或農夫《ひやくしやう》馬に車を引かせ、泥濘《ぬか》る小路にかゝりけるに、 車輪《くるまのわ》、泥土《ねばつち》の深みへめりこみ、馬いさゝかも進まれず。 そのとき男是を推出さんと骨を折らずに、只一心にヘルキュス權現を祈り、 此難儀をすくひたまへ、助け給へと願ひければ、權現さすがに見過し給はず、 忽ち天降《あまくだり》まし〜て、「汝徒《いたづら》に我のみを頼む事なかれ。 汝先づ汝の肩を車にかけ、手をもつて輪を一塗《いつさん》に押《おす》べし。 天は只自から助からんと力を盡すものを扶《たす》くるものぞ」と、教解《けうげ》し給ひけるとなり。
如何に信仰すればとて、自から勉めざるものは、神佛も扶け給ふに術《みち》なし。
或頃兎ども四方より敵をうけて、最早仕合の取直《とりなほ》しかたもなく、 自滅するより外なしとおもひつめ、一同いひ合せて水中へ身を沈《なげ》んと、 池の方へ脱走《かけゆき》たり。此とき多くの蛙が池の邊《ほと》りに出て遊び居りけるが、 今兎の群《むらがり》來るのを見て、あわてさわいで水の中へとびこむと、 眞先に進んだる兎立止り、「我友《みんな》マア待なせへ、 我輩《おれたち》はまだそんなに思ひ切る場合でもなかつた。 此處に吾人《おれたち》よりもつと薄命《ふしあはせ》の奴があるぜ。」
他人《 ひと》の不幸に比べて吾心を安んずるな。 但し氣力をつけよ。なんでも世には吾より勝る薄命《ふしあはせ》のものがありと思ふべし。
或農夫《ひやくしやう》、蒔《まき》つけたる田を啄荒《くひあら》す鶴を捕《と》らんと、 [四/瓜]《ひるてん》を仕かけ、夕方になりて往《いつ》て見れば、 多くの鶴かゝりゐて、内に鸛《かう》の鳥一羽交り居たり。 時に鸛哀れな聲を出して、「私は鶴では御座りませぬ。 私は決して汝《あなた》の御蒔《おまき》なさつた穀物を喰《くひ》はしませぬ。 私は罪のない可哀《かわいさう》な鸛《かう》の鳥で御座ります。 どうぞおゆるし下さりませ。どうぞ御助け下さりませ」といへど、 農夫《ひやくしやう》は中々承知せず。いよ〜首筋を取詰て、 「なるほど汝《てめへ》のいふ處は皆誠實《ほんたう》だらう。 しかし汝《てめへ》は穀物を荒す奴と一緒に己《おれ》の手に捕たのだから、 汝《てめへ》も共に難儀をしなければならねへ。」
友惡ければ、其身正しといふとも人信ぜず。
或處に魚を釣《つり》て生業《なりはひ》とするものあり。 夏日《なつのひ》終日《いちにち》釣をしても所獲《えもの》なく、 夕方になりて歸らんとする時、漸く小鮮《こざかな》を一尾《ぴき》釣りあげたり。 其時小鮮《こざかな》あわれな聲を出して、「御助け下され。私はまだ小さう御座ります。 中々食料《あがりもの》にはなりませぬ。どうぞ河へ返《もど》して下さりませ。 私が大《おほき》うなりまして、丁度食《あが》れる頃になりますと、 必《きつと》此所《こゝ》へ參りまして、又御手にかゝります。」といへば、 釣師首をふつて、「否々《いや〜》吾《おれ》は今汝《てめへ》を捕へた。 もし汝《てめへ》を水の中に返《もど》したなら、其時汝《てめへ》は、 サア捕《とつ》て見サイナだらう。」
諺に、手にある鳥は、林の内の二羽にも充《むか》ふと云ふぞや。
或時走獸《けだもの》の大會ありしに、猿席上に於て所謂猿樂《さるまひ》を奏したり。 衆皆《みな〜》是を見て興に入り、喝采《ほめたて》る事かまびすし。 其時駱駝勃然《むつと》してたちあがり、負ずに踏舞《すゝはきおどり》を始めると、 誰も是を見るに堪《たへ》ず。果はひとしく立ちかゝつて、 拳《こぶし》を揚て打ちなやませ、構《かまへ》の外へ追出しけると。
諺に、袖のかゝる所より外へ手を出すなといふ事あり。 必ず自己《おのれ》に不應《かなひ》もせぬ要らざる所業《まね》を爲す事なかれ。
或時毛蟲《けもの》あつまりて、眷族《けんぞく》の多きを誇爭《ほこりあ》ふ事ありしが、 其論次第に片付きければ、遂に獅子と其多少を比べんと、 群獸《みな〜》獅子の洞窟《ところ》に來り、先づ牝獅子に向つて、 「汝《あなた》は何疋子を擧《うま》しやツた」といへば、 牝獅子目を怒《いから》せ肱を張り、「我《わたし》には唯一疋でも此雄兒があります。」
質《しろもの》惡くして數多からにより、 寧《いつそ》少くとも質《しろもの》の好《よか》らん方《かた》勝なり。
或[にんべん|倉;#2-01-77]父《ゐなかうど》、 家兒《こども》兄弟喧嘩して家眷《かない》の[門&兒]墻《おだやかなら》ぬのを憂へ、 是を和睦させやうと、種々《いろ〜》言葉を盡したれど聞入れず。 依つて譬を設けて是を諭す事を工夫し、或日家翁《おやぢ》兄弟《こどもら》を呼寄せて、 吾《おれ》の前へ薪を一把持て來いと云ひ付けたり。やがて兒輩《こどもら》薪を持來りたれば、 緊々《しつかり》と是を束ね、此儘是を折れと云ひ付けたり。 よつて兄弟代る〜゛に手をかけ足をかけて折らんとすたれどもをれず。 そこで家翁《おやぢ》束を解て、各々《めい〜》一本づゝあてがつて、 サア是を折れと云ひ付けたり。此度《こんど》は兄弟《こどもら》易《たやす》く是を折得たり。 其時家翁《おやぢ》莞爾《わら》ひながら、「それだから吾兒《こども》よ、 汝輩《そちたち》中よく合體して居る内は、力が強く仇を防ぐに充分なれど、 もし分裂《わかれ〜》になる時は、力が弱つて守るに足ぬぞ。 以後は決して喧嘩をするな」と、懇《ねんごろ》に戒めたりけるとぞ。
同心合力は勢《いきほひ》を生《な》す。
或武夫《ぶし》獅子と聯立て歩行《ある》きながら、 互に力自慢をして、イヤ人間が強い、ナニ獅子が強いと云募《いひつの》る折ふし、 路傍《みちばた》に勇者が獅子を踏《ふま》へてゐる石像の立《たて》てあるのを見て、 武夫 「コウ、是より汝《おまへ》の方が強いと云ふ何ぞ證據があるか。」 獅子 「夫は手前勝手の云方《いひかた》じや。もし我輩《わしたち》が石工《いしく》であつたなら、 人間の足の下に一疋の獅子といふ處へ、獅子の足の下に二十人の人間だらう。」
人は只自分の方へばかり、都合の好樣《いゝやう》な事をいふものじや。
或夜狼餌をさがして、東西《あちこち》あるき廻り、或家の窓下《まどした》を通りかゝると、 丁度小兒の泣聲がして、乳母《はゝ》の叱る聲聞えたり。 狼何事にやと佇立《たちどま》り、耳を聳《たて》て是を聞くに、乳母《はゝ》の聲にて、 「サア、坊や泣《なき》なさんな、聞ないと狼に投與《くは》せます」といふゆゑ、 狼、しめたり、好《いゝ》下物《くひもの》にあり付いたと、 軒下に潛然《じつ》として待て居ると、やがて夜もふけ兒も泣止めば、 再度《ふたゝび》乳母《はゝ》の聲にて、「ウム、好《いゝ》兒だ、 もし狼が喰《くは》ふとて來たなら打殺してやるぞ、ウム、打殺してやるぞ」といふゆゑ、 狼は全《まる》であてがはづれて、これは山窟《うち》へ歸るのが遲くなつた、 腹がへつたとつぶやきながら、急いで山へ走歸《かけかへ》りけるとぞ。
人は多く口でいふ事と腹で思つてゐる事と、表裏《うらおもて》のものじや。 諸君《みなさま》油斷をなさりますな。
昔日《むかし》廻船《くわいせん》に乘込むに、狒狗《ちん》か猿を携へて、 船中に與具《もてあそび》にする風習《しくせ》ありけり。 某《ある》人海旅《うみぢをゆく》に猿を連れて廻船に乘込みしが、 その船アツチカ(ギリシヤの地名)のソニュームといふ岬をかはせて駛《はし》る時、 颶風《はやて》にはかに吹起り、船覆《くつがへ》りて乘組のもの皆海中へ落入たり。 時に海豚《いるか》、猿の水中に浮沈《うきつしづみつ》するを見て人かと思ひ、 己《おのれ》是を救はんと、直《ぢき》に猿を脊の上に乘せ、きしを目がけて泳行しが、 やがてアテネ(ギリシヤの都の名)の港なるピレースの向《むかふ》へ近付きたり。 其時、海豚聲をかけて、「相公《だんな》、汝《あなた》はアテネの御人《おかた》で御座るか。」 猿 「ヱヽ、左樣サ、其地《そこ》の有名《なだゝ》るものゝ壹人で御座る。」 海豚 「夫じやア汝《あなた》はピレースを御存知の筈じや。」 猿早のみ込にてピレースを豪富《なだゝ》る町人の名と心得、 「ヱヽ、夫は私の最《もつとも》近敷《ちかしく》する朋友《ともだち》の壹人で御座る」といへば、 海豚は猿の説[言|荒;#2-88-68]《うそつき》にあきれはて、 「足下《おまへ》の樣な説[言|荒;#2-88-68]《うそをつく》人はどうでも隨意《かつて》になさるが好《いゝ》」と云つて、 波の底に沈みけるとぞ。
知らざるを知らざるとの聖言《をしへ》を守らず。是が所謂猿悧巧なるべし。(補)[目次] [前章] [次章]