通俗伊蘇普物語:第三十一〜四十

[目次] [前章] [次章]

第三十一 鷄と猫の話(44)

或鷄病《やん》で塒《とや》につくと、猫親切に見舞に來て、枕頭《まくらもと》へすわりより、 ねこ 「足下《あなた》、奠恙《おあんばい》は如何で御座ります。なんぞ御用があるならいたしませう。 なにか御入用の物でもありますか。なになりとも世間にあるものなら、私が持つて參りませう。 御遠慮なくさうおつしやりませ。イサヤ決して御騷ぎなさるな。落付て御出なさい」といへば、 にはとり 「難有《ありがたう》御座ります。私にはドウモ足下《あなた》の御心配《おかまひ》下さらぬのが、 一番好《よう》御座ります。」

來てもらひ度くない客人は、別辭《いとまごひ》の時に、イヤよく御歸んなさるといふわけぢや。

第三十二 狐と山番の話(46)

狐、狩人《かりうど》に追ひかけられ、山番小屋の近所へ逃て來て、 番人の木を鋸《きつ》て居るのを見て、「旦那、ちよつと隱れさせて下され」と云へば、 番人が「彼所《あそこ》へ」と云ひながら番小屋を見かへるゆゑ、狐其意を領《さと》り、 喜んで内へ跳込み、方隅《かたすみ》に隱れて居ると、やがて馬に乘た相公《とのさま》二三人追來《かけきた》り、 「ヤイ、山番、狐が來ヤアしねえか」と云へば、番人が否《いゝえ》と云ひながら、隅の方へちよつと指を點《さ》す。 されど相公《とのさま》は一向悟らず、「夫ぢやアもつと先だ」と、また鞭を揚て駈出す。 そこで狩人《かりうど》の影《すがた》が見えなくなると、 狐がヤレうれしやと逃出《とびだ》して往《ゆく》を、番人見付けて、 「ヤイ畜生め、助けてもらつて禮も云はずにゆく奴があるものか」と云へば、 狐ふりかへり、難有《ありがた》イ旦那さんぢや、もしあなたが口のやうに御親切なら、 どうして御挨拶をせずに去《いき》ませう。」

如何《どの》やうに口上がよくとも、する事が惡ければやはり不好《いけませぬ》。

第三十三 鴉と水瓶《みづがめ》の話(47)

或鴉渇《かつ》に堪《たへ》かねたる時、はるか向《むかふ》に水瓶《みづがめ》のあるを見付け、 よろこんで其處へ飛おりて見ると、水低うして啄《はし》とゞかず。 さればとて瓶を破《わら》んにも覆《かへ》さんにも力はなし。 如何せんと當惑して居たりしが、不圖《ふと》思ひついて、傍にある砂石《じやり》を啄《くは》へ、 一ツづゝ瓶の内へ落すと、水量《みづかさ》が段々増て來て、終《つひ》に縁まであがりし故、 是を飮んで死を免れたりしと。

既《もは》や力が及ばぬといふ處で、巧智《ちゑ》と忍耐《がまん》とが功を奏《なしま》す。 そこで窘迫《ひつし》といふ事が、いつも發明の根《もと》で御座る。

第三十四 片眼《めつかち》の鹿の話(48)

一日《あるひ》片眼《めつかち》の鹿、海邊《かいへん》に出て草をはむに、 失《しひ》たる眼を海の方にし、明《みえ》る眼を陸《をか》の方にし、 是では假令《たとへ》狩人《かりうど》が來ても、眞に一目瞭然だと、 安心して遊んで居ると、武士兩三人舟遊《ふなあそび》に出かけ、 あちこち漕《こぎ》まはつて、海岸に鹿の居るのを見つけ、 有合ふ弓に矢を注《つが》へ、忽ち是を射てけり。其時鹿肩息ついて云ひけるは、 「嗚呼吾《わし》ほど運の微《わるい》ものはないゾ。 なんでも危殆《けんのん》だと思つた方は安泰で、大丈夫だと見込んだ方から敵が來《ござ》た。」

なんでも災害《わざはひ》は思ひもよらぬ方から來るものぢや。

第三十五 胃腑《ゐぶくろ》と支躰《てあし》の話(49)

或時人の四肢五官《てあしくちなど》、胃腑《ゐぶくろ》に向つて一揆を起し、 各申合けるは、我々はかく晝夜となく働いて、頻りに食物《くひもの》を仕送るに、 彼は座して食ふのみにて、絶《とん》と我等に報ひんともせず、 所詮我輩《わがともがら》今日より働を止め、此怠惰《ぶしやう》ものゝ仕送りをせざるに如《しか》ずと、 足は食堂《しよくじべや》へゆく事を止め、手は食物を口へ持込む事を止め、 口は是を受取る事を止め、齒は是をかむ事をやめ、鼻は是をかぐ事を止め、 目は是を見る事を止め、耳は飯時《めしどき》の半鐘を聞く事を嫌ひ、 如此《かくのごとく》にして兩三日たつと、胃腑《ゐぶくろ》全く飢渇《ひあがつ》て、 手足は痿《よわ》り、目は眩み、全體の衰弱きはまりたり。 其時胃腑一揆黨《いつきがた》に向ひいひけるは、「ナント汝輩《おまへたち》は馬鹿な衆ぢや。 是で今分りましたらう。今まで吾《わし》の處へ仕送つた食物をば、 何も吾《わし》が自分の用にばかり遣《つか》ひはしませぬ。 いつも夫を結構な液《しる》に釀《こな》して、血の製造場《とひや》へ送りました。 夫が即ち汝輩《おまへたち》が吾《わし》を養ふ事に勞《かゝつ》たとおいひなら、 吾《わし》も亦汝輩《おまへたち》に食物拵《くひものごしら》へにばかり暇を費したといひます。 マアいひづくにすると其樣《そん》なものだから、ナント皆の衆折合《をりあひ》て、 以來よく働きませう。さうせぬとおたがひの爲になりませぬ。」(經)

第三十六 旅人と熊の話(50)

朋友《ともだち》ふたり聯立《つれだち》て旅行せしが、山路《やまみち》にて熊に出逢たり。 壹人《ひとり》は遠《とほく》より來る熊を目ばやく見付けて膽《きも》を消《つぶ》し、 同伴《みちづれ》にはとんと構ひもせずに、唯我獨《いつさんまい》に樹の上へかけ上る。 然るに後《あと》の壹人は少《ちつ》と遲く見つけたゆゑ、既ににげる間合《まあひ》もなく、 又手に何も持《もた》ぬゆゑ防ぐ事も出來ず。 そこで熊は死人に構ぬものと兼《かね》て聞てゐた説《はなし》を頼《たのみ》にして、 死んだ眞似をして地に倒れて居ると、熊はやがて近付來て、耳や鼻や胸のあたりをあちこちと嗅廻り、 しきりと氣息《きそく》を伺ひたれど、絶《たへ》て生て居る樣子なければ、これは例の行倒《ゆきだふれ》ぢやと、 冷然《すご〜゛》と立去ると、樹の上へにげた友人《ともだち》がする〜と降來て、 下に居た友人《ともだち》に向ひ、「今熊が汝《おまへ》に何か耳語《みゝこすり》した樣だが、 何を云ひました」といへば、倒て居た友人《ともだち》がおかしさをこらへて、 「イヤサ、さしたる密談《ないしよばなし》でも御座らぬ。彼《あの》熊のおしへたに、 なんでも危急《けんのん》な時に爲身《みがまへ》ばかりして友人《ともだち》を見捨るものと交接《つきあふ》には、 如此《かう》々々せよと云つたのさ。」

第三十七 獅子と驢馬と狐の話(51)

獅子、驢馬、狐、倶《とも》に云ひ合せて狩に出て歸りしに、獲物甚だ澤山なり。 獅子驢馬に命じて是を分たしむ。驢馬其肉を三分《みわけ》し、獅子と狐の前にさし置き、 「サア各位《ごめい〜》御引取なされ」と云へば、獅子甚だ不適意《ふきげん》にて、 一言にも及ばず驢馬を引裂《ひきさき》たり。そこで獅子又狐を呼《よび》、 肉を分《わか》てと云付けると、狐委細領承《かしこまつ》て、以前の肉を一堆《ひとまとめ》にし、 其内より己《おのれ》の分と云つて只纔《わづか》の肉を取りのけ、 あとを殘らず獅子の前へさし出すと、獅子王忽ち氣色《きげん》が直り、 「誰が這樣《こん》な至公《たゞし》い分ケ方を卿《きさま》に教《をしへ》た。」 「ヘエ、ナニ私は驢馬の薄命《ふしあはせ》から知りました。」

自から不幸に遇て悟らんより、他《 ひと》の不幸を以て鑑戒《いましめ》とせよ。

第三十八 牛部屋へ逃込んだ鹿の話(52)

獵人《かりうど》に追れて逃迷《にげまよつ》たる鹿、或百姓を見かけると駈込んで、 恰好《ちやうど》あけてある牛部屋へ跳込み、 片隅に積んである藁の中へ隱ると、繋《つなが》れて居る牛聲をかけ、 「汝《おまへ》は何でこんな人目の多い處へ逃こんだのだ。」 鹿 「マアいゝから默つて居て呉《くん》なせへ。 好機會《いゝまあひ》を見ると直《ぢき》に他處《わき》へ行《ゆく》から」と云つて、 彼是する内薄暮《ゆふぐれ》になると、 牛奴《うしかひ》が夕秣《ゆふがひ》をやりに來る、作男が何か急《いそが》しさうに度々出入りする、 番頭さんが見廻りに來てあちこちと[去|曷;#2-14-24]來《うろつい》てゆく。 しかし隱れて居た鹿には誰も氣が付かずに仕舞ふと、 鹿は萬端相濟《ばんたんあいすん》で安心の時候《ばあひ》になつたと、 藁の中から聲をあげ、牛へ庇蔽《かくまは》れた禮をのべ、勃然《むく〜》と起かけると、 牛が低い聲で「アヽ、もうちつと待なせへ。 まだ此家《こゝ》に百人前の眼珠《めのくりだま》を持《もつ》てる人があります。 若し夫が來チヤア汝《おめへ》の命は危《あぶない》ものだ。」と話して居る處へ、 當家の主人晩餐《ゆふめし》を喰畢《くひしまひ》、夜の樣子を一巡り見て來やう、 なんだか此頃は牛の樣子が惡い樣だと、先づ牛部屋へずつと這入、槽《かひをけ》を見て大聲をあげ、 「なぜこんなに秣《かひ》を少くする。エ、なぜ藁をたんと敷《しか》ネへ。 エ、膽《きも》がつぶれラア。云付けた蛛網《くものあみ》がまだ掃《はら》へねヘナ。 此少許《これんばかり》の事にいつまでかゝるのだ」と小言を云ひながら、 東西《あちこち》見廻して、藁の中から角尖《つのさき》がちよつと出て居るのを見つけ、 主人 「ヤア、鹿が居た、鹿が居た」と、叫號《どなる》と、若《わかい》ものが大勢駈つけて來て、 忽ち手捕《てづかまへ》にしたりけるとぞ。

なんでも主人ほど目の屆くものはない。

第三十九 兎と獵犬《かりいぬ》の話(53)

獵犬《かりいぬ》、茂叢中《ぼきのなか》から兎を毆[注:驅出の誤り?]出《かりだ》して、 遠くまで追かけしに、兎運強くしてにげのびたり。時に途中で行合たる野羊飼《やぎかひ》が、 犬の失意《すご〜》立歸るのを見て笑ひながら、「二疋の内ぢやア中々兎の方が疾足《かけて》ぢや」といふと、 犬がこたへて「汝《あなた》、獨りは食ふが爲にかけるのに、獨りは命の爲にかけるのじやものを。」

なんでも命がけにするものが一番強《つよい》サ。

第四十 海豚《いるか》と鰮魚《いわし》の話(54)

いづれの頃にか有けん、海豚《いるか》と鯨との間に軍旅《いくさ》起りし事ありけり。 戰盛なる時に當つて、鰮魚《いわし》其場へ罷出《まかりいで》、 雙方をなだめ引分けんと周旋しければ、一疋の海豚《いるか》聲をあらゝげ、 「足下《きさま》打捨《うつちやつ》て置きなせへ。 汝《おめへ》の取扱で生るくらひなら、打合て死ぬ方がましだ。」

仲人に出て物事を治るのも、夫ほどの威望《かほ》がなければ人が承知しませぬ。 餘り輕擧《ちよこざい》な事をせぬ方がよい。(補)

[目次] [前章] [次章]
osawa
更新日: 2003/04/07
戻る