通俗伊蘇普物語:第四十一〜五十

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第四十一 燒炭人《すみやき》と暴布人《さらして》の話(55)

或燒炭人《すみやき》、小屋を廣くして明《あき》部屋ありければ、 外を通る暴布人《さらして》を呼《よん》で、「ヲイ、吾舍《おれのうち》に不要の部屋があるぜ。 來て一緒に住《すまは》ねへか」と云へば、 さらして 「夫は難有《ありがてへ》、雖然《だが》汝《おめへ》と一緒に住居《すまつ》てゐたら、 吾《おれ》が折角暴《さら》した反物《たんもの》が直《ぢき》に又黒くなるだらう。 是許《ばかり》は御斷りだ。」

餘り異《ちが》て居る間柄には、心が中々合はぬものじや。

第四十二 獅子の戀慕の話(56)

むかし或山に住《すみ》ける獅子、樵夫《きこり》の娘に戀慕して、爺《おやぢ》に迫り娘を娶らんと乞へり。 爺《おやぢ》、是を嫌へども、もし大王の機嫌を損ぜば、如何なる災害《わざはひ》にかゝらんともはかりがたしと、 とつおひつ猶豫せしが、きつと一計を案出し、直《ぢき》に獅子の許へ至り、 「此度御申込の趣は、誠に以て冥加至極、難有存奉ります。 しかし大王の御齒や御爪の樣では、何處の處女《むすめ》もおそれ奉らぬものは御座るまい。 仰ぎ希《ねがは》くは御齒を拔き御爪を剪《き》り、ちと男振《をとこぶり》をつくらせ給へ。 然らば娘もさぞ惚《ほれ》奉り、我婿殿にも相應《ふさはし》く候はん」と、 恐る〜のべければ、獅子王即座に領承し(どんな男でも情人《おつこち》にはなんでもウン〜で御座ります)、 齒を拔かせ爪を剪《とら》せ、そこでいよ〜婿になりたいと、娘の方へ出かけて來ると、 既《もう》身に備《そなへ》の無《ない》ものは少《ちつと》も可懼事《こわいこと》はないと、 爺《おやぢ》急に強くなり、天秤棒《てんびんぼう》をおつとつて、押かけ婿をたゝき出せしとぞ。

既に爪牙を失つたる後は又如何すべき。

第四十三 風と日輪の話(57)

或時日輪と風の間に、いづれの力が強からんとせんさく有りて、爭論果しなし、 さらばとかう云により、今茲《こゝ》に通りかゝる旅人に雨衣《かつぱ》をぬがせたらんかた力勝れりと定めんと、 風まづ術《わざ》を施して、寒くはげしき嵐を起せば、旅人はかたく雨衣《かつぱ》をおさへ、 吹取られじと身に纒へり。其時日輪雲間《くもま》より出て、赫々たる和光を放ち、 霧を拂ひ寒《さむさ》を除けば、旅人は暖氣を愉快《こゝろよ》しとし、 日のます〜照すに從ひ、遂に熱さに堪へかねて、覺《おぼえ》ず雨衣を脱ぎすてたりと。 そこで日輪の方《かた》勝《かち》たり。

暴を以て事を遂げ、威を以て人を伏せんより、物柔かに説諭して人の心緒《こゝろ》を解くにしかず。

第四十四 百姓と兒輩《むすこ》の話(58)

某村《それのむら》の百姓何某《なにがし》死に臨めるとき、 兒輩《むすこたち》を集め、死後の事を遺言して、「吾《おれ》の命はもうこれ限《ぎ》りじや。 さて吾《おれ》が汝等《そちたち》へ讓《ゆづろ》うといふものは外にない、 只葡萄畑の内よ。なんでも出精して稼ぐがよい」と、 言終ると息絶たり。そこで兒輩《むすこたち》は先づ埋葬《とりおさめ》の事を濟せ、 さて亡父の遺言を判斷して、なんでも亡父《おやぢ》の彼《あの》畑の内に、 黄金《かね》を埋て置たに相違はないと、各自《てんで》に耒耜《すきくわ》持出し、 毎日々々葡萄の畑を隅から隅まで掘返して、草をふるつて見た處が、 夫ぞとおもふものもなし。去《され》ど草を取り土をゆるめたるゆゑにや、 はからず葡萄の蔓葉《つるは》茂り、其出來秋に至りては例年《いつも》にまさる結果《みのり》ありて、 利市《りえき》數倍なりければ、亡父の遺言《ことば》は是なりけりと、 兄弟初めて其意を悟り、いよ〜出精しけるとなり。

家業勉強は富を得る基と知るべし。

第四十五 樹と斧の話(59)

樵夫《きこり》林の中に來り、衆樹《なみき》に向ひ腰を屈《かゞめ》て、 斧の柯《ゑ》になるべき細き木を與給はれと乞へり。 其頼《たのみ》方至つて慇懃《ていねい》なりければ、大木ども領承して、 極下賤なる秦皮《とねりこ》を渡し遣《つかは》せり。 樵夫《きこり》是を得てまづ斧の柯《ゑ》作り、そこで大木へ伐《きり》かゝると、 [木|解;#1-86-22]樹《かしのき》大に後悔し、となりの杉樹《すぎのき》へ耳語《さゝや》く樣、 「アヽ、惡い事をしました。 可憐《かはいさう》に彼《あ》の從順《おとな》しい秦皮《とねりこ》を彼奴《あいつ》の手へ渡さなかつたなら、 我輩《わしたち》はまだ生延《いきのび》ましたに。」

他《 ひと》の不爲《ふため》は吾《わが》不爲といふ事を知れ。

第四十六 驢馬と狒狗《ちん》の話(60)

或人狒狗《ちん》と驢馬とを畜《か》ふに、驢馬をば遠く廏につなぎ、 飼ふに豆や草を以てし、狒狗をば近く左右《かたはら》におき、 飼ふに膏味《かうみ》を以てして、時にふれては膝へ上げ、 愛玩する事甚し。驢馬常に思ひけるは、狒狗は毎日遊び戲れ、 旦那へざれては可憐《かあい》がられる、夫に引かへ吾《わし》はマア、 用ばかり多くして、晝は木を牽き、夜は車を廻し、 骨の折れる事ばかり、ナント狒狗が樂でゐられるのは羨敷《うらやましい》わけじやアないか、 吾《わし》も狒狗と同じ樣に旦那樣へじやれ付いたら、彼《あれ》と同樣に可憐《かわい》がられるだらうと、 或日絆《たづな》をふり切つて座敷の上へ駈上り、爬《かい》たり躍《はね》たり妙な容態《そぶり》で狂ひ廻り、 果は主人の飯を喰て居る處へ跳込むと、食机《ぜん》は倒《かへ》る汁は覆《こぼ》れる、 皿小鉢は踏こはされる。驢馬はこゝぞと圖に乘て、主人へ抱付き尾を振て、 口をなめんとしたりけるが、恰好《をりよく》臺所より男どもが駈付けて來て、 スハ、旦那の一大事と、手に〜棒をふりひらめかし、主人を救ひ驢馬を打倒し、 半死半生になしければ、驢馬は頻りに歎息して、「吾《おれ》はマア、 まぜ自己《じぶん》の本文《もちまへ》を守らなかつたらう。 呆狗《くだらねえやつ》の眞似をしてとんだめに逢《あつ》た。」

第四十七 狼と羊の話(63)

或時狼の方より羊の方へ使者以て申上る口上に、 「いつまで御互に斯《かく》讐敵《あだがたき》の思を爲し申すべき、 畢竟御邊《ごへん》の方に彼《かの》犬と申す奸奴《わるもの》があつて、 我等共を吠罵《ほえのゝし》り候故、兎角騷動を引起し申すなり。 願《ねがは》くは彼犬どもを速に追のけ玉へ。然る上は御交際《おつきあひ》に付、 以後いさゝかも故障なく、永久御懇意なるべし」とありければ、 羊は何の氣も付かず、狼の言《こと》理《もつと》もなりと、直《ぢき》に犬を追出すと、 其後は護るものがなくて、數多《あまた》の羊一疋も殘らず皆狼に喰《くはれ》けるとぞ。

第四十八 獅子へ奉公する狐の話(64)

或狐、獅子某《それがし》に奉公する事を定《き》めて、 己《おのれ》は餌食となる獸《けだもの》を見出す事を勤め、 獅子は是を捕《と》る事を職として、各々その分を守りゐて、 至極都合宜かりしが、後々に至つては、狐我慢の心を生じ、 吾《おれ》だとてなんで彼に劣《まけ》るものかと、 直《ぢき》に獸《けだもの》を捕《と》る免許《ゆるし》を乞ひ、 或日獨《ひとり》で狩に出かけると、忽ち獵師に見付けられ、却て獲物にせられけるとぞ。

第四十九 歳徳神《としがみ》と駱駝の話(65)

むかし駱駝頭《あたま》に角を添へん事を歳徳神《としがみ》へ祈り、 「他の獸にはいと勇敷《いさましく》強げなる角あるに、 何とて吾には天の惠給はざるよ」と怨《えん》じければ、 神、願を聞き給はぬのみならず、却てうるさき奴かなとて其耳を切縮《きりつめ》給ひしとぞ。

餘り多く得んとすれば、前に得し些少《わづか》の物をさへ併せ失ふに至らん。

第五十 驢馬ときり〜゛すの話(66)

驢馬きり〜゛すの唱ふを聞き、妙聲《うまきこゑ》なり、 吾も如彼《あん》な聲を持たいものだと、きり〜゛に向ひ、 「汝《おまへ》はマア何を喰《くひ》なさつて、そんな好《いゝ》聲を出しなさる」と問へば、 きり〜゛す答へて、「ナニ、別に食物《くひもの》もありませぬ。 たゞ露ばかり啜《すつ》て居ます」といふ故、驢馬が、夫では己《おれ》も露だと、 其後は露ばかり甞《なめ》て居たれば、ほどなく飢《うゑ》て死にけるとぞ。

他人《 ひと》に藥となるものが、自分には毒となる事あり。 構《かま》へて人のものを慾し、人の事を羨しなど思ふべからず。

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osawa
更新日: 2003/04/07
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