牛に車を引かせて、惡《あし》き路をかゝりたるに、車の軋《きし》る事甚だし。 牛奴《うしかひ》大に叱て、「此畜生《こんちくしやう》、 なぜ汝《うぬ》は其樣《そんな》に呻《うな》りやアがる、 重い荷を引いてゐる牛は默つてゐるのに。」
大聲でうなるものが何時も一番苦しいのだといふわけでもない。
或時熊が狐に向ひ、熊は人間を敬ふといふ説を主張《じまん》して、 「我輩《わしたち》は人が死んで居るときつと避《よ》けて損害《がい》をいたしませぬ」といへば、 狐笑ひながら、「もし汝等《おまへたち》が、平日《ふだん》生てゐる人を食なければ、 吾《わし》も汝《おまへ》の説《はなし》を眞實《ほんたう》だと思ふのさ。」
人を死後に敬はんより、人を死より免れしむべし。
或時田舍の鼠、都の友鼠を招きし事ありしが、もとより田舍の事なれば物事よろづ節儉《しつそ》にして、 よき物とてはなけれども、むかし馴染の事なれば、豆麥酪糟《まめむぎしめかす》何くれとなく、 あるに任せてもてなすに、都鼠は口に適《あは》ねば、只彼是《あちこち》と喰ちらし、 主《あるじ》の鼠が麥を穗のまゝ甘《うま》さうにかぢるのを見て、 都鼠 「なんと汝《おまへ》はマア、よくこんな生産《くらし》を忍耐《がまん》なさるぞ。 まるで穴に居る蟇《ひきがへる》同然だ。どうして此樣《こん》な淋しい岩や樹ばかりある僻地《けちなところ》が、 車や人が盛んに往來する繁華な町のくらべものになるものか。 實《ほん》に汝《おまへ》は面白くもなく月日をお送りだ。吾《わし》なんでも生て居る内は、 強盛《ごうせい》な生産《くらし》をしなければならない。なんと鼠が百萬年生きられるものでもあるまい。 さうぢやありませぬか。サア吾《わし》と一緒に來《おいで》なさい。 吾《わし》の生産《くらし》も都中《みやこ》の樣子も御目にかけたい」と云へば、 主《あるじ》の鼠は急に都の景状《さま》が見たくなり、さらば御同伴《ごいつしよ》にまゐりませう」 と打連《うちつれ》だちて出立せり。かくて田舍鼠は都鼠にともなはれて、 或日黄昏《ゆふぐれ》に紛れつゝ、都中《みやこのうち》に忍入り、漸く夜半と覺しきころ、 とある大家に至りたり。これぞ都鼠の住家《すみか》にて、 聞きしに勝る結構《かまへ》なり。やがて導《ひか》れて内へいり、 いと奧深き處に至れば、綾の衾錦《ふすまにしき》の帳《とばり》、 金銀珠玉象牙の彫工《ほりもの》、處狹《ところせまき》まで飾てあり。 扨一方《かた〜》を見かへれば、酒宴ありたる跡と見えて、山海の珍味を取散し、 噐《うつは》ものゝ數知れず、都に有名《なだたる》割烹店《れうりや》を、 盡《みな》占買《かひしめ》たといふ有樣なり。其時都鼠は田舍鼠を上座にすゑ、 自ら東西《あちこち》奔走して、皿に皿を添へ、美味《ちそう》に美味を重ね、 至つて丁寧《ねんごろ》に待遇《もてなせ》ば、田舍鼠は滿足して、 如何樣吾もこゝに住み、榮燿榮華を受けたきものぞ、生きて居る内此高運《しあはせ》に逢しは、 此上もなき幸福《さいはひ》なり、今迄の吾田舍住居《ゐなかずまひ》はいと愚なりきと思ひつゝ、 賓《きやく》も主《あるじ》と打とけて、かたり樂む眞最中、部屋の戸ががらりと押開き、 一組の醉客《なまゑひ》突入れば、鼠どもは仰天し、臺より下へ轉び落ち、 狼狽《うろたへ》る事大方ならず。命から〜゛にげ迷ひ、漸く隅のかくれけrづが、 稍しばらくして人も去り、風波《きはぎ》再びしづまりければ、田舍鼠はそろそろ這出し、 都鼠にわかれをつげ、 田舍鼠 「こんな生産《くらし》を好く人は好くだらうが、 吾《わし》は恐敷《おそろしい》事や氣遣敷《きづかはしい》事のある處で甘《うま》いものを食《くふ》より、 寧《いつそ》落付た安心の處で麥飯を食ふ方が餘程好《よう》御座ります」とそこ〜に云放《いひすて》て、 己が住家《すみか》へ歸りけるとぞ。
或日獅子王洞《ほら》に在りて假寐《まどろみ》ける時、鼠あちこち駈《かけ》あるく拍子に、 獅子王の鼻へかけ上り、午睡《ひるね》の夢をおどろかしければ、 手をさしのばし、ふるへ居る鼠を押へ、只一潰しになさんとせしに、 鼠哀《かなし》げなるこゑをあげ、「不思《つひ》いたしたので御座います、 どうぞ助けて下さりませ。私の樣な小身の奴に、貴い御手を御汚しなされましては勿體なう存じます」と云へば、 獅子王鼠の恐れたる樣を見て、笑ひながら許しけり。後ほどなく、 獅子王獸を駈《かつ》てはしり廻るとき、獵夫《れうし》の設《かけ》たる罠にかゝり、 逃れんとするに逃れられず、そこで大きな聲をあげて、吼狂ひゐると、 以前助けられたる鼠が遙かに聞つけ、彼聲《あれ》はなんでも恩をうけた獸《かた》に違ひないと、 直《ぢき》に其處へかけて來て、獅子に纒《からま》りたる繩を噛切り、無難《なんなく》救ひ出しけるとぞ。
他《 ひと》へ親切をするのは決して無益《むだ》にはならぬ。 どの樣のものでも、恩を受て恩を報ふ事の出來ぬといふ樣なことはないぞ。
犬と鷄と懇意になり、ともに或處へ出かけたりしに、歸路並木にかゝりける時、日の暮れければ、 さらば此處にて一泊いたさんと、鷄は樹の枝へ栖《とま》り、犬は草の叢《しげみ》に臥けり。 さて昧旦《あけがた》になると、鷄ははやく起き、例の通り朝誦經《あさかんきん》を始め、 東天紅《こけつこう》と唱ひ出すと、近處の狐が忽ち聞きつけ、好餌食ぞとかけ來り、 樹の上にとまり居る鷄に向ひ、「イヤ汝《あなた》は可愛しい好鷄《よいとり》ぢや。 なんでも羽蟲《とり》の中では一番役に御立なさる。殊に御聲も亦妙ぢや。マア茲へ御下りなさい。 御一緒に朝の御勤をいたしませう」と云へば、鷄はその意を覺り、「それは有難御座ります。 彼所《あすこ》に同行の鐘打坊が居りますから、ちよツと呼で下さりませ。 誦經《おかんきん》に鐘がないのは、どうも調子が惡いもので御座ります」といふ故、 狐が、「それぢやア呼で參りませう」と出かけると、恰度犬が走《とん》で來て、 忽ち是を喰殺ける。
他《 ひと》を罠にはめ樣とすると、却て己《おのれ》が罠にかゝるものぢや。
或日牛澤《さはべ》に出て草を食《は》み、あちこちあるきけるとき、 蛙兒《こがひる》の一群になつてゐるのを思はず踏潰すと、其内の一疋が危き場を逃れ、 蛙母《はは》の許《もと》へ注進して、「ヤア阿孃《おつかさん》、 それはマア四足のある大きな獸《けだもの》だが、それが同氣《みんな》をふみつびしました」 といへば蛙母《はゝがへる》驚いて、「エ、大きかつたか、それはどんなに大きかつた」 といひながら、自分が滿氣《ふく》れあがり、「こんなに大きかつたか」と云へば、 こがひる 「それ處ぢやア御座りません、もつと大《おほき》う御座りました。」 はゝ 「ヨシ、夫はそんなに大きかつたか」といひながら、ぐつと滿氣《ふくれ》あがると、 蛙兒《こがひる》は仰むいて見て、「イヤア阿孃《おつかさん》、中々半分にも及《おつつき》ませぬ」 といふゆゑ、 蛙母《はゝがひる》 「夫ぢやア此樣《かう》か」と勢一ぱい息張ると、腹が破れて死にけるとぞ。
己が及びもせぬ巨大《たいそう》な事を仕樣とすると、多くは自滅するものぢや。
兎、龜の行歩《あるきかた》の遲きを笑ひ、愚弄《ばかに》して、「コウ、こゝへ來や、 競走《かけつこ》をしよう。乃公《おれさま》の足は何で出來てると思ふゾ」と威張れば、 龜は迷惑には思へども一ツ處へおし並び、サアと云はれて寸度《ちつと》も猶猶豫せず、 例の通り遲々《のそ〜》とあるき出す。されど兎は固《もと》龜を侮つて居る事なれば、 一向に遽《せき》もせず、 うさぎ 「吾《おれ》はマア一睡《ひとねむり》して往くから、急《いそい》で往《やん》なせえ、 直《ぢき》に追越すよ」と云つて微睡《とろり》とする内に、 龜の影が見なくなつた故、兎膽《きも》を消《つぶ》し、急に躍出《はねだ》して約束のところへ至つて見れば、 龜は先刻到着しt、缺伸《あくび》をして居たりけると。
遲緩《ゆるやか》なりとも弛《たゆま》ざるものは、急にして怠るものに勝つ。
蟹母《はゝがに》、蟹兒《こがに》に向ひ、「何故此子はそんなに横斜《よこつてふ》なあるき樣をするぞ」 と云へば、 こがに 「阿母《おつかさん》、汝《あなた》の行歩《おあるき》なさり樣を御見せなさい。 私はあなたの眞直なおあるきなさり樣を見習ひませう。」
指圖せんよりまづ手本を見せよ。己《おのれ》正からざれば人を正しうすることあたはずと云はずや。
羔《こひつじ》、狼に追かけられ、寺の内へ逃込むと、狼せん方なく外から聲をかけ、 「コウ、汝《おめえ》、坊主につかまると殺されぜ。」 こひつじ 「さうだらう。雖然《だが》、汝《おまへ》に食はれるより神さまの牲《にへ》になる方がましだ。
羊といへどもよく死所《ししよ》を知れり。
村近《むらぢ》の野に畜付《かひ》たる羊の番をする牧童《こぞう》、 毎日見張り居るばかりゆゑ退屈して、一日《あるひ》不圖《ふと》狼ダ〜と呼あるくと、 村中のものどもが聞きつけて、四方《はう〜゛》より駈集《かけあつ》まり、 空に大騷動したるを見て、至極面白事と思ひ、夫より後は二度も三度も同じ騷を仕出しては遊びけり。 然るに或日眞に狼出來りたれば、牧童《こぞう》大に仰天して、大聲揚てかけまはり、 一生懸命に加勢を呼べども、村のものは耳にもかけず、又例の戲謔《わるふざけ》だと一向に出合ねば、 數多の羊一疋も殘らず皆狼に喰れけるとぞ。
平常《へいぜい》虚言《うそ》を談《つく》ものは、 緊要《まさかの》時に實事《まこと》を云ても決して信ぜられぬものぞ。 兒輩《こども》よ虚言《うそ》をつくまいぞ。[目次] [前章] [次章]