して往くから、急《いそい》で往《やん》なせえ、 直《ぢき》に追越すよ」と云つて微睡《とろり》とする内に、 龜の影が見なくなつた故、兎膽《きも》を消《つぶ》し、急に躍出《はねだ》して約束のところへ至つて見れば、 龜は先刻到着しt、缺伸《あくび》をして居たりけると。

遲緩《ゆるやか》なりとも弛《たゆま》ざるものは、急にして怠るものに勝つ。

第二十八 蟹兒《こかに》と蟹母《はゝかに》の話(41)

蟹母《はゝがに》、蟹兒《こがに》に向ひ、「何故此子はそんなに横斜《よこつてふ》なあるき樣をするぞ」 と云へば、 こがに 「阿母《おつかさん》、汝《あなた》の行歩《おあるき》なさり樣を御見せなさい。 私はあなたの眞直なおあるきなさり樣を見習ひませう。」

指圖せんよりまづ手本を見せよ。己《おのれ》正からざれば人を正しうすることあたはずと云はずや。

第二十九 寺へ逃込んだ羔《こひつじ》の話(42)

羔《こひつじ》、狼に追かけられ、寺の内へ逃込むと、狼せん方なく外から聲をかけ、 「コウ、汝《おめえ》、坊主につかまると殺されぜ。」 こひつじ 「さうだらう。雖然《だが》、汝《おまへ》に食はれるより神さまの牲《にへ》になる方がましだ。

羊といへどもよく死所《ししよ》を知れり。

第三十 牧童《ひつじかひ》と狼の話(43)

村近《むらぢ》の野に畜付《かひ》たる羊の番をする牧童《こぞう》、 毎日見張り居るばかりゆゑ退屈して、一日《あるひ》不圖《ふと》狼ダ〜と呼あるくと、 村中のものどもが聞きつけて、四方《はう〜゛》より駈集《かけあつ》まり、 空に大騷動したるを見て、至極面白事と思ひ、夫より後は二度も三度も同じ騷を仕出しては遊びけり。 然るに或日眞に狼出來りたれば、牧童《こぞう》大に仰天して、大聲揚てかけまはり、 一生懸命に加勢を呼べども、村のものは耳にもかけず、又例の戲謔《わるふざけ》だと一向に出合ねば、 數多の羊一疋も殘らず皆狼に喰れけるとぞ。

平常《へいぜい》虚言《うそ》を談《つく》ものは、 緊要《まさかの》時に實事《まこと》を云ても決して信ぜられぬものぞ。 兒輩《こども》よ虚言《うそ》をつくまいぞ。

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osawa
更新日: 2003/03/16
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